崖っぷちから生還し九死に一生を得た人たち。

7月16日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、崖っぷちの状態から生還した人たちを取材し、再現ドラマと共に3人が経験したエピソードを振り返った。

楽しい旅行が一転…17時間も海に漂流

2011年、沖縄県石垣市の海に17時間もの間漂流し一夜を過ごした4人の女性が救助されるというニュースがあった。彼女たちはどうやって助かることができたのか。番組では、事故に遭った4人の女性のうちの1人、熊代さんを取材した。

2011年9月21日、熊代さんは友人2人と沖縄県石垣島を旅行。現地に住む女性とも仲良くなり、翌日、オススメのビーチへ一緒に行くことに。

そのビーチは石垣島の北西部にある吉野海岸。遠浅の海に美しいサンゴ礁が広がる、知る人ぞ知るシュノーケリングスポット。

午後4時に訪れた4人。天候は快晴で絶好のシュノーケリング日和だったが、熊代さんは「遊泳注意」という看板を目にする。

再現ドラマより

この日は波が高かった。海に入らないように注意を促す看板が立っていたが、熊代さんは「水泳も習っていたし、特に流されるイメージはなく、波は高かったんですが、海を見たらキレイだし、友達もいたし、みんな泳ぐから大丈夫という考えでした」と特に気にしなかったという。

しかし、この甘い考えが悪夢のような出来事を招くことになる。

シュノーケリングを楽しみはじめて数分、4人は岸からずいぶん離れてしまっていたことに気づく。このとき、岸から沖に向かう強い離岸流が発生していたため、熊代さんたちは知らない間に約200メートル沖まで流されていた。

離岸流は一度巻き込まれたら簡単に抜け出すことができず、毎年のように事故が起きている。離岸流を見た目で判断するのは難しく、発生するタイミングも分からない。もし、巻き込まれてしまったら、岸と平行に泳ぐことで流れから抜け出しやすくなると言われているが、決して流れに逆らって岸に向かおうとしてはいけないという。

しかし4人はパニックになっていたため、離岸流に逆らって泳ぎ、体力を消耗してしまった。彼女たちはバラバラにならないように手を取り、ただ流れに身を任せていた。

1時間後にははるか遠くの浜辺にいる人影に向かって助けを呼ぶが、その声は波と風の音にかき消されてしまう。2時間が経ち、体力も限界に近づき、全員が死を覚悟したとき、発泡スチロールが流れてきたという。

再現ドラマより

熊代さんは「すごくうれしかった。パニックになっていたから、息を吸うのか吐くのか分からなくなっていて。それにつかまっていたらちょっと助かるかなという気持ちに。一回、落ち着くことができました」と振り返った。

日は沈み、夜になっても、必死に助けを呼び続けるが、誰にも気づいてもらえず、弱音を吐く人も出てきた。彼女たちは、少しでも沈んだ気持ちを励まそうと、冗談を言い合ったり、歌を歌ったりしたという。

再現ドラマより

あるモノが流れてきた

漂流して14時間が経過し、時刻は翌朝の6時に。沖縄とはいえ、9月の海に長時間浸かっていたことで、体温は著しく低下していた。

気づけば時刻は午前9時。すると、4人の前にたまたま「蛍光灯」が流れてきたという。

再現ドラマより

熊代さんたちが流されたエリアは、吹きだまりのようにゴミが集まる場所だった。彼女たちは、流れてきた蛍光灯を振り上げ、力を込めて助けを呼ぶと、海岸を散歩していた男性たちが気づいた。

熊代さんは「みんな泣いていました。やっと助かる、やっと立てるって。蛍光灯が流れてこなかったら、きっと助かってなかったかもしれない」と語った。

あれから9年経っているが、熊代さんは、いまだに漂流の恐怖が残り、海に入るだけで恐ろしい記憶がよぎるという。

こたつが倒れて!トイレに8日間

2010年11月3日、1人暮らしの女性が自宅のトイレに8日間も閉じ込められるという事故に見舞われた。

トイレに閉じ込められてしまった下田さんは、当時、冬に備え、新しくこたつを買い替えたばかり。古いこたつを粗大ゴミに出そうとして段ボール箱に詰め、廊下の片隅に立てかけた。

再現ドラマより

この何気ない行動が悪夢のような事態の始まりだった。

翌4日深夜1時、就寝しようと思い、トイレに入ったとき、突然ドアが開かなくなった。この時、段ボール箱が倒れ、トイレの扉をふさいでしまったのだ。コタツと廊下の幅がぴったりだったため、ドアはびくともしなかったという。

