東京電力・福島第一原発事故の影響で、避難を余儀なくされた伝統の「大堀相馬焼」の里。窯元の1人は、2023年の避難指示解除を受けて故郷に再び伝統の火を燃やそうとしている。

本来の姿を継承したい

江戸時代から続く福島県浪江町の「大堀相馬焼」。その礎を築いた伝統の登り窯…1300℃の炎で焼き上げ、灼熱の世界から生み出される作品は唯一無二。

260年の歴史を持つ大堀相馬焼の窯元・陶吉郎窯
260年の歴史を持つ大堀相馬焼の窯元・陶吉郎窯
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大堀相馬焼 窯元・陶吉郎窯が、避難先の福島県いわき市で構えた新たな拠点。産地を離れた伝統は「大堀相馬焼」と呼べるのだろうか…

福島県浪江町から避難先の福島県いわき市へ
福島県浪江町から避難先の福島県いわき市へ

「やはり大堀に戻って、本来の姿の大堀相馬焼を継承しないと、伝統が途絶えてしまうという思いが自分にあった。だから、大堀にはどうしても帰りたい」と陶吉郎窯の9代目・近藤学さんはいう。

陶吉郎窯の9代目・近藤学さん
陶吉郎窯の9代目・近藤学さん

伝統は大堀にある

福島県浪江町大堀地区は、江戸時代から300年以上続く「大堀相馬焼の里」
福島第一原発から約10キロのその産地は、帰還困難区域となり約20の窯元は故郷を追われた。

原発事故 窯元は大堀相馬焼の里を追われる
原発事故 窯元は大堀相馬焼の里を追われる

文化的な価値 点での解除

2023年3月31日。浪江町の帰還困難区域のうち、復興拠点となった3つの地区・約661ヘクタールで避難指示が解除された。

2023年3月31日 浪江町の特定復興再生拠点区域が解除
2023年3月31日 浪江町の特定復興再生拠点区域が解除

大堀地区は、3つの地区とは違い「文化的な価値を持つ区域」として、面的な整備ではなく窯元だけの“点”の解除となった。

大堀地区は窯元だけが解除に
大堀地区は窯元だけが解除に

大堀相馬焼始祖の子孫・休閑窯の半谷秀辰さんは「大堀の住民、窯元ではない住民がいる。これを二分して別れさせるような感じ。一緒に解除してくれないのか」と話す。

休閑窯の半谷秀辰さん
休閑窯の半谷秀辰さん

原発事故から13年。窯元の半数以上が廃業し、避難先で新たな拠点を構えた窯元もいて、すぐには故郷に戻る決断をできないのも現状だ。

半数以上が廃業 拠点を移した窯元も
半数以上が廃業 拠点を移した窯元も

先陣切って道しるべに

「まわりがこういう環境だから、来るとがっかりする。まわりの環境整備、私の建物を立てるのと同時並行で、ちゃんと整備していただきたい」と話すのは、いち早く故郷での活動再開を決めた、大堀相馬焼の窯元「陶吉郎窯」の近藤学さん。

2023年9月浪江町 陶吉郎窯 上棟式
2023年9月浪江町 陶吉郎窯 上棟式

周りを見渡せば、バリケードが張られた住宅も残る帰還困難区域。それでも「先陣をきって道しるべになる」と、伝統の産地復活にたったひとり奔走してきた。

帰還困難区域内での新たなスタート
帰還困難区域内での新たなスタート

後継者の育成に注力

近藤さんが今、力を入れているのは後継者の育成。福井県で越前焼を学ぶ研修生・高橋依里さんをインターンシップ生として4日間受け入れた。最終日は現状を見てほしいと大堀地区へ。

後継者育成 研修生を受け入れる
後継者育成 研修生を受け入れる

「浪江町立の小中高って9つあったんですよ。その9校が全て廃校。子どもたちがいないからね、解体撤去して更地になっている。そういう伝統みたいなのが、根こそぎ奪われたっていうこと。それは津波ではなく原子力発電所の事故で」

研修最終日 浪江町大堀地区へ
研修最終日 浪江町大堀地区へ

近藤さんの話を聞いた研修生の高橋依里さんは「実際に見て、何もなくなったんだよということも聞いて、すごく考えるものがありました」と話した。

研修生の高橋依里さん 実際に見て・聞いて考えさせられることも
研修生の高橋依里さん 実際に見て・聞いて考えさせられることも

帰還を希望しない町民が大多数

国は、帰還を希望する住民の宅地などを中心に「特定帰還居住区域」を定め、2020年代に帰還できるよう除染とインフラ整備を進める。浪江町で帰還を希望したのは、対象の757世帯のうち256世帯。

757世帯中 帰還を希望するのは256世帯
757世帯中 帰還を希望するのは256世帯

近藤さんは「国で希望者はやるけど、希望してない人はやらないということ自体が、全然この状況に合ってない。どこで、そういうこと発想してるのか…1~2年だったらまだしも、十何年となると元に戻すのはもう無理。現実的に、戻ってまた昔のように生活というのは、なかなか無理だっていうこと」と話す。

1~2年ならまだしも13年 昔のように暮らすのは難しい
1~2年ならまだしも13年 昔のように暮らすのは難しい

故郷に必ず帰る

避難を続けて13年。住民を繋ぎとめるには、長すぎる時間が流れた。それでも近藤さんは、この大堀の地で作品を焼き上げる自分の姿を思い浮かべている。

住民を繋ぎとめるには長すぎる時間 窯元ならできること
住民を繋ぎとめるには長すぎる時間 窯元ならできること

「サケというのは、生まれ故郷に戻るという習性がある。自分の生まれ故郷に何年後かに必ず戻ってくるという作品に例えて、そんなことで製作させてもらった」とサケのレリーフを見ながら語った。

サケは生まれ故郷に必ず戻ってくる 作品に思いをのせて
サケは生まれ故郷に必ず戻ってくる 作品に思いをのせて

希望・成功を思い描いて

復興拠点の解除から1年。近藤さんは「普通に考えれば、この環境で戻ってきてどうなんだ、ここで商売なんかできるはずないと人は言う。伝統継承…言葉でいうとかっこいいが、基本は生業として成り立つかどうか。食べていけるかどうか、そこが一番厳しい」

生業として成り立つかどうか 厳しい現状
生業として成り立つかどうか 厳しい現状

「やってみないと分からないが、でも自分の中では希望・成功しか頭にない。ここに戻ってきたら、やりたいことが沢山あって、それに先だって色んな試作とか積み重ねて、引き出しいっぱい持って帰ってくるつもり。だから失敗するなんてことは微塵にも思っていない」と話す。

夢と希望をもって…情熱の炎は消えない。

(福島テレビ)

福島テレビ
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