6月末、ロンドン市内に突如現れた野球場。熱気あふれるファンが多く集まる場外を、あの斎藤佑樹さん(35歳)が訪れていた。

「スゴイですね。ロンドンではあまり野球は盛んではないと聞いていましたが、これだけの熱量があるというのはすごくビックリしました」
おととし現役生活に終止符を打った斎藤佑樹さん。高校時代の2006年、早稲田実業のエースとして夏の甲子園で優勝。 田中将大投手との死闘は、高校野球史に残る「伝説」となっている。
現在は野球に携わるすべての人のために、よりよい環境作りをする活動を行っている斎藤さん。その斎藤さんが今回、ロンドンを訪れた目的はーー。
「カージナルスのヌートバー選手が来てるので、その取材をしたいと思います」
斎藤さんとヌートバーといえば17年も前に出会っていた特別な間柄。試合前日、スタジアムで練習を行うヌートバーに会うために、スタジアムへと向かった。
当時高校3年生と9歳の出会い
メジャーリーグのロンドンシリーズが現地時間6月24、25日にイギリスの首都で開催された。

会場となったのは2012年・ロンドン五輪のメインスタジアムとして使用された「ロンドンスタジアム」。普段はサッカープレミアリーグ・ウエストハムの本拠地だが、その会場を野球場に大改造しての開催となった。「イギリスで野球?」と思われる方もいるだろうが、カブスとカージナルスの対戦に、連日5万人を超える観客が詰め掛けた。
取材に向かう道中、斎藤さんに二人の特別な関係の始まりについて聞いた。
「(彼は)いわゆるボールボーイ、バットボーイをやってくれていましたね 」
2006年、当時高校3年生だった斎藤さんが日米親善高校野球大会で、日本代表としてアメリカ遠征をした時、 当時9歳のヌートバー少年が試合のお手伝いをしていた。さらにこの時、日本代表のチームメイトが、ヌートバー家にホームステイしたこともあり交流が深まった。
こうした経験が「日の丸への憧れの原点」となり、ヌートバー少年は将来の夢として「日本代表」を目指すようになった。
「すごく懐っこくて、どの選手に対してもアプローチをしていく、 コミュニケーションが上手な少年だった事を記憶しています」と振り返る。
それから17年後。 ヌートバーは天性のコミュニケーション能力と磨き上げた実力で、日本代表に溶け込むと、 WBCでは不動の1番打者として出塁率は4割2分4厘を記録。侍ジャパンの世界一に攻守で貢献した。

そこで得た評価と自信にも裏付けられ、今シーズンもここまで、カージナルスの主軸としてキャリアハイに迫るペースで活躍を続けている。
もはや運命としか言いようのないヌートバーの歩み。その原点をとも言える二人がロンドンシリーズの会場で再会した。
ヌートバーへ17年越しの質問
この試合のために改造されたスタジアムで、軽めの調整を行うヌートバー。直接会話をしたいとの思いから、この日の取材のために英語の勉強をしてきた斎藤さんがグラウンド横で待っていると、練習を終えたヌートバーが気付き、自ら近づいて来る。
ヌートバー「こんにちは!」
斎藤「こんにちは!」
帽子を脱ぎ、深々とおじぎをして挨拶を交わす二人。
斎藤「コンディションよさそうですね?」
ヌートバー「まあまあです (痛めた)腰も大丈夫です 」
斎藤「WBCでは日本のために戦ってくれてありがとう 」
ヌートバー「こちらこそ 素晴らしい経験になりました 」
二人にとって久々となる直接の対面。
斎藤「WBCの経験で何を得ることが出来ましたか?」
ヌートバー「念願の優勝を達成できたことと、偉大な方々に出会えたことです」
そして、とっておきの質問を斎藤さんが尋ねる。
斎藤「もし17年前の自分に声をかけるとしたら、何を伝えたいですか?」
ヌートバー 「そうですね。『大きな夢を描け』と。僕は日本代表の一員としてWBCで優勝する夢が叶いました。 今はメジャーリーガーとしてロンドンに来ているのも夢みたいです。 大切なのは大きな夢を描くことだと思います」
斎藤「ありがとうございます」
ヌートバー「再会できてうれしかったです」
短い会話の中に、互いの誠実な人柄が垣間見えた。
母・久美子さんが徹した日本式教育
さらに試合当日。 斎藤さんにはもう一人、どうしても会いたかった人がいた。

久美子「斎藤く~んお久しぶり!元気だった?」
WBCで“一躍時の人”となった ヌートバーの母・久美子さんが、 夫のチャーリーさんとともに駆け寄って来た。
斎藤「もう17年経ちますね」
チャーリーさん「シンジラレナイ」
久美子「あっという間だよね」
出会った当時、まだ高校3年生だった斎藤さんから見た、当時の久美子さんの印象を聞くと…。

斎藤 「ギャルだった頃でしょ」
久美子 「『イケイケだった』って。イケイケって言わないでしょ普通(笑)」
17年前は斎藤さんの目に“ギャル”に見えたという久美子さん。しかし当時から、子育てでは “日本式の教育”にこだわっていたという。
「昔はやっぱりさ(ヌートバーは)打てなかったりすると、ダグアウトに帰ってバットとか投げてたりしてたけど、(私は)『そんなことするなら(野球)やるな!』という感じだった。バットを大切にできないならね。そういうのは日本的だったよね」
息子の怒りを沈めるため、時にはこんな“秘密兵器”を用意したことも。
「(自宅の)裏庭にパンチングバッグを買った時があったの。壁に穴があいても、ここ(手)にケガされるよりはいいからさ」
我が子の気性を見極めながら、メジャー挑戦という大きな夢を家族で支えて来たヌートバーファミリー。久美子さんは息子のこれまでの努力をこう語る。
「(メジャー登録から)落ちる時あるじゃない3Aとかに。『なんか自分はダメなんだな…』とか思っちゃう選手もいると思うのね。ラーズも絶対思ったと思うの。でもそこでめげないで、また上(メジャーに)もう1回戻ろうと頑張る時は、『やっぱり頑張っているな』と思う」
あきらめない心と、家族の後押しにも支えられ、メジャーリーガーという大きな夢を描くことができたヌートバー。 取材を通じて見えたのは、夢を信じ努力を続けるアスリートと、それを支える家族の愛情だった。

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