奈良の町家である観音像が見つかった。国の重要文化財級の発見かもしれないと注目が集まっているが、実はそこに知られざる過去があった。

町家の屋根裏で発見!“謎の石像”

2022年11月、奈良県大和郡山市にある町家を改修していた時のこと。はしごを上り、屋根裏に行くと…

何と!ここに歴史的大発見かもしれない“あるもの”があった。火鉢のような入れ物に保管されていた小さな“石像”で、その高さはわずか11.5センチ。

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子どもを抱えた観音像のように見えるこの謎の石像…調べてもらうために奈良文化財研究所に持ち込んだ。

奈良文化財研究所 上椙英之研究員:
観音として作られていたものが、マリア観音というかたちで仮託され(見せかけ)たか、そういった流れだと思いますので…

「マリア観音」 の可能性に言及。

他にも…

浦上キリシタン資料館 岩波智代子館長:
サイズが非常に似ているでしょう…作ったところが“C-650”とこれは一緒じゃないかなという気がします 

重要文化財の「マリア観音」と似る!?

キリスト教が禁止されていた江戸時代。キリスト教徒たちは、持ち物から信者であると悟られないよう観音像をマリア像のように見立てて、祈りをささげていた。

「C-650」とは、キリシタンの遺品として国の重要文化財に指定されている。特に似ているという、同じ重要文化財のC-649 「マリア観音像」と比べてみると…本物であれば、重要文化財に匹敵する大発見かもしれない。一体、どういうものなのか?

キリシタンのルーツは長崎県。戦国時代に一時、イエズス会の領土にもなった長崎には1600年代からキリスト教徒が数多くいた。

熊本大学でキリシタンの歴史を研究する安高啓明准教授は…

熊本大学文学部 安高啓明准教授:
1867年にキリシタンの大量検挙がありました。長崎・浦上村の一斉検挙で、4000人以上の人が西日本を中心とする、各地に追放されたのです。厳しい地域だと、体操座りをしないと居られないくらい小さいおりの中に座らされて、ご飯もままならない状態で改宗を迫ったり、拷問を受けた際に亡くなった方もいらっしゃいます

その一つが、奈良県大和郡山市。

なぜ奈良に“マリア観音”が? 知られざるキリシタンの歴史

「カトリック大和郡山教会」。ここにはいまも、殉教したキリシタンを悼む石碑がのこされている。

大和郡山に追放されたキリシタンたちは、マリア観音をイエス・キリストを抱く聖母マリアに見立てて祈りをささげていたのかもしれない。

カトリック大和郡山教会所属 阪井暢一さん:
分からないように小さな仏像らしく持っていたのかもしれませんし、寝静まって、心の中で祈るか、口に出さずに祈るとかそういうことをやっていたかもしれませんね

熊本大学文学部 安高啓明准教授:
いま、我々は信教の自由を憲法によって守られている。かつて凄惨なことを日本はやっていた。今後繰り返してはならない。(追放された先で)どういう風な暮らしをしていたのかは、地域で研究の進め具合に差がある。関西圏とかはあまり調べられていない。そのあたりを今後本当期待したい

3月下旬、石像は、キリシタンの故郷・長崎へ送られた。今後は分析を行い、マリア観音かどうか確認を進めるとともに、当時の時代背景を知るきっかけにしたいということだ。

(関西テレビ「newsランナー」2023年6月1日放送)

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