芸歴34年で、今ではYouTuberとしての顔も持つタレント・ヒロミさん、55歳。

9月17日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、番組MCの坂上忍とは30年以上前から親交があり、現在も『バイキング』で共演。“盟友”とも言える、ヒロミさんに密着。

ヒロミさんがリフォームした山梨県・河口湖にある“第二の自宅”を坂上が訪問。河口湖に新たに建設を計画しているものや、結婚から27年経った今だから語れる妻・松本伊代さんへの本音について語った。

元喫茶店の“第二の自宅”をリフォーム

ヒロミさんは都内に自宅を持ちながら、休日は河口湖畔にある“第二の自宅”で過ごしているという。

取材の日は、そんな“第二の自宅”まで坂上を自慢のマイボートで案内してくれた。

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気温30度を超える暑い日だったが、天気もよく、気持ちのいい風を受けながら、坂上は「(船舶)免許を取ろうかな」とこぼした。

“ヒロミリゾート”と呼ぶ、もう一つの自宅。「ずっとリフォームしていて、もう完成形。造ったけど、また直そうとか、いろいろ不具合出てきて、そういうのを直していって、もうそろそろイジるところないかなというところ」と話す。

出発から15分ほどして、到着した“第二の自宅”。

ガレージには、ウインカーランプをすべてLEDライトに改造するなど、ヒロミさんがこだわって手入れしているフォルクスワーゲン・タイプ3(1961年~73年製造)。乗せてもらった坂上は、「動いた!動いた!」と感激していた。

“第二の自宅”は、もともとは喫茶店だったという。河口湖エリアは、世界遺産・富士山の景観を守るために、新しい建物を建てることに制限があるため、喫茶店だった物件を購入し、5年かけて内装から外装に至るまですべてリフォームした。

100平方メートルあるというリビングは壁や仕切りのない開放的な造りで、正面には河口湖の絶景も。床のタイルもすべて張り替えたといい、ヒロミさんは「今住んでいる家も、ハワイの家も全部タイル」だと明かす。

「冬場はこれ1個で暖かくなる」という暖炉も披露。「暖炉は30万円くらいだけど、煙突が高くて100万とか150万とかする。夏のうちにまきを割って、乾燥させて冬場に燃やす」とヒロミさんが解説すると、坂上が「こういうのをみんな入れたがるけど、実際使わないじゃないですか。でも、ヒロミさんは使うんでしょ?」と質問。

ヒロミさんは「使う。だってすごく暖かいもん。悩み事があったらここで相談に乗るよ。そうしたら結構、本音がポロリと出るから」と話した。

さらに、坂上が嫉妬するほどのテラスにはトレーラーをリフォームした建物があり、中は夫婦専用のゴージャスなマッサージルームやタイルに富士山の溶岩を使い、河口湖を見ながらゆっくりできる広々としたバスルーム、伊代さんのために造った岩盤浴ルームも併設されていた。

「ママ(伊代さん)しか使ってないけどね」とヒロミさんが話すマッサージルーム。マッサージチェアからは河口湖を見ることができ、坂上はその豪華さに「嫌になっちゃう」とこぼしながらも「朝からずっとぼけっとできる」とリラックスした表情に。

なぜ、ここまで豪華な造りにこだわっているのか。その理由を「リゾートを個人で造ってみたかった」と明かし、その総仕上げで造ったのが、8人入れるという本格ジェットバス。

そんな“ヒロミリゾート”には、とんねるずの木梨憲武さん、バナナマンの日村勇紀さん、ANZEN漫才のみやぞんさん、ナインティナインの岡村隆史さんといった芸能界の友人もよく遊びに来るという。週刊誌やワイドショーで取り上げられ、気持ちが落ち込んだ芸能人が来ることもあり、ヒロミさんは「芸能界で痛手を負うとここに来たりしている」と明かした。

河口湖に学校を建設!?

