ナチス・ドイツの強制収容所であるアウシュビッツは、ポーランドの南部にある。推定100万人のユダヤ人が殺害されたこの収容所は、現在、ポーランド国立アウシュビッツ・ビルケナウ(※アウシュビッツ第2収容所)博物館として保存され、この「負の遺産」には2023年1年間で世界各国から167万人が訪れた。

ビルケナウ収容所の進入門。ユダヤ人の輸送列車はここを通った
ビルケナウ収容所の進入門。ユダヤ人の輸送列車はここを通った
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博物館でアジア人初のガイドとなった中谷剛さんにアウシュビッツ・ビルケナウ博物館の現状を聞いた。

注意:記事には、痛ましいと感じるおそれのある描写や写真が含まれます。

記憶の風化が懸念されたアウシュビッツ

「私がガイドを始めた1997年当時は訪問者がどんどん少なくなった時代で、このまま記憶が風化していくのかと心配しました」

こう語るのは、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館(以下アウシュビッツ)でアジア人として初めてガイドとなった中谷剛さんだ。当時はポーランド人以外のガイドはほとんどいなかったが、いま約300人のガイドのうち外国人が10名ほどいるという。

アジア人として初のガイドとなった中谷剛さん
アジア人として初のガイドとなった中谷剛さん

「当時はガイドの資格試験を受けるにも許可が必要で、最初は断られましたが『日本人に歴史をわかりやすく案内してくれるなら』ということで採用されました。訪問者はポーランドがEUに加盟した2004年から急激に増えましたね」(中谷さん)

筆者は2024年2月にアウシュビッツを初めて訪れた。収容所の敷地内では解放後に数千の遺品が発見され、そのほとんどは殺害されたユダヤ人の所持品だった。アウシュビッツでは10カ国語を超えるガイド付きツアーがあり、ツアーの所要時間は約3.5時間だ(ほか約6時間のツアーなどもある)。

「働けば自由になれる」と掲げた金属のアーチ。生きて再びくぐり抜けた被収容者はほとんどいなかった
「働けば自由になれる」と掲げた金属のアーチ。生きて再びくぐり抜けた被収容者はほとんどいなかった

ツアーはまずアウシュビッツ第一収容所から始まり、入り口に掲げられた「働けば自由になれる」というスローガンを掲げた金属のアーチをくぐる。

敷地内に入ると、改装された建物にはそれぞれ「重犯罪の証拠」「被収容者の生活」などのテーマが設定され、ツアーの参加者はガイドの説明を聞きながら展示を見て回る。そこには殺害されたユダヤ人たちの眼鏡や靴、子ども服や義足などが積まれ、2トン近くもあるという女性の髪の毛も展示されている。

壁一面に殺害された人々の写真が並ぶ
壁一面に殺害された人々の写真が並ぶ

ある棟では殺害された人々の顔写真が廊下の壁一面に並んでいる。またガス室や焼却炉、絞首台もあり、ビルケナウにはユダヤ人を運んできた貨車や被収容者の寝台も残されている。

訪問者の7割が14~26歳

筆者は英語のツアーに参加したので、地元ポーランド以外の国の旅行者が多かった。しかし他のツアーでは、中高生や大学生の姿が圧倒的に多かった。ポーランドの学校ではいま、ホロコーストの歴史と人権を学ぶために、アウシュビッツを訪れる学習プログラムが組まれているという。

ツアーには若者の姿が圧倒的に多かった。写真はガス室跡。
ツアーには若者の姿が圧倒的に多かった。写真はガス室跡。

中谷さんによると、訪問者の7割は14歳から26歳の若者だ。

「ポーランドだけでなくヨーロッパ中から学校単位でツアーに来ます。国別では訪問者の35%ぐらいがポーランドで、65%は外国人ですが、ヨーロッパ、とくにイギリス、フランス、イタリア、ドイツが多いです。日本人の訪問者もコロナ前は年間約3万5000人いました」

アウシュビッツの役割は、建物や遺品の保存と修復保管、そして歴史の継承つまり次世代への教育だ。ここにはICEAH=アウシュビッツとホロコーストに関する国際教育センターがあり、中高生や大学生、教育者を対象にした講義やワークショップを行っている。また、生徒が博物館でボランティア活動をすることもできる。

殺害された人々の靴が保存されている
殺害された人々の靴が保存されている

「博物館には3人の副館長がいますが、1人が教育センター長を兼ねています。ほか2人は保存と財務の担当です。ここはポーランドの国立博物館なので国家予算で運営されていますが、ヨーロッパの国々が資金援助しています。中でもドイツは施設の保存のためにかなりの額を拠出していますが、やはり寄付や入場料が大きな支えになっています」(中谷さん)

イスラエルのガザ攻撃を「自衛権」と支持

人権意識の高まりにより、アウシュビッツの価値が改めて見直されている一方で、イスラエルによるガザ地区への攻撃はここにも暗い影を落としている。

アウシュビッツは、2023年10月に始まったイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘について、国際アウシュビッツ評議会としてコメントを発表した。

コメントでは「ハマスのテロリストによって拷問、強姦、人質に取られ、殺害された無実の犠牲者の苦しみへ深い痛みと悲しみ」を示しつつ、「イスラエル人およびユダヤ人との揺るぎない連帯」を表明している。そして「イスラエル国家は、国際法と人道主義の原則に従って自衛する権利を有する」として、ハマスに人質全員の即時無条件解放を要求している。

収容バラックにある寝台。一台に6,7人が板に敷かれた藁の上で寝ていた
収容バラックにある寝台。一台に6,7人が板に敷かれた藁の上で寝ていた

アウシュビッツにとってイスラエルの軍事行動は「自衛権」なのだ。これについて中谷さんにコメントを求めると、「代わりに話すことはないです」としたうえで、一般論として「反ユダヤ主義は世界中にあるわけですから、それが増してしまうことは問題です」と答えた。世界的にイスラエルに対する批判が高まる中、アウシュビッツのコメントに複雑な思いをもつ訪問者も多いのではないだろうか。

交錯する“光と影”

最後に、中谷さんは「ツアーをしながら、『人権』という言葉に対する日本の若い世代の反応が変わってきたと感じている」と語った。

「コロナが明けてから日本の学生さんからの問い合わせが増えましたが、特にZ世代と言われる若者の人権への意識や価値観が変わってきたと思いますね。人権という言葉が出た時、私たちの世代は何かレッテルを張りがちでしたが、若い世代は全然反応が違います。人権を考えなくてはいけない時代になったのですね」

いま光と影がアウシュビッツで交錯している
いま光と影がアウシュビッツで交錯している

人権を学ぶためにアウシュビッツを訪れる多くの若者がいることは希望だ。一方で、いまも続くイスラエルによるガザ地区住民への無差別攻撃と、それを「自衛権」として支持するアウシュビッツ。光と影がいまアウシュビッツで交錯している。
(執筆・写真撮影:フジテレビ解説委員 鈴木款)

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。