今年の高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞するコロンビアのアーティスト、ドリス・サルセドさんは、内戦や紛争による“犠牲者の声”を身近な素材を使い、「暴力」「喪失」「痛み」「記憶」をテーマに彫刻やインスタレーション作品で表現します。彼女の作品は、不安定な時代に私たちに重要な問いを投げかけます。

コロンビア:現実と希望

南米で4番目に大きい国、コロンビアは、面積が日本の約3倍にあたり、カリブ海や太平洋、アンデス山脈、アマゾンの熱帯雨林など、豊かな自然に恵まれています。しかし、長年にわたる内戦や麻薬戦争の影響で、暴力や貧困、不平等といった問題が依然として続いています。経済や教育は着実に進展していますが、政治腐敗や環境問題など、解決すべき課題は多く残されています。

内戦の影を超えて

ドリス・サルセドさんは1958年、コロンビアのボゴタに生まれました。地元の大学で美術を学んだ後、ニューヨーク大学大学院で彫刻を専攻し、現在は世界的なアーティストとして精力的に活動しています。また、コロンビア国立大学で教鞭をとり、後進の指導にも力を注いでいます。

丘の上から見たコロンビア・ボゴタ ©️日本美術協会
丘の上から見たコロンビア・ボゴタ ©️日本美術協会
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サルセドさんは内戦が激化していた時期に育ち、貧困層や社会的弱者の苦しみを目の当たりにした経験が、彼女の作品に色濃く反映されています。彼女は「幼い頃から絵を描き、6歳でデッサンを始めて以来、アーティスト以外の道は考えなかった。アートは自分の生き方そのものだ」と語っています。

無視された記憶をアートで伝える

サルセドさんは、内戦で多くの命が失われた背景にある貧困や暴力を胸に刻み、都市部に住む人々がその現実を無視していることに疑問を抱いています。彼女は、コロンビアから世界を見つめ、発展途上国の“無視された声”をアートで伝える重要性を感じています。「重要なのは、無視されてきた弱者の物語を伝えること」と語り、作品を通じて過去の暴力や苦しみを呼び起こし、その記憶を蘇らせようとしています。

武器を溶かし、力と希望を取り戻す

―――『フラグメントス』の背景をおしえてください。

サルセドさん:
『フラグメントス』は私のお気に入りの作品のひとつです。この作品を作るきっかけは、コロンビア軍の関係者が武器を使って「記念碑」を作ろうと提案したことです。

『フラグメントス(断片)』 2018年コロンビア革命軍から差し出された武器のチェックPhoto: Juan Fernando CastroCourtesy of Doris Salcedo Studio
『フラグメントス(断片)』 2018年
コロンビア革命軍から差し出された武器のチェック
Photo: Juan Fernando Castro
Courtesy of Doris Salcedo Studio

私は「記念碑」には意味がないと感じました。そして、目の前にあった37トンの武器を“暴力の犠牲者を悼むため”に再利用することを決意しました。私は暴力を受けた女性たちを集め、溶かした武器を叩くことで“力強さを取り戻す場”を作り出しました。

『フラグメントス(断片)』 2018年溶かした37トンの武器から床タイル製造Photo: Juan Fernando CastroCourtesy of Doris Salcedo Studio
『フラグメントス(断片)』 2018年
溶かした37トンの武器から床タイル製造
Photo: Juan Fernando Castro
Courtesy of Doris Salcedo Studio

最終的に13,000個の武器を溶かし、アート作品として再生させました。この体験を通じて、彼女たちは新たな力を得て、希望を取り戻したと信じています。

椅子と記憶:過去と向き合う

―――『ノビエンブレ6&7』の制作意図を教えてください。

サルセドさん:
1985年、ボゴタの司法宮殿がゲリラ(アンブレラ運動)に占拠され、その後、軍の報復で100人以上の裁判官が命を落としました。この事件はほとんど報道されず、人々の記憶から忘れ去られていきました。

『ノビエンブレ6&7(11月6日と7日)』 2002年ボゴタの最高裁判所の壁に椅子280脚 ボリバル広場Photo: Oscar MonsalveCourtesy of Doris Salcedo Studio
『ノビエンブレ6&7(11月6日と7日)』 2002年
ボゴタの最高裁判所の壁に椅子280脚 ボリバル広場
Photo: Oscar Monsalve
Courtesy of Doris Salcedo Studio

