韓国が、医師の“集団辞職”に揺れている。

2月6日、韓国政府が医学部の定員を2000人増やすと発表したことに対し、全国で医師らが反発を強め、これまでに研修医の大半が職場を離れた。現場では手術の延期が相次ぐなど影響が広がっている。

韓国では過去にも医療改革が議論されるたび、医師側の激しい抗議で実現しなかった。そんな「政府との対立で“無敗”の医師(韓国メディア)」に対し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は強硬姿勢を崩していない。4月には今後の政権運営を左右する国会議員総選挙を控える中、尹大統領が医療現場の混乱をどう収拾し、医学部の定員拡大を実現させるかが注目される。

医学部定員増のワケ…救急患者の“たらい回し”も

尹政権が医学部の定員増を打ち出した背景には、深刻な医師不足がある。

「小児科に行ったら開院2時間前なのに40人以上並んでいました」。韓国南西部・羅州(ナジュ)で子供2人を育てる30代の女性は、地方の医師不足を嘆く。韓国では高級ブランド品の購入のため開店前から並ぶことを“オープンラン”と言うが、最近はメディアの記事で“小児科オープンラン”との見出しが躍る。

他にも、救急患者の受け入れ先が見つからず、100キロ以上離れた医療機関に搬送されるケースや、2022年7月にはソウルの「5大病院」の一つで、看護師が院内で倒れたにもかかわらず、医師不在で手術を受けられずに亡くなる惨事もあった。

韓国の人口1000人当たりの医師数は2.6人で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で日本と並び2番目に低い。一方、韓国の医師1人当たりの年間の診療人数(2021年)は6113人で、調査対象のOECD加盟国で最も多かった。こうした状況のため、おのずと診療時間は短くなり、ソウル市内に住む70代の男性は「医師に質問すらできないまま追い出される」とこぼす。

政府vs医師で患者の被害相次ぐ

急速に高齢化が進む韓国では、2035年に医師が1万5000人不足すると予測されている。政府は現在の医療体制について「崖っぷち」と表現。今こそ「超高齢社会に備える最後の機会」と強調し、2025年から医学部の定員を3058人から5058人に拡大すると発表した。

そのような政府の判断を国民の多くが支持した。医学部の定員増について「肯定的な点がより多い」と答えた国民は76%(「韓国ギャラップ」調査・2月15日発表)に上り、与党だけでなく野党の支持者も同様の回答だった。

ソウルの5大病院の一つ「ソウル大学病院」でも研修医の大半が辞表を提出し影響が広がっている(2月22日)
ソウルの5大病院の一つ「ソウル大学病院」でも研修医の大半が辞表を提出し影響が広がっている(2月22日)
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だが、医師らは激しく抵抗した。「むやみな人員増は、医療の質を低下させる」などと主張している。韓国政府によると、2月23日の時点で全研修医の8割近くにあたる8897人が辞表を提出した。この研修医らの“大量離脱”で医療の空白が生じ、「がんの手術が延期された」などといった被害申告が計189件寄せられているという。

医師反発の背景に行き過ぎた“エリート意識”!?

本来、国民の命を救うべき医師らが、患者そっちのけで職場を離れるとは理解しがたいが、なぜここまで反発するのか。

韓国メディア(国民日報)の記事で、延世大学のチョン・ヒョンソン教授は日本を引き合いに出し、こう指摘する。「日本ではむしろ医師たちが過労で死亡することが生じ、医師団体が医学部の増員が必要だと主張した」。一方で「韓国は医療制度の特性上、健康保険料として入ってくる収入を分け合う医師が多くなれば、一人一人の収入が減るという意識が強いため、集団行動につながる」。他国に比べ、韓国の医師は競争してお金を稼ぐ概念が伝統的に強いという。

ソウル市医師会が開いた抗議デモ 雪が舞う中、約300人が集まった(2月22日夜)
ソウル市医師会が開いた抗議デモ 雪が舞う中、約300人が集まった(2月22日夜)

