侍ジャパンの世界一奪還に沸き、かつて無い野球熱の中で開幕したプロ野球。日本シリーズ2023では、阪神タイガースが38年ぶりの日本一を果たし、大阪が熱狂に包まれる中、シーズンは幕を閉じた。
そんな2023年シーズンを、12球団担当記者が独自の目線で球団別に振り返る。今回は、レギュラーシーズンでパ・リーグ3位の結果を残した、ソフトバンクホークス。
あと1歩のところで起きた悲劇
あまりにも衝撃的な幕切れだった。
1勝1敗で迎えたクライマックスシリーズファーストステージ第3戦、ソフトバンクは2位ロッテに歴史的な逆転サヨナラ負けを喫し、日本一への夢を断たれた。延長10回表に3点をもぎ取った直後に4失点、信じられない終幕だった。

「人生甘ないんで」
この試合、3点目のタイムリーを放った柳田悠岐(35)は、そう言い残して球場を後にした。キャプテン2年目のシーズンも、あと一歩のところで悲劇が待っていた。
「器じゃないんでね」
当時そう話していた柳田は、2022年、チームの福岡移転後4人目となる主将に任命された。
恩師である藤本博史前監督(60)からの強い要請で背負うことになった、「C」のマーク。
秋山幸二、小久保裕紀、内川聖一…、通算2000安打を達成した歴代の主将たちに続く「キャプテン柳田」の誕生に周囲は沸いたが、本人の受け止めは対照的だった。
「裏表あると、疲れるじゃん」。本音だった。

異次元のプレーでファンを魅了してきた柳田は、驚くほどに裏表がない。学生時代から知る広島の友人たちは、「昔から何も変わらない」と口を揃える。
「圧倒的V」の大号令の中でのキャプテン・柳田
今シーズン途中、学生客も多い街の居酒屋で遭遇した。
「ここのチャーハン、バリうまいけぇ」
あっという間に平らげ、店を後にした。個室ではなくカウンター席だった。
グラウンドでは後輩に「ギータ」と呼ばれても、タメ口で話されても、嫌な顔ひとつ見せない。若い育成選手とも、まるで友達かのように接する光景を何度も見た。その人柄が「人間柳田悠岐」最大の魅力である。
だからこそ、この2年間は苦しかったのではないだろうか。
言葉で引っ張る、黙々と背中で引っ張る、嫌われ役になる。
「キャプテン」のタイプはそれぞれだが、これまで見てきたキャプテンのイメージのどれにも柳田はあてはまらなかった。

「2位以下に10ゲーム差をつけるつもりで」
ホークスの今季は、王貞治球団会長(83)の「圧倒的V」の大号令で幕を開けた。
フロントも近藤健介(30)、有原航平(31)、ロベルト・オスナ(28)など総額80億円の超大型補強に乗り出し、本気度を見せた。リーグ最終戦、マジック1で優勝を逃した昨季の悪夢を振り払う一年になると誰もが思っていた。
柳田も万全を期した。1月、WBCの出場辞退を表明。
「身も心も100%に持っていくのが難しい状態だった。体がですね」
キャプテン1年目だった昨季は左肩やアキレス腱に痛みを抱え、規定打席に到達したシーズンでは初めて、打率3割を切った年でもあった。
気が付けばチームの日本人野手最年長。衰えを指摘する声も聞こえてきたが、必死に抗った。
「なんとか自分で打破できるような、そういう力を身に着けたいし、そうならないといけない」
3年ぶりのペナント奪還に向け、世界の舞台で戦うこともよりも主将として万難を排しシーズンに臨むことを選んだ。

心はサムライだった。春季キャンプではロングヘアーを束ねた「侍スタイル」で登場。周囲を驚かせた。
「この髪型どう思う?って聞いたらブーイングでした」
オフのトークショーで不評だったことも笑い飛ばしたが、その髪型もこの1年ですっかり板についた。
若い選手が打てないときに打つバッター
今季初本塁打は4月23日ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)。唐川侑己のカットボールをライトスタンドに叩きこんだ。17試合目、72打席目の第1号はレギュラー定着後、最も遅かったが、ヘルメットが飛ぶほどのフルスイングが、今なお代名詞。

