活気があふれている厨房。ここはかつて地域の子どもたちが通った小学校の職員室だ。

地域に唯一あった小学校が10年前に閉校。地域の交流拠点にするため、この小学校の校舎を活用して作られたコミュニティースペース「みそぎの里」は、月に2回だけ開かれるカフェとなっている。

これは高齢過疎化で小学校が無くなってしまった愛媛・内子町御祓地区の10年の物語だ。

徳島・三好市の成功事例に学ぶ「廃校カフェ」

今から10年前の2014年3月、内子町立御祓小学校は137年の歴史に幕を下ろした。最後の児童は13人だった。

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御祓地区の住民は「子どもの声が全然聞こえなくなったらさびしいですね」と話す。

学校がなくなっても地域が寂しくならないように、「廃校カフェ」を目指す自治会のメンバーは、廃校の活用に力を入れている徳島・三好市に視察に向かった。

訪ねてみると、山間の小学校は、子どもたちがいたぬくもりを残したまま地域の憩いのカフェになっていた。三好市ではこのとき22校ある廃校のうち9校を様々な形で活用していた。

もう一度廃校に明かりを灯そうというのがスタートだという三好市の職員たちは、「カフェでお茶飲みに来るだけでもいい」と話す。

御祓小学校でも職員室をカフェにするため、住民総出で改装が始まった。

カフェだけでなく空き教室の貸し出しも

御祓小学校が閉校になって5年がたち、みんなが待ち望んだ交流拠点が完成していた。

運営を任されているのは、内子町の地域おこし協力隊の水谷円香さん。出身は埼玉県。

地域おこし協力隊の水谷円香さん:
内子町に興味を持っていて内子への移住を考えていたんですけど。外の人から見たらすごく魅力的だと思うことも当たり前だったりするから魅力に気が付けてなかったりする。御祓の人たちもそんなのでいいの?みたいな反応も見受けられる。

校舎には「みそぎの里」の看板がでており、カフェの人気は御祓で採れた食材で作る定食。お客さんの評判も上々だ。

地域おこし協力隊の任期は3年。任期最後にあたる2021年、水谷さんは学校の空き教室を貸し出す事業を始めた。図工室は活版印刷の印刷所、理科室は世界の手すき紙のアトリエに、家庭科室は自家焙煎(ばいせん)のコーヒー店とオーナーはみんな御祓に移住してきた人たちだ。

こうして水谷さんの協力隊最後の年が終わった。

新たな命と共に続く御祓小学校

2024年春、御祓小学校が閉校して10年。

水谷円香さんは地域おこし協力隊の活動を終えたあと、御祓地区の熊野慎也さんと結婚して、今も御祓で暮らしている。

御祓にずっといたいという夢がかなった円香さんはさらに、「(赤ちゃんを)授かったっていうのを知ってもらったときからすごく喜んでいただいて、ありがたいことに」と御祓地区の“あたたかさ”をうれしそうに話す。

御祓地区に7年ぶりに誕生した子どもに、夫婦は「灯(とう)くん」と名付けた。

また、「灯くん」の「灯る」という字は強い光じゃなくロウソクとか柔らかい優しい光というイメージをしているという。周りの人を優しく照らしてくれるような存在になってくれたらという思いを込めて灯という名前を付けた。

「地域に愛されて生まれてきたなっていうのを感じました」「待っててくれた感がありましたね」と円香さんと慎也さんは話す。

地域の絆を深める「みそぎの里」

この日はみそぎの里の出店者が集まる日。今では11の施設が教室を利用している。そこには移住してきたもう一組の家族がいた。

浪江和希さん:
彼女が先に御祓の方に移住していて一年後ぐらいについてきた形ですね。地域によって来た人を受け入れやすい土壌があるかないかってあると思うんで、そういう人が先にいると受け入れやすいのかなって思いますね。

自治会長の宮内俊文さんは、「過疎はもうどうしても食い止められんかもしれん」と話すも、「代わるものとして少しでも明るくしてやっていく、外へのアピールもまだまだできるものもあると思っている。そういう方向に進んでいけたらまだまだこの地域が生かせる」と前を向いている。

地元のお母さんたちも「御祓が変わったんじゃなくて自分の考えが変わってきた」「地元が大好きになった」「私たちがお客さんになって杖(つえ)ついて来て、同窓会するくらいになれたらいい」と話す。

かつて元気な子どもたちの声が響いていたこの場所は、今、地域を盛り上げる様々な人たちの活気であふれている。

(テレビ愛媛)

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