しかし、17年後、私は司法宮殿前に椅子を並べ、失われた記憶を取り戻すための“追悼の場”を作りました。遺族たちは53時間その場に集まり、事件の重みを感じながら、その時間を共有しました。

『ノビエンブレ6&7(11月6日と7日)』 2002年ボゴタの最高裁判所の壁に椅子280脚 ボリバル広場Photo: Oscar MonsalveCourtesy of Doris Salcedo Studio
『ノビエンブレ6&7(11月6日と7日)』 2002年
ボゴタの最高裁判所の壁に椅子280脚 ボリバル広場
Photo: Oscar Monsalve
Courtesy of Doris Salcedo Studio

この体験を通じて、忘れられた記憶が今も生き続けていることを実感し、それを伝えることの大切さを改めて感じました。

母の記憶と浮かび上がる名前

―――初期の作品では名前のない人々の死を表現していましたが、いつから名前を使うようになったのでしょうか?その理由は?

サルセドさん:
以前、私は常に“無名の被害者”を取り上げてきました。彼らは社会から排除され、語られることもありませんでした。しかし、移民問題を目の当たりにする中で、被害者の家族が失った人々の名前を求めていることに気づきました。そこで、私は名前を使うことにしたのです。

『パリンプセスト』 2013-2017年スイス・バイエル財団での展示 (2022-2023年) Photo: Mark NiedermannCourtesy of Doris Salcedo Studio
『パリンプセスト』 2013-2017年
スイス・バイエル財団での展示 (2022-2023年) 
Photo: Mark Niedermann
Courtesy of Doris Salcedo Studio

『パリンプセスト』では、水滴が集まり、犠牲者の名前を形作る様子を描いています。水滴の美しさと塩辛さは、亡くなった息子の名前を探し続ける母親を象徴しています。名前は個人を超えて、すべての犠牲者を代表するものとして意味を持っています。

沈む土地、枯れる森:地球と共に生きる未来

―――最近のインスタレーション『根絶』は、気候変動や強制移住の影響をテーマにしています。

サルセドさん:
コロンビアの情勢が少し安定してきた中で、“気候移民”に注目しました。中央アメリカからアメリカへの移民キャラバンを通じて、気候変動の影響を実感しました。水不足や荒れた土地、消えゆく森など、地球の破壊が進んでいる現状を目の当たりにしました。

『根絶』2020-2022年804本の枯れ木と鉄Photo: Juan Fernando CastroCourtesy of Doris Salcedo Studio 
『根絶』2020-2022年
804本の枯れ木と鉄
Photo: Juan Fernando Castro
Courtesy of Doris Salcedo Studio 

この作品では、家の形をした構造物を使って枯れた森を表現しています。気候問題が深刻化する中で、私たちが地球をどう守るべきかを問いかけています。

視覚を超えて:チームと共に生み出すアート

サルセドさんは視覚障害を持ちながら、約40人のチームと共に作品を制作しています。目が不自由なため、建築家やエンジニアなどの専門家と協力し、大規模な作品を作り上げています。チームは一丸となり、難しい目標に挑戦しています。

『根絶』2020-2022年804本の枯れ木と鉄Photo: Juan Fernando CastroCourtesy of Doris Salcedo Studio
『根絶』2020-2022年
804本の枯れ木と鉄
Photo: Juan Fernando Castro
Courtesy of Doris Salcedo Studio

草の根から生まれる希望

―――広島でも展示された『プレガリア・ムーダ』の着想は?