そしてヒロミさんは、“ヒロミリゾート”の他に、河口湖で「学校を建設する」という計画を立てていることも告白。

「遊びの学校を造りたい。さっき、お前が『水上バイクに乗りたいな』って言って免許のことを聞いてきたけど、そういうことを“誰に聞くの?”とかってあるじゃん?オレがやっているもので、教えられたりするものを教えたい。遊びは危険も伴うから、心得を教えるための学校にしようと」

こう打ち明けたヒロミさんが、坂上に学校建設のために購入した土地を見せてくれた。

「学校がダメだったら畑にしてもいい。とりあえず、草刈りをして一度平らにしてから考えようかな」と200坪以上あるという土地の活用法を明かす。

常に動き続けているヒロミさんは「何かやりたいというよりも、何か造っていたいんだろうな」と語った。

若かりし頃は数々の大事件を…

今でこそテレビやYouTubeで大活躍のヒロミさん。

1986年、21歳のときに当時同じホストクラブで働いていたミスターちん、テビット伊東とB-21スペシャルを結成。六本木のショーハウス・バナナパワーで本格的な活動を始めた。

その後、バナナパワーの閉店に伴い、芸能事務所「プロダクション人力舎」に所属することに。今では、お笑いコンビのアンタッチャブルやおぎやはぎなど数々の人気芸人を抱える大手プロダクションだが、当時はまだ無名に近かった。

それから徐々にテレビ出演も増えていき、やんちゃなキャラをウリにブレイク。しかし、そんなヒロミさんは数々の大事件をやらかしてしまう。

「ヒロミ仰天事件簿その1」は、生放送を無断欠席してフジテレビを出入り禁止処分になったこと。

24歳のころ、生放送番組「オールナイトフジ」にレギュラー出演していたヒロミさん。ある年の年末からニューヨークを旅行し、正月に生放送のスペシャル番組に出演するために帰国する予定だったが、「B-21スペシャルは3人いるから1人いなくても大丈夫」と無断欠席。

当時の出来事をヒロミさんはこう語った。

「デビ(デビット伊東)が遅刻することはよくあって。オレは遅刻とかがなかったけど、デビがいないとか、ちん(ミスターちん)さんがいないとかあった。それでも『いいよ、いいよ』って言われていて、3人組って1人いなくても大丈夫なんだとどこかで思っていた。成田(空港)に着いたら、『フジテレビ出禁になってます』って。当時のプロデューサーが『てめぇ、なめてんのか。このやろう。今から坊主にしてこい』とか言って」

当時のプロデューサーを激怒させてしまい、頭を丸刈りにするはめに。

頭を丸めたヒロミさんはマネジャーとともに謝罪に行ったが、人力舎の社長には「出入り禁止だからまたニューヨークに行けるな」と言われたと振り返った。

「ヒロミ仰天事件簿その2」は、ヒロミさんが26歳のとき、バラエティー番組の収録で生死の境をさまようほどの大やけどを負ったことについて。

事件が起きたのは、B-21スペシャルがさまざまな企画に挑戦するフジテレビ深夜のバラエティー番組「1or8」。

中でも特に過激だったのが、「ロケット花火を背負って宇宙に行く」という無謀な企画。「人間ロケット」さながら、背負った1万本のロケット花火に点火した結果、花火が体に引火して全治4週間の大やけどを負った。

しかし、当時の番組では、今では不謹慎ととられかねないカラフルな背景で謝罪。ヒロミさんからの「地球は青かった」というユーモア溢れるメッセージまで放送されていた。

そして、事故から2ヵ月半後に退院したヒロミさん。

体の25%にやけどを負ったというこの事故に、ヒロミさんは「ノリちゃん(木梨憲武)がすぐに病院にきて見た目がヤバいから、『死んじゃうんじゃないか』って言ってた」と明かした。

「離婚の選択肢はない」妻・伊代への思い

さらに、その入院生活を陰で支えていたのは後に妻となる伊代さんだったという。

当時「オールナイトフジ」で共演し、アイドル絶頂期の松本伊代さんとひそかに交際していたヒロミさん。

伊代さんは忙しい仕事の合間を縫って、ヒロミさんの見舞いに訪れていたという。そして、ヒロミさんは看病する伊代さんに病室でプロポーズ。

ハワイで挙式し、その後、2人の子どもをもうけ、今では理想の夫婦と言われるほどに。

そんなヒロミさんは結婚から27年経ち、今だからこそ明かせる妻への本音について語った。

「あまりにも片付けが出来ないから、ケンカにもなるよ。たまにイラつくときもある。(坂上には)結婚という選択肢がないけど、オレの中では離婚の選択肢はない。離婚という選択肢がないから、仲良くするか、オレが笑って過ごすしかない」と明かす。

