沖縄県内に現存する最古の映画館だった首里劇場を舞台にした映画が、2024年4月、沖縄国際映画祭で上映された。

映画を通して描かれたのは、首里劇場と戦後まもない頃の『バレエ』との繋がりの物語。

首里劇場のあゆみ

1950年に建てられた「首里劇場」は映画や沖縄芝居が見られる娯楽の場として親しまれ、地域の人が集う場所だった。

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一時は成人映画を上映していたが、2021年に名画座として再スタート。

いつしか沖縄に現存する最も古い映画館となったが、2022年に館長が急逝。閉館を余儀なくされ、老朽化も激しく解体されることになった。

戦後の大衆文化を唯一体感できる場所

首里劇場調査団として劇場の記録を残し、その貴重さを伝える活動をしていた映画監督の平良竜次さん。これまでにも首里劇場を舞台にした映画を撮っている。

平良竜次監督:
沖縄で戦後初めて、第一回のバレエの発表会が行われたのがこの首里劇場なんですが、沖縄でバレエを始めた祖である南條みよし先生の話を撮っています

南條みよしは、戦後まもない1948年ごろ、まだ建物のない”露天劇場”だった首里劇場でバレエの発表会を開いた。

平良竜次監督:
実際にみよし先生が立った舞台はここしか残っていないです。戦後の大衆文化を唯一体感できる場所はここしかないんですよ。みよしさんの手記を、気持ちを込めて朗読していただくのにふさわしい場所はここなのかなと

南條みよしの人生を、手記や証言をもとに映画にした。

南条みよしの手記「私の戦後史」より
「生まれて初めて、こんな素晴らしい踊りがこの世にあろうかと思うほど夜も眠れないほど感動し、私はこっそり3回も見にいきました」

沖縄で初めてのバレエ教室

南條みよしの娘、南条幸子さんは教室を継ぎ、現在も指導に励んでいる。

南條みよしは19歳のころ、両親や周囲の猛反対を押し切って名古屋の南條宏の元へ弟子入りした。

1937年に沖縄で初めてのバレエ教室を開いたみよしは戦後、何もなくなった沖縄で、すさんだ子どもたちの心を元気づけようと、首里劇場で戦後初の発表会を開いた。

南條みよしの娘 南条幸子さん:
やさしい母のどこにそういう情熱があったのかとても不思議ですが、困難を乗り越えたその暁には、素晴らしい世界があることを、身をもって示していただきました

その後も首里劇場で定期的に発表会を続けた。

南條みよしの娘 南条幸子さん:
音楽あり、美術あり、バレエありで、“文化”を子ども心にとっても大きく感じたことを、今でもはっきりと覚えています。首里劇場でそれが実践されますので、そういう環境の中で育ててもらって幸せでした

天国の母と手をつないで歩かせていただいた

“文化”が育まれてきた首里劇場で撮影された映画は、沖縄国際映画祭で上映された。

映画のナレーションより
「私の一生を支えたバレエは、戦禍で荒廃しきった子どもたちを笑顔に変えることに役立ちましたことを深く感謝しております。これからも、明るく、強く、生き抜くために頑張ります」

南条幸子バレエ研究所の生徒の感想:
私ももうちょっと前の時代に生まれて、あの劇場で踊ってみたかったなと思いました。戦前のときから、ああいう経緯があり、その体験の一つひとつが繋がって、いまの教室になり、僕たちが踊れている環境に繋がっているんだなということを考えたら、胸にくるものがありました

平良竜次監督は、「沖縄にしかない歴史があり、それが首里劇場の歴史だと思っている。この歴史があるからこそ、若い生徒さんや今の皆さんに繋がっているということを感じてほしい」と映画について語った。

映画の出演者として、南条幸子さんと教え子たちも一緒に、2024年で最後となる沖縄国際映画祭のレッドカーペットを歩いた。

南條みよしの娘 南条幸子さん:
一生に残る思い出になりました。今日は、天国にいる母と手をつないで歩かせていただきました。ありがとうございます

戦後、首里のまちで人々の心を癒した首里劇場。
その舞台で育まれた文化や志は、今を生きる子どもたちに受け継がれている。

首里劇場の跡地は現在更地になっているが、地域の自治会によって歴史を伝える案内板が立てられている。

(沖縄テレビ)

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