ヒゲを蓄え、ビールジョッキを持つメガネをかけた男。これは桐島聡を名乗る男が、内田洋の名前で通っていたという、とあるバーで撮影された写真だ。撮影されたのは約10年前で、50代後半の頃の姿とみられる。
約半世紀にわたる逃亡生活は、どのようなものだったのだろうか?
任意の聴取に連続企業爆破事件への“後悔”も
男の36年来の知人は、こう証言する。

――当時、男のことを何と呼んでいましたか?
36年来の知人:
俺なんかは「うーやん」ですね
――最後に会ったのはいつですか?
36年来の知人:
1年くらい前です。10年くらい前までは、月に2~3度(会っていた)
この知人男性は、男の生い立ちについて、次のように聞かされていたという。

36年来の知人:
出身は岡山。魚屋やってたって。高卒っていう感じで振る舞ってました。高校を出て、友達が大学に入ったから、その友達にくっついて東京に来たと言っていましたね。 友達のとこに下宿して、転がり込んでいたと…。
男の振る舞いについては、こう記憶していた。

36年来の知人:
臆病な感じの、おとなしくて。お酒飲むと陽気になっちゃう。鼻歌歌ったり。保険証もないから、歯が全然なかった
49年前の連続企業爆破事件に関与したとして、重要指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)。

自分が桐島聡だと名乗り出た男は、1月29日午前7時33分、末期の胃がんにより入院していた病院で死亡した。
捜査関係者によると、男は桐島容疑者であると名乗ってから警視庁公安部が行った任意の聴取に対し、「事件について後悔している」という趣旨の話をしていたことが分かった。

これまでの捜査で、男は内田洋という名前で約40年にわたり、神奈川・藤沢市で生活し、市内の工務店で長く住み込みで働いていたことが分かっている。
働きながらの逃亡生活については「誰の支援も受けず、逃亡していた」と話したという。

警視庁は、DNA型鑑定で男が桐島容疑者と特定されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針だ。
(「イット!」1月30日放送より)