2025年に東京でデフリンピックが開催されます。デフリンピックとは聴覚障害者アスリートの世界大会。「ろう者のオリンピック」とも呼ばれます。この大会のバスケットボール競技への出場を目指す、丸山香織選手に話を聞きました。

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世界選手権に2度出場 デフバスケットボール丸山香織選手

シリーズ第4回は、福井県出身の丸山香織選手(24)。2018年アメリカでの第3回U21デフバスケットボール世界選手権で準優勝し、2019年ポーランドでの第5回デフバスケットボール世界選手権では第7位だった。

丸山選手:
健常者のバスケとデフバスケの違いはコミュニケーション方法です。健常者なら声を出すけれど、ろう者や難聴者はアイコンタクトが重要。声を出しても分からないから、試合中にどうしたら声以外の方法でチームメイトに意思を伝えるのか、を常に考えています。この違いが面白いです

丸山選手は3歳の頃に耳が聞こえにくくなった。小学生のときはバレーボールをしていたが、中学校入学を機に他のスポーツをしたいと、バスケットボール部に入部。バスケの面白さや楽しさに夢中になった。

高校卒業後も、働きながら福井県の健常者の社会人バスケチームで活動していた。健常者のバスケでは、練習中や試合中、チームメートが何を話しているのか分からず、コミュニケーションに悩んでいた。

そんなとき、父親の知り合いから「デフバスケ」を勧められ、福井県のデフバスケチームに入った。

そのチームで、大きな影響を受けることになる須田将広さんに出会った。須田さんは2019年にポーランドで開かれたデフバスケ世界選手権で女子日本代表の監督を務めた「知る人ぞ知る」指導者だ。

須田さんの指導方法が自分に合っていたのと、健常者のバスケとはまた違うデフバスケの魅力を知ったことから、丸山選手は須田さんに付いていく道を選び、2022年7月、須田さんが代表理事でコーチをしているチーム「B-BALLY’d(ビバリード)」に入るため大阪に移住した。

丸山選手:
福井県はデフバスケチームがない。健常者の社会人バスケチームは、確かに技術を磨けるといった利点がありますが、私は“デフバスケ”がしたかった。大阪はデフバスケチームがいっぱいあるのと須田さんもいるので移住することに決めました

ーー須田さんはどんなコーチですか?

丸山選手:
とにかく楽しい!楽しく指導してくれるコーチです

ーー丸山選手はどんな選手ですか?

B-BALLY’d 代表理事 須田将広さん:
丸山選手は、日本デフバスケ選手の中でもトップレベルの選手。それに頭がすごくいい

ブラジルデフリンピックに不出場?

2022年4月に、日本デフバスケットボール協会(JDBA)は、男女デフバスケットボールの日本代表を解散し、5月に開催されたブラジルデフリンピックの参加を見送った。

ブラジル大会3カ月前に、須田さんはJDBA強化委員長に就任。須田さんを含めた新体制のJDBA理事会で話し合った結果、準備や資金不足もあり、男女デフバスケの日本代表をいったん解散することで仕切り直し、2025年に開催されるデフリンピックの参加を目指そうと決めた。

B-BALLY’d 代表理事 須田将広さん:
いろいろと準備不足でした。残念でしたが、改めて2025年に開催されるデフリンピックに参加するという目標に向かって体制を立て直すことにしました

丸山選手:
解散は残念だったが、2025年に開催されるデフリンピックに参加するという目標が見えてきたから良かった

強くするためには…手話ではなく「サイン」!?

2022年11月初旬にデフバスケ女子日本代表選考の合宿が静岡で行われた。その合宿で丸山選手は、日本代表候補の選手同士のコミュニケーションに問題があると気付いた。

プレー中のアイコンタクトが重要なのはもちろんですが、もっと簡単に、メンバー全員が一瞬で分かるような「何か」が必要だと感じた。

デフバスケ選手といってもひとくくりにはできない。声を出して話すことができなく、手話を使っている、また電話ができない…など聴覚障害の程度はさまざまだ。

下肢障害者といっても、車いすの人もいれば義足の人もいるように、聴覚障害者も、障害の軽さや重さもバラバラで、できること、できないことが人によって違い、生まれたときから耳が聞こえない人、病気や事故で耳が聞こえなくなった人、そして手話や口の形を読み取る口話といったようにコミュニケーション方法も異なる。

また、手話にもバリエーションがあり、日本手話や日本語対応手話、キュードスピーチ…といったようにたくさんの伝達方法がある。

育ちも環境も言語も全く違う選手たちが、チーム一丸となって、東京デフリンピックでメダルを獲得できる強いチームになるためにどうしたらいいのか…。丸山選手が所属しているB-BALLY’dでは、手話のように複雑なものではなく、試合中にチーム全員が一発で分かる「サイン」を作ることによって、聞こえる人も聞こえない人もみんなバスケを楽しめるのではないかと考え、「サイン」でするバスケ“サインバスケ”を提唱している。

丸山選手:
ろう、難聴、健常者が互いにコミュニケーションを取れるバスケ、“サインバスケ”を広めたい。健常者なら例えば、「コーナー」と声を出すが、ろうや難聴者は分からない。そしたら、「コーナー」という誰もがみんな一発で分かるサインを作れば、障害あるなしにかかわらず、みんなでバスケを楽しむことができると思います

2022年11月下旬、長居障がい者スポーツセンターの体育館で、丸山選手が練習しているところを取材した。

フリースローの練習を終えたら、次はドリブルの練習。丸山選手のドリブルやシュートがとても軽やかに見える。

須田コーチは「丸山選手が軽やかに動いているように見えるのはドリブルがうまいから」と話す。

練習中はチームメートとの“アイコンタクト”を人一倍意識している。練習相手がボールを弾ませるのに集中してしまい、ずっと下を見ていたときも、丸山選手は、相手が顔を上げて目が合うまで合図を送っていた。

後輩にプレーを教えるときにはゆっくりと優しく目線を合わせながら、指示していた姿も印象的だ。

丸山選手:
試合中にいきなりアイコンタクトをしようとしても、うまくいかない。だから普段からみんなに意識させるようにしています

須田コーチは、耳が聞こえない選手には、ドリブルを重点的に教えている。ドリブルが下手だと、ボールを弾ませるのに必死で下ばかり見てしまい、アイコンタクトや周囲の選手の動きを見ることができず、プレー中に仲間との意思疎通や連携ができないからだ。

JDBA強化委員長 須田さん:
ドリブルが下手な選手は、下ばっかり見ている。だからドリブルを上手にさせることで、顔を前に向けたまま周囲の様子も見つつプレーができるようになる

丸山選手の決意と将来の夢

2025年のデフリンピックの開催地が東京に決まった。このまま順調に日本代表となれば、丸山選手にとっては初めてのデフリンピックとなる。

丸山選手:
東京でやる以上は、日本人が応援してくれる。その期待を裏切らない。自分としては初のメダルを獲得したい。メダルをとることでこれまで応援してくれている方たちに恩返しをしたい

将来は、デフバスケを通じて、障害の程度がさまざまな多くの聴覚障害者、そして健常者をつなぐ“サインバスケ”を確立し、デフの子どもたちに夢を与える人になりたい…丸山選手はそう力強く語ってくれた。

これまで、2度のデフバスケ世界選手権出場を経験してきたが、デフリンピックはまだ経験がない。初出場となる東京大会ではメダル獲得を目指す。

(取材:関西テレビ報道センター 永川智晴)

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