北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の妹・金与正(キム・ヨジョン)党副部長が日朝関係の改善を呼びかける談話を発表し、その真意に注目が集まっている。

「悪口姫」の個人的な“ラブコール”ではない

北朝鮮の朝鮮中央通信が2月15日に配信した談話で、金与正氏は次のように述べ、日本との関係改善に期待を示した。

「日本が政治的決断を下せば、両国は新しい未来を共に開ける」
「日本が北朝鮮の正当防衛権に言いがかりをつけたり、拉致問題を障害物にしなければ、首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」

岸田首相が同月9日の国会答弁で、日朝関係について「大胆に現状を変えていかなければならない必要性を強く感じる中、トップ同士の関係を構築していくことが極めて重要だ。私自ら必要な判断をする」と答弁したことを受けたものだ。

金総書記の妹・与正氏
金総書記の妹・与正氏
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与正氏は岸田首相が金総書記との首脳会談を重視し、「自ら必要な判断をする」と自身の決断を強調したことを評価。そのうえで「過去の束縛を脱して日朝関係を大胆に前進」させ、「時代錯誤的な敵対意識と実現不可能な執念」を捨てる「政治的決断」を取るよう促した。

談話の中で与正氏は、あくまで個人的な見解であり、北朝鮮指導部は朝日関係改善の構想は持っておらず、接触に何の関心もないと予防線を張ってはいるものの、北朝鮮で個人の見解が通用するとは考えにくい。

与正氏はこれまでも金総書記の名代として、金総書記自身が直接口にしにくいことを国際社会にメッセージとして発し、その反応を見る羅針盤的な役割を果たしてきた。

相手を攻撃する時は「特大の阿呆ども」「犬畜生」といった罵詈雑言も躊躇なく使い、口の悪さが際立っていた。

今回はそうした「悪口」は影を潜める代わりに「先見性と戦略的眼目」「意志と実行力を持った政治家」「チャンスをつかみ、歴史を変えられる」など岸田首相をその気にさせるような美辞麗句が並んだ。文言からも北朝鮮側が日本との関係改善にかなりの期待を寄せていることが窺える。

なぜ今、日本と「対話」なのか

では、北朝鮮はなぜ今、日本との関係改善を望むのだろうか。 

2023年末に開かれた朝鮮労働党の中央委員会総会
2023年末に開かれた朝鮮労働党の中央委員会総会

北朝鮮は2023年末の党の重要会議で、韓国との関係をこれまでの「一つの民族、一つの国家、二つの体制」から「交戦国」「敵国」へと統一・対南政策の路線を根本的に転換した。また、韓国の歴代政権が保守・革新問わず、北朝鮮の「吸収統一」「体制転覆」を国策としてきたと指摘、これ以上韓国を統一や和解の対象にしないことを宣言した。これを受けて年明けから「対南部門の整理・改編」や、憲法や愛国歌などから「統一」「同族」を象徴する用語を削除するなどの見直し作業が急速に進められている。

2月14日に試験発射された新型の地対艦巡航ミサイル「パダスリ-6」
2月14日に試験発射された新型の地対艦巡航ミサイル「パダスリ-6」

金総書記は韓国との「国境」を画定し、憲法に規定することも指示した。北朝鮮は南北の海の境界線とされるNLL(北方限界線)について認めていない。韓国側はNLLの南側を韓国領土としており、今後はNLL周辺で武力衝突の懸念が高まっている。

北朝鮮は年初からNLL周辺での砲撃訓練や、新型巡航ミサイルなど各種ミサイルの発射実験・訓練を繰り返していて、4月の韓国総選挙に向けてさらなる武力挑発を仕掛けてくる可能性が高いと見られている。

韓国に対しては「対決姿勢」を全面的に打ち出し、軍事的な緊張を最大限に高めるのとは対照的に、日本に対しては「対話のシグナル」を送ってきた。金総書記は能登半島地震の見舞い電で岸田首相を初めて「閣下」と呼び、地震の被害に哀悼の意を示した。

合同演習や米戦略資産の韓国への定期的な投入といった日米韓による拡大抑止政策は、北朝鮮への大きな軍事的圧力として作用している。北朝鮮としては日本を取り込み日米韓の連携に少しでもくさびを打ち込みたいというのが本音だろう。

2月14日「パダスリ-6」の試射を指導した金総書記
2月14日「パダスリ-6」の試射を指導した金総書記

しかし、それだけではない。北朝鮮はロシアや中国と組み、「反米」戦線の拡大を試みているが、究極の目標は米国と関係を正常化し、金正恩体制を維持することにある。北朝鮮は2017年にも朝鮮半島の軍事的緊張を急激に高めたが、翌2018年には対話に転じた。

その際は韓国が米国との橋渡し役を務めたが、今回は日本にその役割を期待していると考えられる。

米国の次期大統領選挙の結果もにらみながら、出口戦略を模索する一環と言ってよいだろう。北朝鮮の狙いは「非核化交渉」ではなく「核軍縮交渉」への転換と制裁の解除にあることは間違いない。

日本の取るべき道は?

与正氏は談話の中で2度にわたり「拉致問題」は解決済みと強調した。また、核ミサイル問題についても正当防衛だと主張している。

日本がこれまでも強く求めてきた「拉致問題」と「核・ミサイル問題」を北朝鮮側と話さないのであれば、首脳会談の意味は無い。そのことは北朝鮮も十分承知の上だ。

重要なのは北朝鮮側が、従来の主張を繰り返しながらも日本に対し「関係改善」を呼びかけてきたことにある。

ウクライナや中東での軍事衝突により、国連安保理が機能不全に陥っている今、国際情勢は一見、北朝鮮にとって有利に見える。しかし、どんなに核ミサイル開発を進めても、日米韓との対決状態が続く限り、北朝鮮が最も警戒する体制崩壊のリスクは続く。北朝鮮にとって出口戦略が切実なのはそのためだ。

北朝鮮との交渉は非常に難しい。会談の主導権を握ろうと北朝鮮側が持ち札を常に隠そうとするからだ。拉致問題も核・ミサイル問題も膠着状況にある今、まずは北朝鮮を対話の場に引き出すことが何より重要だろう。

その上で日本側は日米韓の主張をきっちりと伝え、北朝鮮がミスリードしないように促す必要がある。

北朝鮮にとっても日本との対話が「機会」になりうることを理解させられれば、現在の「対決一辺倒」から対話を通じた状況の管理につながる。日本外交の真価が問われる。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。