石川県内最大の水揚げを誇ってきた輪島港は、能登半島地震の影響で海底が隆起しすべての漁がストップしている。先が見えない中、職を失った漁師たちはこの4カ月間をどう過ごしてきたのだろうか。
職を失った漁師たちのいま
この記事の画像(10枚)梅本洋介さん:
「自分たち冬はカニを採っていて春はフグとか獲って。この時期はフグとカレイの間くらいの時期ですかね。」
底引き網漁船の船長、梅本洋介さん。船長になって3年目。父から船長に必要な知識を学んでいる最中だったが、能登半島地震が発生した2024年1月以降、漁ができていない。
先祖代々受け継いできた「第八幸洋丸(こうようまる)」は津波で流された際に岸壁にぶつかり先端のローラー部分が壊れてしまった。
梅本さん:
「一応鉄工所には修理を依頼しているけど、みんないろいろ壊れているし、いつ順番くるか分からないんです。」
ただ、船が直っても漁を再開することはできないという。
輪島港は地震の影響で 海底が最大2メートルほど隆起。海底にたまった土砂を取り除かなければ船を出すことができないのだ。約200隻ある船の漁師たちは全員職を失った。
梅本さん:
「収入はゼロですね。なので違う仕事をしないといけないですね。」
家族を養うため、新たな職に就く
梅本さんは妻と子供3人の5人家族。今は短期の仕事で生計を立てている。
梅本さん:
「これは今から仕分けする時に着るゼッケン。ゼッケンとかヘルメット」
始めた仕事は災害廃棄物の仕分け。梅本さんは「20歳から漁師しかしてこなかったので、毎日通う仕事は慣れない」という。
この仕事は1カ月ごとの契約。翌月仕事ができるかどうかは月の最終日に言い渡される。
綱渡りの生活が何カ月も続いているが、家族を養うためにはこうするしかないという。
ただ、梅本さんのようにみんなが新しい職に就けるわけではない。
漁一筋で生きてきた高齢の漁師たちは
板谷由雄さん(70):
「これ倒れたので取ってやり直ししようかなと思って」
延縄漁船の船長、板谷由雄さん。
Q:日中は何してるんですか?
板谷さん:
「何もしとらん。ただ家の片付けしとるだけ。」
板谷さんは70才。新しい仕事を探すことは簡単ではない。
板谷さん:
「年になってなかなか雇ってくれるところないし。」
Q 家計の状況は厳しいですか?
「厳しいね。」
こうした状況の中、何とか漁を再開できないか模索した男性もいた。梅本嘉之さん。船は小型のため、海底が隆起している状態でも漁に行けるというが…
梅本嘉之さん:
「氷ないし買う人もおらん。氷がないのにどこ持っていけばいいの?」
港の製氷施設が壊れているため魚を獲っても出荷ができない。漁は諦めて網の修理などをして、時間をつぶしているという。収入が途絶えたことも苦しいが、梅本さんにはさらに辛いことがある。
梅本嘉之さん:
「海に出られなくてさみしい。あと退屈や。いい波になると沖行きたいっていう気持ちになる。これからの時期はそんな日が多い。海眺めてあーいきたいんやけどなぁ…行けないもんな。それがむなしい。」
ようやく復旧に向けた第一歩
今月中旬。輪島港に仮設の桟橋が完成した。地震の発生以降、港に停泊したままになっていた約200隻の船を仮桟橋などに移動させ、海底を掘り下げる工事がこれから本格的に始まる。港の復旧に向けた第一歩だ。
梅本さん:
「海が深いところ行ければ漁にいけるのかなと。製氷施設の問題とかもあるんですけどまずは船を移動させられることが第一歩ですね。それを待ちながらゴミを仕分けしている。早く出たいですね。本当に。」
底引き網船長の梅本洋介さん。今は別の仕事をしているが漁師をやめることも輪島を離れることも考えていない。
梅本さん:
「いつかは漁に行けると思っているのでとりあえずそれまでは頑張ろうと思ってやっています。」
梅本さん:
「魚食べたい?」
子供:
「食べたい!」
梅本さん:
「食べたいらしいんで新鮮な魚を食べさせてあげたいですね」
これまで経験したことのない苦境に立たされている漁師たち。
再び沖へ出られる日を待ちながら何とか前を向こうとしている。