いま地域で「映画館のない街」が増える一方で、「映画文化の灯を絶やしたくない」と市民の手によるミニシアターづくりの動きが活発だ。

3月にできた小田原と、複合文化施設に進化した岩手県宮古市の映画愛があふれる声を取材した。

21年間映画館がなかった小田原

「街中に映画館があることで、映画がこんなに身近になるんだと思いました」(20代女性)

今年3月、観光地としても有名な神奈川県小田原市に「小田原シネマ館」が設立された。小田原駅前の商店街から小路に入ったビルにある、スクリーンが1つ、座席数40のミニシアターだ。

1980年代の小田原は駅周辺に8館の映画館が連なる「映画のまち」だった。しかし郊外にシネマコンプレックスができ、2003年に最後の映画館が閉館して以来21年間、小田原駅周辺には映画館がなかった。

亡き父の意思を継ぎホテルマンから転身

そこで「映画館は文化の拠点」と設立に奔走した故・蓑宮武夫さんの意思を継いで、ホテルマンから転身し支配人となったのが息子の蓑宮大介さんだ。蓑宮さんは設立のきっかけをこう語る。

「父は幼少のころから映画館に行くのが楽しみで、生前は『映画館にいろいろ教えてもらった』とよく言っていました。だから小田原にどうしても映画館をつくりたかったんだと思います」

支配人の蓑宮さん(左)と鈴木館長(右)
支配人の蓑宮さん(左)と鈴木館長(右)
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そして蓑宮さんはミニシアターの魅力についてこう続ける。

「すすり泣く声が周りから聞こえたり、一緒に笑ったりできるのがミニシアターでしか味わえない“共感性”です。私は子どもを連れていきましたが、家で映画を観るのと没入感が全然違います。こういう空間を子どものうちから体験させて感性を育てるのはいいことだと思います」

「地方でミニシアターが盛り上がっている」

いま全国的に「映画館のない街」が増えている。

1990年代には1500館あった映画館は590館へ激減した(うち359館がシネコン)。一方ミニシアターは136館で、ここ数年ほぼ横ばいだ。小田原シネマ館の館長を務める鈴木伸幸さんはこう語る。

「設立に向けて5年位前から各地のミニシアターに話を聞きに回りました。確かに映画館の数自体は減っていますが、いま地方ではミニシアターが盛り上がっていると思います。『とにかく映画が好きだから』とやっている方が多くて、どこも映画愛があふれていましたね(笑)」

(※映画館数は2022年現在)

小田原シネマ館では多様なラインナップを揃える
小田原シネマ館では多様なラインナップを揃える

とはいえミニシアターを経営するには、まずは集客が大切だ。

小田原シネマ館では小田原出身監督の「機動戦士ガンダム」シリーズや、往年の名画、「#音楽祭」と銘打った音楽ドキュメンタリーや監督の舞台挨拶もついた小規模公開邦画など、多様な年代や嗜好に合わせたラインナップを揃えている。

スクリーンの感動体験を再び街中に

鈴木さんは「意外とミニシアターは商機があるんじゃないかな」と語る。

「『ミニシアター系の映画が好きです』という方が、最近増えている気がします。例えばシニア層はシネコンでは観られない懐かしい名画を求めていますね。また小田原シネマ館は映画をPCからそのまま繋げて上映できる設備がありますので、若者には制作した映画の発信の場としての活用を提言していきたいです」

若者が制作した映画の発信の場にも活用したい
若者が制作した映画の発信の場にも活用したい

小田原シネマ館が掲げるテーマは「映画館のある街から、映画の街へ。」だ。

度々小田原シネマ館を訪れるというファン(60代女性)は「小回りの効いたラインナップが魅力的で、何度も足を運びたくなります。ここが市民の文化的生活の場となるのを期待します」という。