韓国の医師は世界で最も高給取りとのデータもある。OECDが2023年7月に発表した統計では、韓国の勤務医の賃金は19万2749ドル(約2900万円)で、28カ国中で最も多かった。厳しい学歴社会を勝ち抜いた彼らにとって、高収入は当然で、既得権益を失うことは到底許せないのかもしれない。

2月21日に放送された韓国のテレビ局「MBC」の討論番組では、そんな彼らの“エリート意識”が垣間見える一幕があった。韓国・京畿道のイ・ドンウク医師会会長が医学部増員について「クラスで成績が20位~30位なのに(医学部に)進学して(医師として)勤務させることは国民が望まない」と主張し波紋を呼んだ。

政府は毎回「白旗」…医師“無敗”で自信か

医師らの「強気の反発」の背景には、3度にわたる過去の“成功体験”もあるとみられる。

2000年には、医薬分業を進める政府の方針に反発した医師らが大規模なストライキを実施し、政府は医学部定員の段階的な削減などを余儀なくされた。朴槿恵(パク・クネ)政権時の2014年には、遠隔医療の推進計画を打ち出した政府に、各病院が診療時間を短縮するなどして対抗し、計画は霧散した。さらに2020年には新型コロナウイルスの感染拡大を受け、文在寅(ムン・ジェイン)政権が医学部の定員拡大を目指したが、同じようにストライキなど激しい抵抗に遭って断念した。

このように政府が医療改革に踏み出そうとするたび、医師らはストライキを実施し、医療崩壊を恐れた政府が“降伏”するという歴史が繰り返されてきたのだ。大韓医師協会の盧煥圭(ノ・ファンギュ)元会長は、SNSで「(政府が)医師たちに勝てると考えたこと自体が、あきれるほど愚かな発想」と言い放っている。

“頑固者”尹大統領は混乱をどう収束する?

これまで“負け知らず”の医師らに対し、尹政権は強気の姿勢を貫いている。公立病院の診療時間や非対面診療の拡大する一方、医師らに対しては医師免許の停止処分もちらつかせながら、強制捜査も辞さない構えだ。

尹大統領は医学部定員の2000人増員について「最小限の拡充規模」としている
尹大統領は医学部定員の2000人増員について「最小限の拡充規模」としている

医学部の増員を発表して以降、尹大統領の支持率は上昇傾向だ。2月19日~20日に行われた世論調査では、調査開始(就任後の2022年7月)以来最高値となる45.1%を記録した。

ただ、国民は尹大統領の医療改革に向けた覚悟を手放しで歓迎している訳ではない。街で話を聞くと、「国民の安全を最優先に、個人の利益よりは医師という職業の使命感を考えて欲しい(40代女性)」などと医師らの責任を追及する声が多い一方、政府の方針に疑問を持つ声も少なくなかった。「いきなり2000人は多すぎる(50代男性)」「データなしに2000人不足としていて正直あまり理解できない(50代女性)」と、医師より政府が「悪い」と考える人もいた。

2000人の医学部増員は「過度で独断的」と主張するソウル市医師会のパク・ミョンハ会長(2月22日夜)
2000人の医学部増員は「過度で独断的」と主張するソウル市医師会のパク・ミョンハ会長(2月22日夜)

2月22日夜、ソウルの大統領府前で医学部増員などに対する第2回の抗議集会が開かれた。辞表を提出した研修医らはメディアに露出することを恐れて参加せず、前回より規模は縮小したが、主催したソウル市医師会のパク・ミョンハ会長は「政府の脅迫は、我々14万人の医師が行っている国民と国家のための闘争を止めることはできない」と対決姿勢を鮮明にした。

政府と医師が対立するたび被害を受けるのは患者やその家族だ。「一度やると決めれば最後までやり切る(韓国メディア)」という尹大統領だが、混乱がこのまま長期化すれば、糾弾の矛先が尹大統領に集中しかねない。医療現場の混乱が収束する見通しが立たない中、救えたはずの命を救えなかったという悲劇が起きないよう切に願いつつ、今後も動向を注視したい。
(FNNソウル支局 仲村健太郎)

仲村健太郎
仲村健太郎

FNNソウル支局特派員。
テレビ西日本報道部で福岡県警・行政担当 、北九州支局駐在。
2021年7月~現職。