アメリカのカーネギー財団が「偉大な移民」の一人として称えたアーティスト、ヴィヤ・セルミンスさん。「芸術は人から人へと伝わる人間的なものでなくてはならない」と語る彼女がアーティストになった原点はアメリカだった。

幼少期の記憶、戦争

ヴィヤ・セルミンスさんは、第二次世界大戦直前の1938年、ラトビアの首都リガに生まれる。母国へのソ連軍による侵攻を受け、5歳の時、一家でラトビアを離れ、ドイツの難民キャンプにて幼少期を過ごした。1948年、セルミンスさんが9歳の時に米国のインディアナ州インディアナポリスに移住する。

セルミンスさん(中央)アメリカ移住前ドイツ・シュツットガルト 1948年courtesy of Vija Celmins Studio
セルミンスさん(中央)アメリカ移住前
ドイツ・シュツットガルト 1948年
courtesy of Vija Celmins Studio
この記事の画像(11枚)

当初は英語が話せず、絵を描くことに夢中になり、本格的に芸術の道へ進むことになる。
セルミンスさんは当時を振りかえる。

ヴィヤ・セルミンスさん:
学校へ行っても、私は教室の中で、ひとりで静かに座っていました。まわりで何が起きているのかは理解できず、そこで私は鉛筆を持ち、みんなが書いたり話したりしている間、絵を描いていました。

ロサンゼルスのアトリエにて 1964年Courtesy of Vija Celmins Studio
ロサンゼルスのアトリエにて 1964年
Courtesy of Vija Celmins Studio

セルミンスさんは、海、雲、月、星空、砂漠、そして蜘蛛の巣など自然界に存在するものや、身の回りの日用品を題材に、写真などのイメージをベースとして、鉛筆や木炭で描いた緻密な絵画やドローイングで知られる。また第二次大戦や難民キャンプなど幼少期の経験を彷彿させる作品も制作していて、原爆が投下された広島を描いた作品も発表している。

『ヒロシマ』1968年© Vija Celmins  Photo: Philip Cohen Photographic  
『ヒロシマ』1968年
© Vija Celmins  Photo: Philip Cohen Photographic 
 

戦争体験の影響は「あったと思うが、言葉にはできない」

――幼少期の第二次世界大戦のトラウマや、戦中・戦後に移住を繰り返した経験は、作品にどの
ような影響を与えましたか?

セルミンスさん​:
戦争が私の作品にどんな影響を及ぼしたのかは分かりません。私は政治的なアーティストではありません。ただ、つい先日「幼少期に同じような経験をした」アーティスト、ゲルハルト・リヒターさん※と、ドイツでの展覧会でご一緒しましたが、そのときの絵は、全体を通してかなり暗く地味で、ある種の陰鬱さや深刻さがありました。そして、あるイメージから別のイメージへと、常に変化していくような感じだったと思います。戦争が私の作品に影響を与えたのかは分かりませんが、何かしらの影響はあったと思います。ただそれを言葉にすることはできません。

※ゲルハルト・リヒターさん(1997年世界文化賞受賞者)とセルミンスさんは、今年5月に、ドイツのハンブルク美術館にて2人展「ダブル・ビジョン」を開催した。

ハンブルク美術館の展覧会にて 2023年5月At Exhibition “Vija Celmins/Gerhard Richter: Double Vision” Hamburger Kunsthalle, May 2023Photo: Mauricio Bustamanteセルミンス後ろの作品:『ランプ #1』1964年©Vija Celmins Photo: Sarah Wells, courtesy Matthew Marks Gallery 
ハンブルク美術館の展覧会にて 2023年5月
At Exhibition “Vija Celmins/Gerhard Richter: Double Vision” Hamburger Kunsthalle, May 2023
Photo: Mauricio Bustamante

セルミンス後ろの作品:『ランプ #1』1964年
©Vija Celmins Photo: Sarah Wells, courtesy Matthew Marks Gallery 

言葉で表現するのはとても難しいこと

セルミンスさん​:
私は言葉では表現できないことを描いていると思います。作品は完璧ではなく、「体験」しなければ分からないことで、その「体験」は人によって異なります。アプローチやリアクションも人それぞれで、また彼らが何をどれだけ理解しているのかも私には分かりません。ただ「敏感な視覚を持ち、作品に興味を持つ」人たちは、作品に対して様々な期待を寄せているような気がします。作品が何であるかを言葉で表現するのはとても難しいことだと思います。でも私は「複製品」ではなく「本物」を「本物の人」と一緒に「体験」してほしいと思っています。

『テレビ』1964年© Vija Celmins  Photo: McKee Gallery, New York   
『テレビ』1964年
© Vija Celmins  Photo: McKee Gallery, New York   

――海、雲、月、星空、砂漠、そして蜘蛛の巣など、自然を題材にした作品を繰り返し描いていますが、きっかけは何でしょうか? 

セルミンスさん​:
初期の頃、私は「抽象表現主義者」になろうとしましたが、ある時点で「イメージ」を使うことにしました。絵画は平面的で、絵画と対峙している現実の空間では「平面」をみていることになりますが、実際にそこには存在しない奥行が暗示されて見えてくるのです。イメージとは常にこの2つの場所があり、私はその点に興味を持つようになりました。説明するのは本当に難しいのですが、常にイメージに引き寄せられ、同時に遠ざけられているのです。

『無題(大きな海#1)』1969年© Vija Celmins  Photo: McKee Gallery, New York
『無題(大きな海#1)』1969年
© Vija Celmins  Photo: McKee Gallery, New York