再現ドラマより

トイレには窓もなく、防音もしっかりしており、完全なる密閉空間。携帯電話はリビングにあったため、誰にも連絡することもできない。冬目前の11月ということもあり、マンションの中とはいえ、厳しい寒さが襲ってきた。

下田さんは「パジャマだったので寒くなってきて。防寒対策はトイレットペーパーをグルグルと足元に巻いて、ドアの隙間にも敷き詰めていました」と当時を振り返る。

そんな下田さんを救ったのは、暖房機能付き便座。抱きかかえることで暖をとり、夜を明かした。

再現ドラマより

トイレに閉じ込められて2日が経ち、異変が起こる。唇がひび割れ、歯茎と舌は真っ白になり、脱水状態になる寸前だった。そこで、抵抗はあったがトイレの水を飲み、白くなった歯茎の血行をよくするため、置いてあったお清めの塩でマッサージをしながら塩分も補給。

さらに、便座を抱きかかえるようにして寝ていたが、ずっと同じ姿勢をしていることで体は限界に追い込まれていった。

下田さんは半年前に会社を定年退職していたため、気づいてくれる同僚がいなかったのも不運だった。3日目に突入すると、換気口をつたって外の音が聞こえたことに気づいた下田さんは、そこからなら外に助けを求めることができると考え、緊急事態を外に知らせるため「火事です!」と叫び続けたという。

再現ドラマより

なぜ、「火事」というフレーズを使ったのか。「ただ“助けて”と言っても何が起きているか分からない。緊急性が伝わらないといけないといけないと思い、工夫しました」とその理由を明かす。

6日が経ち、水と塩しか口にしていない下田さんは、精神も体力も限界だった。もしものことを思い、消臭用の炭を使って遺書を残そうとするが、その炭では書くことができず、何もできないことに絶望感を募らせたという。

7日目には、電話の音が鳴り響いているのが聞こえるが、出られるはずもなく、切れてしまう。そして8日目、この日も再び電話が鳴るが、同じように出ることも出来ず、切れてしまう。

「もうダメだ」と諦めかけたとき、突然トイレの扉が開き、下田さんの目に警察官の姿が飛び込んできた。下田さんは「思わず涙が溢れました。『あー、助かった』という感じですね」と当時を振り返った。

警察官が駆けつけたワケ

奇跡的に助かった下田さんだが、なぜ警察官は救出に来てくれたのか。

さかのぼること1ヵ月前、高齢の母親が肺炎で入院していたため、下田さんは毎日お見舞いにいく日々を送っていた。

しかし、下田さんが閉じ込められている間に母親の容体が急変し、危篤状態に。母親は以前は毎日お見舞いに来ていた下田さんが姿を見せないことを心配していたが、病院も何度電話しても連絡がつかないことを不審に思い警察に通報。

こうして警察官が下田さんの自宅に踏み込み、無事、救助されたのだ。

母の危篤を知った下田さんは急いで病院へ駆けつけるが、母親は娘が生還した直後、静かに息を引き取った。

下田さんは「母が寿命を縮めることで助けてくれたんじゃないかと。あと3~4日続いていたら、(自分も)どうなったのか分からない。(母親が)自分でピリオドを打つことで娘を助けてくれたのかなと思います。母が見守ってくれていたんじゃないかな」と当時を振り返った。

トイレに閉じ込められた下田さんの救出劇。母親と母思いの娘の絆が生んだ、奇跡だったのかもしれない。

「初めて“死”を身近に感じた」

新型コロナウイルスに感染した元プロ野球選手の片岡篤史さんが、孤独な闘病生活を勇気づけ、死の恐怖から救ってくれた知られざるエピソードを明かしてくれた。

4月7日の夜9時、片岡さんは球界の先輩である高木豊さんと電話をしていた。この時、片岡さんがしきりに咳をしていることを気にした高木さんから病院へ行くことをすすめられる。実際片岡さんは夕方5時ごろに熱っぽさを感じており、体温を測ったところ、38度あったという。

「もしかしたらという気持ちでした。病院へ自分で運転していけるくらいでした。救急で受付に行くと、『車で待機してください』と言われ、待機していたら、完全防護服を着た看護師の方が来た。熱と血圧を測ってもらったら熱があったので『肺炎の疑いがあるので検査します』と言われ、肺のCTを病院で撮りました」