「スクリーンを通じて得られる感動体験を、再び街中に」。小田原シネマ館が文化的体験の拠点に進化するのか注目だ。

「映画文化の灯を絶やさない」と立ち上がる

岩手県沿岸の宮古市では、多くの災害に耐え残った江戸時代の酒蔵を特設シアターとしたプロジェクト「シネマ・デ・アエル」が行われている。

宮古市は2016年に市内で唯一あった映画館が閉館したが、「映画文化の灯を絶やさない」と市民を中心にこのプロジェクトを立ち上げた。代表の有坂民夫さんは東京都出身。東日本大震災の被災地である宮古市で文化を通じた復興支援を行ってきた。

市民を中心にプロジェクトを立ち上げた(後列右から2人目が代表の有坂さん)(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト
市民を中心にプロジェクトを立ち上げた(後列右から2人目が代表の有坂さん)(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト

有坂さんはこう語る。

「岩手県は人口約120万人ですが8割は内陸部に住んでいて、人口約4万5000人の宮古が沿岸では一番大きい街です。震災後、文化活動を通じた復興支援を行っていましたが、人口減少もあってたった一つあった映画館が閉じることになりました。そこで新たな試みへの参加を呼びかけたところ『常設は難しくても次の映画の”場”を作りたい!』と地域の垣根を超えて共感してくれた約20人が集まって、プロジェクトがスタートしました」

「映画と出会う」ブザーのならない映画館

シネマ・デ・アエルは名前の通り「映画で逢える、映画と出会う」がコンセプトだ。さらに映画だけでなく音楽や舞台、伝統芸能やアート、食、そして語り合いと「まさに複合文化拠点」(有坂さん)となっている。

「『せっかく新しく作るなら、映画に限らず様々なことができる場を作ろう』と集まって話し合いました。そして『誰か一人の経営や資本ではなく、参加する人たちが自らのオーナーシップで運営し続ける”場”を』と試行錯誤をするうちに、このようなスタイルになりました」

シネマ・デ・アエルでは上映開始のブザーが鳴らない(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト
シネマ・デ・アエルでは上映開始のブザーが鳴らない(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト

シネマ・デ・アエルでは上映開始を知らせるブザーが鳴らない。時間になると進行役が現れ挨拶から始まり、終了後は観客それぞれが作品の感想を語り合う時間が設けられている。

シネマ・デ・アエルでは上映する映画にもこだわりがある。映画は月1~2本で、プロジェクトのメンバーが持ち回りでセレクトする。上映の際には監督や役者、作品テーマに関わるゲストを招き、参加者とトークセッションが行われる回も多くある。

「自分たちの地域で始めたい」と共感が広がる

有坂さんはこう続ける。

「大都市の巨大なシネコンを追いかけても追いつけないことは明白なので、シネコンでは上映される機会の少ない作品、得られない映画体験を提供しています。またシネコンは音響やスクリーンなど設備がどんどん高品質化・ラグジュアリー化していますが、僕たちはライブ的な空間で一緒に観た人たちが作品を共有して楽しむことを目指しています」

「ライブ的な空間」としてワークショップも開催(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト
「ライブ的な空間」としてワークショップも開催(c)シネマ・デ・アエルプロジェクト

いまシネマ・デ・アエルには各地からの問い合わせがきているという。

「多くの人がいま、縮小する地域で存続が益々難しくなっている映画館など文化資本を巡る課題を何とかしたいと思っていて、『シネマ・デ・アエルのアプローチを参考にしたい』『自分たちの地域で始めたい』と共感や関心を頂いています。『研究や卒論のテーマにしたい』と取り組んでくれる高校生や大学生も多数います」(有坂さん)

有坂さんは「自分の街に”映画館がある価値は何か”を自問していくことをきっかけに、新たなあり方を模索する地域は今後増えてくると思います」という。

映画館で映画を観るワクワクが、やがて街に灯をともす。市民の手づくりによるミニシアターが、地域を変える一歩になるかもしれない。

(執筆:フジテレビ報道局解説委員 鈴木款)

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。