長く続いた猛暑の影響か、季節外れの桜が咲いたというニュースも飛び込んだ2023年。

来年の桜は大丈夫かと心配する声も聞かれる中で、以前から唱えられているのが「染井吉野」の「寿命60年説」だ。

2100年には全国一斉開花というシミュレーションもある日本人にとって馴染みのある桜。

その歴史と桜の“危機“について、作家で科学ジャーナリストの茜灯里さんの著書『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(インターナショナル新書)から、花見の文化や名所の危機について一部抜粋・再編集して紹介する。

庶民の間でも桜は特別な花だった

花見の起源は、奈良時代の貴族が中国から伝来した梅の花を観賞したことにあると言い伝えられています。かつては、日本に古くからある桜よりも、中国産の珍しい花である梅を愛でて宴を開くことが一般的でした。

現在の元号「令和」の由来は、日本最古の歌集である『万葉集』であると知られています。

巻五には約1300年前に詠まれた「梅花の歌三十二首」が収められており、序文である「初春の令月にして気淑(よ)く風和らぎ梅は鏡前の粉を披(ひら)き蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」から引用されました。

この序文は、「梅花の宴」を開いた当時の太宰府長官、大伴旅人が認(したた)めたものです。

万葉集には桜を詠んだ歌も収録されていますが、桜の花見が始まったのは平安時代と考えられています。『日本後紀』には、嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に京都の神泉苑で「花宴之節」を催したと書かれています。記録に残る最古の「桜の花見」です。

平安時代中期には、桜の花見はさらに一般的になります。文学作品でも『源氏物語』には宮中で桜を愛でて宴を開く様子が描かれ、『古今和歌集』には桜の名所として吉野が登場します。

3万本あると言われる吉野の桜は、ほとんどが日本固有種である野生のヤマザクラです。

鎌倉時代になると、花見は武士や町人にも広まり、寺社などにも桜が植えられるようになりました。

花見の宴を盛大に開いた豊臣秀吉(画像:イメージ)
花見の宴を盛大に開いた豊臣秀吉(画像:イメージ)
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源頼朝や室町時代の足利将軍家も花見を行った記録がありますが、戦国時代や安土桃山時代になると大々的な花見の宴を開く武将が現れます。

特に盛大だったのは、豊臣秀吉が文禄3(1594)年2月27日(新暦4月17日)に開いた「吉野の花見」です。

総勢5000人の参加者には徳川家康、前田利家、伊達政宗らの武将や茶人、連歌師らが含まれており、吉水院(吉水神社)を本陣として5日間開催されました。

一方、庶民の間でも、桜は古くから特別な花でした。農民たちは桜の開花時期で農作業を始める目安にしたり、咲き方で豊作・凶作を占ったりするなど、生活に根差した樹木として大切に扱ってきました。

江戸時代になると都市部の町民文化が発展し、花見は桜を愛でる風雅な行事というよりも酒盛りを楽しむ娯楽として広がります。

植木職人によって桜の交配や改良も盛んに行われるようになり、江戸時代末期には、エドヒガンとオオシマザクラを掛け合わせた(種間雑種の)ソメイヨシノが誕生します。

“染井吉野”の「60年で寿命を迎える説」

ソメイヨシノは、花とともに赤色の葉をつけるヤマザクラとは異なり、花の時期には葉をつけません。

花は大きく、成長スピードは速く、枝が横に大きく広がって見た目が華やかなため、明治時代以降に急速に広まります。

現在は、本州の桜の名所に植えられている品種は、ほとんどがソメイヨシノ、かつ“染井吉野”です。

カタカナのソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの種間雑種全体の名称で、漢字の“染井吉野”は日本全国に接ぎ木で広がった特定の栽培品種を指します。

つまり、日本中の“染井吉野”は同じ遺伝子構成(クローン)です。

近年は、「“染井吉野”60年説」などとともに「桜の名所の危機」も話題になることがあります。

成長が速い“染井吉野”は年輪が疎になりがちで、樹木の強度が低いにもかかわらず横に広がります。風を受ける面積が大きいため台風などで折れやすく、折れたところから腐食してしまうことが多いのです。

さらに、桜の名所作りのために密集して植えられることも多く、樹木1本について本来必要な光、水、養分が得られる面積を与えられなかったり、多くの花見客に根元を踏みつけられて傷を負ったりしがちです。