サルセドさん:
コロンビアでは、軍の圧力によりプライドウィーク(※)中に多くの若者が命を落としました。その犠牲者たちに敬意を表し、私は棺の形をした作品を作りました。この作品は死を象徴しながらも、“新たな命の誕生”を意味しています。

『プレガリア・ムーダ(沈黙の祈り)』2008-2010年ポルトガル・リスボンのCAMでの展示(2011-2012年)Photo: Patrizia TocciCourtesy of Doris Salcedo Studio
『プレガリア・ムーダ(沈黙の祈り)』2008-2010年
ポルトガル・リスボンのCAMでの展示(2011-2012年)
Photo: Patrizia Tocci
Courtesy of Doris Salcedo Studio

展示では、2台のテーブルに草が生えた木の板を置き、草の成長を通じて“困難な状況でも生き延びる力”を表現しています。また、回転するテーブルを使って“軍による暴力の終息”を示しています。この作品を通じて、内戦が兄弟同士の殺し合いであり、無意味であることを伝えたかったのです。

※プライドウィーク:LGBTQ+コミュニティの権利を祝う週間

哀しみのバラ:傷ついた命

バラの花びらを使った作品『ア・フロール・デ・ピエル』は、ある看護師の悲劇的な運命を描いています。貧しい環境から看護師を目指して努力し、病人を助けていた彼女は、武装集団に連れ去られ、拷問を受けて命を奪われました。

『ア・フロール・デ・ピエル』2012年バラの花びらを縫い合わせた“埋葬布”バイエラー財団美術館での展示(2023年)スイス・バーゼルPhoto: Patrizia TocciCourtesy of Doris Salcedo Studio 
『ア・フロール・デ・ピエル』2012年
バラの花びらを縫い合わせた“埋葬布”
バイエラー財団美術館での展示(2023年)スイス・バーゼル
Photo: Patrizia Tocci
Courtesy of Doris Salcedo Studio 

サルセドさんは彼女の生涯を称え、その残虐な拷問にどう向き合うべきかを考えた結果、壊れやすく繊細なバラの花びらを使うことにしました。この作品は、拷問の残虐さを表現し、拷問に関する議論を呼びかけています。痛みを与えること自体が拷問であるということを訴え、コロンビアでの悲劇を世界に伝えようとしています。

―――コロンビアの貧困と暴力の中で、芸術はどんな役割を果たしていますか?また、アーティストとして活動する上での困難は何ですか?

サルセドさん:
私は、芸術が世界にとって欠かせないものだと考えています。政治的暴力や貧困は、世界を理解するために重要な問題です。植民地主義は平等を唱えながら、大きな不平等を生んでいます。

『シボレス』2007年テート・モダンのタービンホールPhoto: Sergio ClavijoCourtesy of Doris Salcedo Studio
『シボレス』2007年
テート・モダンのタービンホール
Photo: Sergio Clavijo
Courtesy of Doris Salcedo Studio

私たちは成功の裏に隠れた物語を知っており、貧困や植民地化の経験が重要なテーマになります。自分たちの物語を語り、過去の歴史を伝えることが私たちの使命です。失われた物語を引き継ぎ、過去と現在をつなげる歴史を再構築し、その不公平を訴えることが大切です。

『シボレス』2007年テート・モダンのタービンホールPhoto: Sergio ClavijoCourtesy of Doris Salcedo Studio
『シボレス』2007年
テート・モダンのタービンホール
Photo: Sergio Clavijo
Courtesy of Doris Salcedo Studio

現在、“罰せられない犯罪”をテーマに、世界の紛争地で起きている“意図的な破壊”によって命を脅かされる人々の物語を、“髪”を使って表現する作品を製作中だというサルセドさん。
日本では何を感じて、何を思うのだろうか。

「第35回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式は11月19日、東京都内で開催される。

(サムネイル:スタジオでスタッフと制作を進めるドリス・サルセドさん(右)
コロンビア・ボゴタ ©日本美術協会/産経新聞) 

サルセドさんと共に世界文化賞を受賞したソフィ・カルさん(絵画部門)、坂茂さん(建築部門)、マリア・ジョアン・ピレシュさん(音楽部門)、アン・リーさん(演劇・映像部門)の皆さん5人をフィーチャーした特別番組が2つ放送される。

「世界文化賞まもなく授賞式SP」
11月19日 14:45-15:45 フジテレビ系列(一部の地域をのぞく)
TVer・FODで見逃し配信あり
 
「第35回高松宮殿下記念世界文化賞」
12月13日 24:55-25:55 フジテレビ(関東ローカル)
12月14日 10:00-11:00 BSフジ
 
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