私が油彩画から鉛筆による制作に切りかえたとき、私は海を題材に「表面」を記録しようと考えました。誰もが海に対して「あるイメージ」を持っていますが、目の前にあるのは海面の記録です。つまり二重の意味が存在するのです。それを理解するのには時間がかかりました。複雑に聞こえるかもしれませんが、しかし、この2つの事柄は私にとって、とても興味深いものなのです。時に作品はより平坦になり、時に立体的になるので、私は何度も繰り返し制作するのです。

『雲』1968年© Vija Celmins Photo: McKee Gallery, New York
『雲』1968年
© Vija Celmins Photo: McKee Gallery, New York

鉛筆の世界を探求、そして再び色を使った表現へ

――長年に渡って鉛筆を使って制作された後に、油彩画に戻られていますが、その変化についてお聞かせ下さい。

セルミンスさん:
油彩画については、色々と意見はあるでしょうけど、私はかなり技法を極めて自分でも才能が花開いたと確信した時期があって、そのとき、一旦リセットしたいと思ったのです。そこで、鉛筆を選びました。鉛筆はとても精密でピュアな道具だったから。そして私は鉛筆を12年ほど真剣に使い続け、徹底的に「表面」を描写することに専念し、ある意味、限界まで挑戦し、様々なレベルに到達しました。私は鉛筆での作品を探求しました。ただ、最終的には「真っ暗闇」に突き当たり、限界だと判断したのです。そしてより豊かな「表面」を求め、絵の具に戻りました。30年か35年前の話になります。それ以来、私は鉛筆を手に取る事はありません。

『蜘蛛の巣#3』2000-2002年© Vija Celmins Digital Image © The Museum of Modern Art/Licensed by SCALA / Art Resource, NY
『蜘蛛の巣#3』2000-2002年
© Vija Celmins Digital Image © The Museum of Modern Art/Licensed by SCALA / Art Resource, NY

人から人へ伝わる「世界」

セルミンスさん:
鑑賞者に何かを強制することはできません。人によって作られた作品は、完成すると、他の人に「与えられる」ような存在になると思います。その作品を素通りする人もいれば、好きじゃないと言う人もいるでしょう。その人たちには、作品が切り開いて広がって行く「世界」があります。芸術というものは、その「世界」を、人から人へ伝えることだと思います。
例えば私が大昔の芸術作品を思い浮かべるとき、ジョット (ジョット・ディ・ボンドーネ、中世後期のイタリアの画家)を想い、その世界を楽しみます。あるいは、彼がどんな芸術家であったのかを思い浮かべます。それは人間に関することで、コンピューターは私の道具ではありません。

人工知能(AI)の出現は芸術を消し去る危機

――不安定で困難な時代に、芸術はどのような役割を担っているとお考えでしょうか。

セルミンスさん:
私は芸術が無くなってしまうのではないかと恐れています。つまり人工知能 (AI)によって芸術が消えてしまうのを恐れています。人々が本当の芸術とはいえない、ただの「製品」を作るだけになり、人工知能 (AI)が、私たちが望むような芸術や音楽を作る世界になるのを恐れています。

『夜空(黄土色)』2016年© Vija Celmins Photo: Courtesy Matthew Marks Gallery
『夜空(黄土色)』2016年
© Vija Celmins Photo: Courtesy Matthew Marks Gallery

日本との出会いは『金閣寺』

――あなたの作品は、日本でも非常に高い評価を得ています。日本の現代アートについてどのような印象をお持ちですか?また、日本の若いアーティストにどのようなメッセージを送りたいですか?

セルミンスさん:
日本の若いアーティストには、とにかく創作の手は止めないで、そして自身の個性を作品のどこかに残して、と伝えたいです。日本文化、芸術からの影響に関しては、アーティストとして駆け出したころ、ロサンゼルスの大きなスタジオに一人で住んでいたときに、まず三島由紀夫の『金閣寺』と出会いました。それがきっかけで、谷崎潤一郎、夏目漱石、カズオ・イシグロといった作家を通して、日本の文化を知って愛するようになりました。
映画界からは黒澤明(1992年世界文化賞受賞者)、宮﨑駿、アートの世界からは杉本博司(2009年世界文化賞受賞者)や、同じ女性アーティストとして草間彌生(2006年世界文化賞受賞者)の、とくに初期の作品をもっと学んでみたいと思っています。そして奈良美智や、もちろん葛飾北斎など古い版画家たちや、1950年代の「具体美術※」の抽象的で暴力的な姿勢にも興味があり、その時代のアーティストについてもっと知りたいと思っています。
愛すべき文化を持つ日本から、このような賞を授与されたことを大変光栄に思っています。

※1954年に画家の吉原治良を中心に兵庫県の芦屋で結成された。誰の真似でもない、「今までになかったもの」を、おのれの自由を体現するための制作をする美術家集団。(文化庁HPより抜粋)

ニューヨーク州ロングアイランドのアトリエにて 2021年Courtesy of Vija Celmins Studio
ニューヨーク州ロングアイランドのアトリエにて 2021年
Courtesy of Vija Celmins Studio

現在ニューヨークのアトリエで、雪を題材にした作品を制作中だというセルミンスさん。
日本では何を感じて、何を思うのだろうか。

世界文化賞の授賞式は10月18日、東京・元赤坂の明治記念館で行われる。

(サムネイル:『ニューヨーク州ロングアイランドのアトリエにて 2023年5月』©️ 日本美術協会 / 産経新聞)

「高松宮殿下記念世界文化賞」の公式インスタグラムとフェイスブックはこちらから
【インスタグラム】https://www.instagram.com/praemiumimperiale/
【フェイスブック】https://www.facebook.com/profile.php?id=100094399780929

国際局
国際局

日本の視点で見た世界、世界の中の日本。
フジテレビ国際局から、アートやカルチャー、エンターテインメントを通じて紡いだグローバルな話題をお届けします。