92歳の被爆者の女性が、この夏、1冊の本を出版した。「もう命は限られている。本で残せば私が死んだ後も…」という思いで書き上げた“自身の集大成”。彼女を突き動かしているのは、伝承への強い使命感だった。

14歳で被爆した少女のその後

『14歳のヒロシマ』(河出書房新社)。92歳の被爆者が伝える戦争と平和の話だ。被爆体験を中心に自身の半生がつづられている。

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著者は、14歳の時に爆心地から2.3キロの広島市西区の軍需工場で被爆した梶本淑子さん(92)。

梶本淑子さん:
今まで23年、被爆証言をしてきたんですけど、ここまで来るともう命は限られていますから。本で残せば私が死んだ後も誰かが読んでくれるかな、あの時のことを少しはわかってくださるかなという思いで

1945年8月6日、原爆で父を亡くし、母も長く患った。

自分の夢はあきらめ、幼い弟たちを必死で育てた。さらに、年頃になってからは結婚差別も。

梶本淑子さん:
被爆者、特に女の子は「結婚しても子どもができない」、「遺伝する」とか「うつる」とか、もうむちゃくちゃに言われましたからね

梶本淑子さん
梶本淑子さん

女性の被爆者は、子どもや孫が生まれる時、また病気になるたびに“被爆の影響”を心配しなければならなかったという。

「言わないとわからない」孫に言われ…

不安や葛藤(かっとう)を抱えて生きてきた梶本さんが被爆証言を始めたのは70歳の時。

梶本淑子さん:
最初は、話してもわからない、誰に話したってわかりっこないというのが、もう自分の中で固まってしまってね。言いたくなかった。でも孫に「言わなかったらもっとわからないよね」って言われて…

その後の梶本さんの活動は日本国内に留まらず海外へ。オンラインでイギリス議会で証言したり、来日したローマ教皇の前でも体験を語った。

2019年11月、広島市の平和公園を訪れたローマ教皇
2019年11月、広島市の平和公園を訪れたローマ教皇

梶本淑子さん(2019年11月):
恐ろしい悪魔の核兵器はこの地球上に存在してはならないんです。この苦しみを子どもたちや世界の誰にもさせてはなりません

ローマ教皇の前で被爆体験を語る梶本さん
ローマ教皇の前で被爆体験を語る梶本さん

与えられた、ごく短い時間の中で、少しでも原爆の残酷さを届けたいと必死だった。
また、若い世代へも働きかけた。被爆者の体験を地元の生徒らが描く「原爆の絵」の制作に協力。一人ひとりに向き合い、時間をかけて監修を行った。

「原爆の絵」を描く生徒たちに被爆証言
「原爆の絵」を描く生徒たちに被爆証言

無数の死体が横たわる大芝公園へ、負傷した友人を運ぶ絵。

水を求めて川に入り、息絶えて流されていく人々の絵。

証言をもとに描かれた絵は、今では梶本さんの証言活動にはなくてはならないものになっている。

修学旅行生らに「死の恐怖」伝える

ロシアによるウクライナ侵攻や核での威嚇が続く中、G7広島サミット開催も追い風となり広島市の平和公園や原爆資料館は多くの人でにぎわっている。

観光客などが長い列を作る広島市の原爆資料館
観光客などが長い列を作る広島市の原爆資料館

92歳の今も証言活動を続ける梶本さん。修学旅行生を中心に年間約130回も証言を行い、7月24日も原爆資料館で自身が被爆した時と同じ年頃の中学生に体験を語った。

7月24日、原爆資料館で修学旅行生に体験を語る梶本さん
7月24日、原爆資料館で修学旅行生に体験を語る梶本さん

梶本淑子さん:
私はここで死ぬるんだーと思った時、本当に怖かったです。火事になったらどこから焼かれていくんだろう。髪の毛に火が着くか、足からか、手からか。焼かれていく時はどんなに熱いんだろう、どんなに苦しいんだろう。死んでいく時にはどんな感じになるんだろう

死の淵を見た14歳当時の感情を、生々しい言葉で中学生に伝える。そして二度とこんなことが起こってはいけない、今の幸せや平和は決して当たり前ではないと訴えた。

梶本淑子さん:
忘れられた歴史は繰り返すという言葉がありますが、戦争が終わって78年。そろそろ忘れるんです。忘れたころに、また同じことを繰り返すのが人間です

証言を聞いた生徒:
世界中の人たちにこのことを知ってもらわないとダメなのかなと思いました

証言を聞いた生徒:
知るだけじゃ何も変わらないから、やっぱり行動に起こすことが大事だと思います

証言を終えた梶本さんは「今が直接体験を聞く最後のチャンスだと思います。もう本当に、被爆者はいなくなっているから」と言い、危機感をあらわにした。

92歳にして初出版 本で“伝承”

7月28日、この日は人生初の出版記念トークショーに挑戦。自分がいなくなった後にも伝える材料を増やしたい。そんな思いから、92歳にして初めて本の出版を決意した。執筆をサポートしたライターや、表紙を手掛けたアーティストも一緒だ。

平和公園のレストハウスで開かれた出版記念トークショー
平和公園のレストハウスで開かれた出版記念トークショー

現在の世界情勢について、梶本さんはこれまでの23年を振り返っても今ほど危険な状況はなかったと言う。

梶本淑子さん:
本当に今、正念場で、みんな本気になって伝えていかないといけないんじゃないかと思っております

被爆者たちに残された時間は限られている。伝えるという「小さな行動」が世界を動かすと、若い世代に奮起を促した。

執筆をサポートしたライター・村田くみさん:
被爆者がどんな困難を乗り越えてきたのかっていう、生きるメッセージみたいなところを読み取っていただきたいなって思います

トークショーを終えると、照れながらも求められるままサインに応じた。

サインを求められ、それに応じる梶本さん
サインを求められ、それに応じる梶本さん

梶本淑子さん:
戦争といったらどんなに大変なことになるのか。原爆といったらどんな被害が起きるのか。ただ爆弾が落ちただけじゃなくて、人間の心まで変わってくるんだから。そんなことをね、ちょっとでも知ってほしいなと思っています

梶本さんが、この本を読んだ人に一番お願いしたいこと、それは…

梶本淑子さん:
どうか戦争のない、核兵器のない平和な世の中にしてください。そのためには一人ひとりにお願いです。まず知恵を出してください。そして声を上げてください。行動を起こしてください。原爆であんなつらい思いをしてほしくないというのが、生き残っている私たちの願いです

孫の一言で奮起し、70歳で被爆証言を始め、92歳で本を初出版。伝承への使命感がそうさせるのか、梶本さんのエネルギーには圧倒されるばかりだ。
最後に、G7広島サミットで各国首脳が記帳した芳名録について聞いてみた。

梶本淑子さん:
本当に立派なことを書いてくださっているから、行動に起こしてほしい。私たちが監視しています、と言いたいんですよね。書いてくださっただけなら全く意味がないから

各国首脳が原爆資料館を訪問し、記帳した芳名録
各国首脳が原爆資料館を訪問し、記帳した芳名録

どんなに立派な言葉も、“あの日”を体験した被爆者の言葉を超えることはできない。次の世代に求められているのは、その壮絶な体験を想像し「小さな行動」を起こすことだろう。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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