厳しい寒さが追い打ちをかけている能登半島地震の被災地。被災した野球の名門校の生徒たちを取材した。
「風景が一気に変わり、現実受け止めるのが難しく…」
石川県にある野球の名門校、日本航空高校石川。
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チームは2023年10月の北信越大会でベスト4入りし、春のセンバツ高校野球の出場候補に推薦されている。
そのチームがトレーニングを行っていたのは、集団避難先の山梨県。
今回の地震で輪島市にある校舎が被災。練習はおろか、教室で授業を行うこともできず、現在は休校となっている。
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これを受け、山梨・甲斐市にある系列校が、新学期までに生徒約600人を受け入れることを決めた。その第1陣として、1月15日に到着したのが野球部員たちだ。
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日本航空高校石川 野球部 中村隆監督:
「やっと会えたな」みたいな表情を見て、僕もほっとしている。
キャプテンの寳田一慧さんに話を聞いた。地震が起きたのは、福井県への帰省中だった。
![「地震が起こって、近くのチームメートはなかなか連絡取れなくて…取れないときは心配でした」](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/1/2/700mw/img_120465e665acf91e5e74da04dfd55760267665.jpg)
寳田一慧キャプテン:
地震が起こって、近くのチームメートはなかなか連絡取れなくて…取れないときは心配でした。
いつも過ごしてきた輪島の風景が一気に変わってしまっていたので、現実を受け止めるのが難しくて。
トレーニング前には、卒業生やその就職先などから支援物資が届き、部員自ら運ぶ様子も見られた。これらの物資はいったん山梨県で保管した後、被災した輪島市の校舎に運ぶという。
![教室には段ボールベッドが並んでいた](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/2/700mw/img_b2f8c8f40d3f2bf2b4f48aa214696027246741.jpg)
その部員たちが身を寄せるのは、段ボールベッドが並ぶ教室。仮校舎や仮宿舎が完成するまでは、この生活が続くという。
それでも部員からは、“仲間といられることへの感謝”の言葉が聞かれた。
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寳田一慧キャプテン:
こうやってまた、みんな集まって野球ができるのは、自分たちの中ではとてもうれしいことなので、野球ができることに感謝して、これからやっていきたいです。
(「イット!」 1月16日放送より)