「何があっても離婚しないんですか?」と問う坂上に、「離婚はしない。もし、ママが『別れて』って言ったら別れるよ。でも、オレから別れることはないと思う」と話す。

すると、坂上が「伊代さんが悪いことしても?こういう聞き方は失礼かもしれないけど、浮気してもいいんですか?」と問うと、「許すよ。浮気したら別れるって人いるじゃん、『何で』って思うのよ。だって、それも含めて好きだから」と伊代さんへの思いを明かした。

10年間のビジネスでの経験は必要なことだった

今では幸せな家庭を築いたヒロミさんだが、その人生はまさに波瀾万丈。

27歳のとき、個人事務所を設立し、週10本もレギュラー番組を抱える超売れっ子芸人に。当時、お笑いブームを巻き起こした「ボキャブラ天国」で、司会を務めるなどテレビで見ない日はないほどだった。

しかしその後、時代の流れと共に次第にテレビ出演は減少。10年間、芸能界から姿を消すことになる。

「テレビを離れて、というよりは仕事がないからやらなかっただけ。別に必要とされていないからやめただけ」と当時を振り返るヒロミさん。

しかし、ビジネスの世界では大成功を収めた。

趣味のトライアスロンをきっかけに、加圧トレーニングジムの経営をスタート。その年商は3億円とも噂されたが、芸能界では経験できない多くのことを学んだという。

「芸能界にいたときは本当に“オレ様”だから。自分のプロダクションだし、オレの言うことは聞くわけだからワガママにやっていたけど、事業をしていろんな人を雇って、従業員に『大丈夫?』『メシ食ってる?』『休みたいときに休めよ』とか、気遣うようになって。オレにとってはすごく必要な10年だった」

その後、2人はともにテレビの世界から距離を置き、再びテレビの世界へ戻ってきた。

坂上はこの機会に、ヒロミさんに対してどうしても聞いておきたいことがあったという。

約25年前に、共通の知人の葬式で会ったとき、ヒロミさんから「お前、逝くなよ」と言われたといい、坂上はその意味をずっと聞きたかったという。

「亡くなり方もいろいろある。何か聞いてあげれば何か変わったかもしれないと思ったお葬式だった。当時のお前は、ちょっとそういうことを起こしそうな感じを持っていた。何も考えてなさそうで、思い詰める職業だし、お兄ちゃんを気取ってそんなことを言ったんだと思う」

そして、最後に30年以上、坂上を見てきたヒロミさんが今の坂上に思うことを明かした。

「お前はもうちょっと力を抜いて良いかなと思う。オレは芸能界を10年間離れて、そのとき、世の中の人は100%の力で仕事をしてないと感じた。100%じゃなくてもいいと。みんなが集まって100%になるのか、150%になるのか、そのくらいで良くて。でも、お前は100%でやり過ぎているし、やろうとし過ぎていると思う」

こう話すヒロミさんに坂上は「でも、合っていると思います。新型コロナウイルスのときは、本当に(番組を)降りようと思っていました。そのときに、ヒロミさんに『ちょっといろいろ考えちゃってます』と言いましたよね」と本音を打ち明ける。

「お前はそういう気質がある。25年前にオレが言ったのも、そう思っているから。オレは、結婚もそうだと思っていて、オレは50%でいい、ママも50%でいい。2人で100%になって家庭はうまくいく。まぁ、オレが70%くらいでママが30%のときもあるけど…」と笑う。

それを聞いた坂上は「ヒロミさんみたいな生き方できないな…」とこぼすと、ヒロミさんは「誰だってできるよ」と背中を押し、自分が計画している学校へ入るように勧めた。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

直撃!シンソウ坂上
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