しかも、もともと病気に弱い品種にもかかわらずすべてがクローンなので、カビが原因の「てんぐ巣病」などが起きると近くの“染井吉野”全体に病気が広がり、一気に枯死するおそれがあります。

“染井吉野”には約60年で寿命を迎える説がある(画像:イメージ)
“染井吉野”には約60年で寿命を迎える説がある(画像:イメージ)

“染井吉野”には、樹齢30〜40年が樹勢のピークで、50年を超えると幹の内部が腐り、およそ60年で寿命を迎えるという説があります。

かつては「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言い伝えがあり、枝の切り口からの腐食を防ぐために、桜は剪定しないことが常識でした。

けれど、東北屈指の桜の名所である弘前城では、1960年頃から同じバラ科樹木であるリンゴの栽培技術を応用して、積極的に城内の桜を剪定しました。

すると、300本以上の樹齢100年を超える“染井吉野”の古木が今も花を咲かせ、樹勢を保つことに成功しました。

剪定だけでなく、土の入れ替えや肥料の与え方にも工夫した「弘前方式」は全国に伝わり、寿命を延ばした“染井吉野”が各地にあります。

一方、樹齢60年近くなった“染井吉野”から、病気に強い後継品種の桜への植え替えをする自治体もあります。

東京都国立市のさくら通り(全長1.8キロ)には、1960年代に209本の“染井吉野”が植えられましたが、2010年頃からてんぐ巣病などによって幹が空洞になったり、強風で倒木したりするものが目立ち始めました。

市は2013年から、てんぐ巣病になりにくい桜の品種「ジンダイアケボノ」に植え替えを進めました。

桜の名所づくりを進める公益財団法人「日本花の会」は、これまでに200万本以上の“染井吉野”の苗木を提供してきましたが、最近は病気に強いジンダイアケボノとコマツオトメへの植え替えを推奨しています。

2100年頃の桜の開花状況は?

桜の名所の危機の原因は、樹木の寿命だけではありません。

九州では、すでに地球温暖化による暖冬の影響で、開花が遅れたり満開まで時間がかかったりする年があります。

桜の花芽(蕾)は前年の夏に作られ、冬の前に成長を止めて休眠状態になります。その後、冬に一定期間の低温(概ね3℃から10℃前後)にさらされると休眠から目覚め(休眠打破)、そこからは気温の上昇とともに成長します。

休眠打破のために必要な低温期間が足りないと、開花はかえって遅れます。そのため、2020年以降、九州では4年連続で北部から南部に桜前線が進む逆転現象が起きています。

加えて、近年は「満開までに時間がかかる」現象もみられるようになりました。

満開の定義は「標準木の80%の花が一斉に咲いている状態」なので、休眠打破がうまく進まないと花芽の成長の個体差が顕著になって、なかなか80%に達しない状況に陥ると考えられています。

地球温暖化の影響で地域によって開花が早まるという予測も(画像:イメージ)
地球温暖化の影響で地域によって開花が早まるという予測も(画像:イメージ)

九州大学名誉教授の伊藤久徳氏は、2009年の地球温暖化シナリオを使って2100年までの桜の開花についてシミュレートしました。

その結果、日本周辺の気温を平均で2〜3℃程度高く設定すると、東北地方で桜の開花が今より2〜3週間早まり、九州などでは1〜2週間遅くなる。

すなわち、3月末頃に九州から東北まで、“染井吉野”がいっせいに開花するという計算になりました。

さらに、種子島や鹿児島の一部では“染井吉野”は開花せず、九州南部や四国南西部、長崎、静岡などでは1本の木で開花がダラダラと続いて満開にならないという結果が出ました。

2100年に日本人は花見をできるのでしょうか。

地球温暖化を軽減し、あるいは桜の休眠打破をもコントロールできるようになって、平安時代から変わらぬ春の宴を開いていることを期待しましょう。

『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(インターナショナル新書)

茜灯里
作家・科学ジャーナリスト。著書に第24回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『馬疫』(光文社)、『地球にじいろ図鑑』(化学同人)など

茜灯里
茜灯里

作家・科学ジャーナリスト。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。東京大学農学部獣医学課程卒業。朝日新聞記者を経て、東京大学、立命館大学などで教鞭をとる。著書に第24回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『馬疫』(光文社)、『地球にじいろ図鑑』(化学同人)など