プロバスケットボールのBリーグ・サンロッカーズ渋谷に所属する津屋一球選手が、和歌山県でチャリティーイベントを開催した。生まれつき耳が聞こえにくい津屋選手は、このイベント開催するにあたって強い思いがあった。
Bリーグ・トップクラスの選手が集結!
7月2日、和歌山市で、チャリティーイベント「mix plus(ミックスプラス)」が開催された。
主催したのは、「サンロッカーズ渋谷」に所属し、認定NPO法人「ones future(ワンズ・フューチャー)」の理事を務める津屋一球選手(25)。
和歌山県を本拠地にするプロ野球やJ1のサッカーチームはない。もちろん、プロのバスケットボールチームもない。
そんな和歌山で「子どもたちにプロのバスケを身近に感じてほしい」と、関西にゆかりのある同い年のBリーガーを集めた。
この記事の画像(15枚)津屋選手は生まれつき、耳が聞こえにくく、両耳に補聴器を付けている。
Q.難聴という障害をカバーしてBリーグで活躍できるにはどんな努力が?
津屋一球選手:
ぼくはもともと聴覚障害があるので、単純に、人に負けたくないっていう思いがずっとあるんで。休みの時でもその人たちより練習してやろうとか。バスケがあるから今、障害を乗り越えているところもある
子どもの頃から夢中になったバスケ。高校では京都の名門・洛南に進学し、世代別日本代表に選ばれるほどになった。
Q.聞こえる人たちの中で大変だなと思うことは?
津屋一球選手:
コミュニケーションとか「何て言うの?」みたいなこともあるので、そこはやっぱり困ることはあるけれど、でもそれをどう補うかが大切かなと思ったので。例えば、セットプレーが聞こえない、ボールの音が聞こえないとなったときにどうするか。まず、味方の動きを頭に入れるために、セットプレーの練習をしている映像をひたすら見るようにしています。聞こえ方の差が出ないようにというのを意識しています
Bリーガーという夢をかなえた今、毎年、社会貢献活動に力を入れている。
その原点は、聴覚障害者だけで行う「デフバスケ」の元男子日本代表監督の上田頼飛さんとの出会ったことだ。
津屋一球選手:
高3の時に上田さんに出会いました。それまでは、デフバスケを知らなかった。バスケをやっていて聞こえない状態なのが、僕自身、「僕だけが」って思っていた。その時に僕以外にも(聴覚障害者が)いっぱいいたので、ほっとしたというか気持ちが楽になった。それをきっかけにデフに限らずとか、ほかの障害がある人たちのために、やれることをやりたいという思いが、上田さんとの出会いで生まれました
聴覚障害者によるバスケットボールのことを「デフバスケ」という。選手はみんな聴覚障害があり、ボールのドリブル音や観客の声援、監督や味方のチームの話し声が聞こえにくく、または全く聞こえない状態でプレーをする。
選手同士はアイコンタクトや手ぶり身振りなど簡単な合図(ハンドサイン)でコミュニケーションを取っている。
試合中に選手は補聴器を外さないといけない以外は、健常者のバスケットボールとルールは変わらない。
Q.デフバスケの面白さとは?
津屋一球選手:
僕、普段(補聴器を)付けていて。(デフバスケの)試合の時は外してプレーするので、まったく聞こえない状態。それが本当に未知の世界だった。(補聴器を外してプレーすることは)逆に集中できたりします。それに改めて(他のデフ選手との)コミュニケーションの難しさを知り、すごく勉強になります。そこが楽しいです
上田さんやデフバスケに出会ったことで「人生が変わった」と津屋選手は話す。
「津屋ってる!」一流プレーで魅了
上田さんは、デフバスケ男子日本代表の監督に就任したのがきっかけで、障害者スポーツの支援をしたいと、結婚を機に住むようになった和歌山で認定NPO法人「one-s future」を立ち上げた。
また、2021年4月に社会人チーム「ONELYS Wakayama(ワンリーズ・ワカヤマ)」も発足し、そのチームには、聴覚障害がある選手(デフ選手)も所属している。
津屋選手は、デフバスケに出会ったことで、社会貢献したいと、上田さんに相談したのをきっかけに、認定NPO法人「ones future」の理事に就任した。
今回のイベントは、認定NPO法人「ones future」の理事として、初めての主催だ。そして、子どもたちにプロバスケを見せたいという理由とは別に、もう一つの理由があった。
それは、「デフバスケ」そして「デフ選手」のことを子どもたちに知って欲しいということだ。
この日のメインイベントは、津屋選手率いる「Bリーガー+デフ選手」のスペシャルチームと社会人チーム「ONELYS Wakayama」の試合だ。
この日は、審判も聴覚障害者が務めた。聴覚障害者が審判をするのは、これまではデフ選手しかいないデフバスケの試合のみだったが、今回のメインイベントの試合は、デフ選手だけでなく、Bリーグで活躍するトップの選手や健常者の選手が参戦。その試合に聴覚障害者を審判に起用したことは画期的な試みだ。
津屋選手が代名詞の3ポイントシュートで会場を沸かせる。イベントに詰めかけたおよそ700人を一流プレーで魅了した。
子どもたち:
すごかった!
ドリブルとかレイアップとかシュートをまねしたい
聴覚障害があるファン:
愛知県豊橋市から来ました。会社でも私の周りは聞こえる方ばかりで、コミュニケーションも大変なんですけど頑張ろうというエネルギーになる
津屋選手の思いは、子どもたちやファンにしっかり伝わっている。
閉会式。津屋選手、安堵の表情であいさつをする。
津屋一球選手:
こうやって皆さんが来てくれて無事に(イベントが)成功できたので今はほっとしています。この活動をもっと大きくしていきたいと思っているんで、来年再来年また来てくれたらありがたいです。今日は本当にありがとうございました
2025年に東京で聴覚障害者のアスリートの世界大会「デフリンピック」が開催される。津屋選手も東京デフリンピックに出場したいと願っている。
津屋一球選手:
2025年にデフリンピックがあるんですけど、僕たちはそれに向けて準備をしています。バスケだけじゃなくて、いろんな競技もあるので、やっぱそれを、日本の人たちに見てもらいたいという気持ちが一つあるのと、これからSNSなどで発信していくと思います。ぜひ応援していただけたらうれしいです
7月7日は七夕。津屋選手が短冊に書いた願い事は「社長になる」。願い事に込めた思いとは?
津屋一球選手:
プレーヤーをしながらこういう活動をしたり、いずれ自分がすべてを動かせるような男になりたいので、そういう意味で社長に
上田さんは、当時17歳の津屋選手が話してくれた、「自分は聞こえなくて困っていることが多いけれど、自分よりももっと困っている人がいる。その人たちの目標になりたい」という言葉がいまだに忘れられないと話す。
“人のために何かしたい”と思える人は強い。オンコートでもオフコートでも津屋選手は走り続ける。
(関西テレビ「newsランナー」7月7日放送)