このスタイルを引退まで貫くのだろうか。尋ねてみたことがある。
「それで(フルスイングで)クビになったらしゃーないと思っている。それでも(スイングが)小さくなったりするよ。毎日あるし。それじゃダメかなと思ったりもするし。あとは運じゃない?」
豪快なフルスイングは確かに、年々減ってきてはいる。35歳を迎えた柳田の打撃スタイルは、転換期にも差し掛かっている。それでも、今季はかつての輝きを取り戻そうとするのではなく、チームのためにヒットを重ね続けた。
「若い選手が打てなくても、僕が打てば彼らが結果にこだわらずプレーできる。そうすれば結果がついて来る。僕も先輩が打ってくれたから、自分はチームの結果にとらわれずに思い切ってプレーできて結果もついてきた。やっぱり若い選手が打てないときでも、打てるようなバッターになりたい」
気づけば安打数は、リーグトップに躍り出ていた。キャプテンとしての意地を見た。
ソフトバンク悪夢の18日間
7月、試練は夏場にやってきた。
オールスターを挟み、球団54年ぶりの12連敗(7月7日~24日)。貯金15で首位を走っていたチームは、瞬く間に失速した。
原因のひとつに、連敗を止める「エース不在」が影響していたことは間違いない。現・ニューヨーク・メッツ千賀滉大(30)が抜けた穴はあまりにも大きかった。チームが苦しむ中、悪夢の18日間に終止符を打ったのは、柳田のバットだった。

7月25日のオリックス戦(京セラドーム大阪)。
山本由伸と有原航平の投げ合いとなった一戦は、1-0とホークスの1点リードのまま終盤へ。8回2死一、二塁。山本の初球フォークをレフト線にはじき返した。生還した二走の近藤がガッツポーズ。つられるように、柳田は珍しく二塁ベース上で両の拳を何度も何度も突き上げた。
「勝つって本当、嬉しいことなんだなと改めて思いました。自分がもっと打っていれば勝てたゲームも間違いなくあったし、病んでいました」
「病んでいた」。柳田から聞いた初めてのフレーズだった。
チームが勝てないとき、ベンチ裏のミラールームで素振りをしていると、王会長から檄を飛ばされたことがある。
「お前が打つしかないんだよ!」
誰もが言う。
「ホークスは柳田のチーム」
キャプテンマークを身にまとい、結果と姿勢を見せ続けるプレッシャーは、人知れず柳田を苦しめていた。
レギュラーシーズン3位、CSファースト敗退、かつての常勝軍団に厳しい現実が突きつけられた。キャプテンとしては、受け入れがたいシーズンだったかもしれない。それでも柳田は、グラウンドに立ち続けた。
チームを優勝に導くことができなかった悔しさを抱えながら、9年ぶりに達成した全試合出場には価値がある。打率2割9分9厘、22本塁打、85打点。163本のヒットを積み重ね、3年ぶりに最多安打のタイトルを手にした。
庶民派のスーパースター
2軍監督だった小久保裕紀新監督(52)からは、チームを引っ張る立場としてアドバイスを送られていた。

「もがきなさい」
その「キャプテンの先輩」が、来季から1軍の指揮を執る。柳田はキャプテンの肩書こそ外すことになったが、チームの顔であることに変わりはない。
常勝軍団の再建に向け、かかる期待も大きい。

来シーズンはプロ14年目。ベテランの域に達した柳田に最近、それとなく聞いてみた。
「プロ野球選手って正直、どれくらい楽しいですか?」
少し間が空いたあと、“らしい”言葉が返ってきた。
「稼いでるかもしれんけど、今より金持ってない大学時代の方が楽しかったわぁ」
庶民派のスーパースターは笑いながら答えてくれた。ど派手なプレーでファンを魅了しながら、その立場でなければ分からない重圧や苦労がきっとある。
浮かべた笑みに、背負う者の覚悟がにじんでいた。
(文・内藤賢志郎)