CT検査を受けた結果は「肺炎」。さらに、新型コロナウイルス感染の疑いがあるため、その日のうちにPCR検査を受けたところ、翌日「陽性」という結果が出たという。

そして8日、片岡さんは救急車で設備が整った病院へ移送されたが、この時はまだ会話できるほど症状が軽かったという。

しかし、その日の夜、片岡さんの容体が急変する。「自分の感覚では肺がグッと締め付けられる気がして、すごく咳が出る。その咳が苦しくて、息がなかなか吸えない」という状態に陥ったのだ。

病院に搬送された当日は元気だったが、わずか24時間で容体が急変するケースは珍しくないといい、昭和大学医学部・二木芳人客員教授は「症状のない肺炎のことを私たちは“サイレントニューモニア”、いわゆる“静かなる肺炎”と呼ぶことがあります。急に変化があることは知っておかなければなりません」と話す。

そして9日、片岡さんはコロナウイルスに効く薬として注目されていた「アビガン」を処方され、朝と夜に2回、毎回8錠ずつ服用した。これで症状は楽になるかと思えたが、アビガンを飲んでも症状は回復せずに悪化した。

「動くのがしんどくなってきて、動けない。部屋のテレビのリモコンを取ろうと思っても苦しいから取れない。起き上がってトイレに行くのが一番苦しくて、数メートル歩くのも普通に歩けなくて、いつも簡単にしていたことができない。その時にだんだんと自分でも不安になってきました」

3日間、食事を取ることさえ出来なかった片岡さんの体重は10キロも落ちてしまった。この時、「死んだらどうしよう、みたいな。初めて“死”を身近に感じた」と当時の心境を明かした。

新型コロナウイルスの感染者は、家族との面会も許されず孤独。そんな中、たまたま見ていたテレビの映像に片岡さんは勇気づけられる。

テレビには、現役時代の自分の姿が映し出されていた。

それは2003年、阪神がリーグ優勝をかけた、絶対負けられない試合のワンシーン。打席に立つ片岡さんに、ファン達の応援が飛び交っていた。

実はこの映像、新型コロナウイルスに感染して入院した片岡さんを励ますために放送された、テレビ番組の特集企画だった。

この映像に勇気づけられたという片岡さん。そして、もう一つ片岡さんを勇気づけたことがあるという。それは、ある人物からのメールだった。

闘病中に多くの球団関係者から励ましのメールをもらっていた片岡さんだが、中でも、球界を代表するスラッガー・清原和博さんからのメールは印象に残ったという。

「家族からの連絡はあり、PL学園の同級生の立浪(和義)、野村(弘樹)、橋本(清)からも連絡をもらいましたし、一緒にタイガース時代にやらせてもらった金本(知憲)さん、矢野(耀大)監督、桑田(真澄)さんからもいただいた。その中で、私の高校の先輩でもある清原さんは毎日、連絡をくれました」

PL学園時代、2年後輩の片岡さんは当時、清原さんの付き人で30年以上の付き合いがある。その清原さんが入院中の片岡さんに毎日、短いメッセージとともに花の写真を添えて送ってくれたのだという。

入院から17日後の4月24日、PCR検査で「陰性」の診断を受け、無事に退院した片岡さん。「“生きて出られる!”と。その時僕は、本当に涙が出ました。自分でもまだこんな涙が出るんやと思うくらい涙が出ました」と明かす。

退院した片岡さんは、先日自身のYouTubeチャンネルに清原さんを招き、メッセージと花の写真に対するお礼を言うことができた。そのとき清原さんは新型コロナウイルスと孤独に闘っていた片岡さんに花の写真を送り続けた理由を語った。

清原さんは「あの花は仰木彬元オリックス監督が『お前の引退の花道を作ったる』と言ってくれて、花人の赤井勝先生が引退試合の花を作ってくれた。その先生に電話して『片岡に花の写真を送りたいので頂けませんか』と頼んだら先生も協力してくれて。片岡の方が大変だったと思うけど、僕も執行猶予期間中ずっと一人でいて、4年間でいろんな人に助けていただいて、人間って一人で生きていけないと思って、人に感謝することを覚えた」と語る。

一時は死を覚悟したものの、その経験があったからこそ改めて気づいた人との絆。これからも片岡さんはその絆を大切にしながら、前に進んでいくという。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)