今シーズン、ピッチャー大谷翔平を支える「ピッチコム」。
メジャーリーグのピッチャーは、ランナーなしで15秒、ランナーありで20秒以内に投げなければならなくなったため、大谷選手は開幕戦からピッチコムを左腕に装着。自ら投げる球の「種類」と「コース」を決めてキャッチャーに伝えている。
ピッチコムはどう操作し、選手にはどのように聞こえているのか。
共同開発者のジョン・ハンキンスさんにピッチコムの使い方と開発秘話を聞いた。
「球種」や「コース」を発信
ーー「ピッチコム」はどんな装置?
ピッチコムは、ピッチャーやキャッチャー、そして他の全ての選手がコミュニケーションをとれるようにする装置で、サイン盗みを防ぎ、速く簡単にサインを送る手段です。
ピッチャーかキャッチャーが、リモコンのボタンを押して「球種」や「コース」を発信したり、けん制やバントプレーなどのサインを出して、それぞれの受信機から音声で聞こえる仕組みです。
音声はどの言語にも対応します。
英語、スペイン語、日本語、韓国語、フランス語など、選手それぞれが希望の言語を設定すれば、受信機からその言語で再生されます。
発信側が「英語」でも、受信側がスペイン語を話す人であれば「スペイン語」、日本語がいいのであれば「日本語」で同時に聞こえます。

ーー試合中はいくつの機器が使用可能?
MLB(メジャーリーグ)では、フィールド上で「発信機2つ」、「受信機5つ」を認めています。
発信機はフィールド上にあることが条件で、アメフトと違ってコーチや報道関係者のプレスボックスなどでは使用できません。

発信機は「ピッチャー」と「キャッチャー」。
受信機は通常「ピッチャー」「キャッチャー」「ショート」「セカンド」「センター」が持っています。
そして故障した際のバックアップを含め、受信機は12機配備されています。
手品師の経験から発想
2月のキャンプ初日から機器を装着して練習していた大谷選手。
ピッチコム開発のきっかけは、「サイン盗み」対策だったとハンキンスさんは話す。

ーー装置を開発したきっかけは?
ヒューストン・アストロズのサイン盗みスキャンダルの記事を読んだ翌日、「この問題は私に解決できるはず」と思いました。
手品師の経歴もあるし、特許を扱う弁護士資格も持っています。
また、電気系のエンジニアで野球ファンだったので、それらを全部組み合わせて「サイン盗みを防ぐ方法は何かあるはずだ」と思いました。
手品師は常に舞台でサインを出しているので、野球でもボタン式の発信器を作り、ピッチャーとキャッチャーがお互いのサインを見ないで『聞こえる』受信機を作ろう、と考えたのです。
共同開発者のクレイグ・フィリセッティさんは、音や手品の装置について世界中の手品師やエンタテイナーの間では有名な人ですが、彼に説明したら「多分できる」との返事が来ました。
それで、「やろう、新しいチャレンジだ」となったわけです。
私は特許関係の弁護士なので特許をすぐに取り、クレイグが約2週間後にプロトタイプ(試作品)を完成させました。
「わお!ショウヘイが使っているよ!」
しかし、MLBは当初、ハンキンスさんらの試作品には興味を示さなかったという。
そして起きたのが新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックだった。
ーー試作品にMLBの反応は?
2020年2月に試作品をMLBに持って行こうとしたら、彼らもブザーやウォッチ型などサイン盗み対策の方法を模索中で、私たちの持ちかけには興味を示しませんでした。
しかしパンデミックが続く中、MLBは何の結論にも至らず、10月に元MLB弁護士のドン・ギブソン氏の紹介でMLB関係者と面会することが出来ました。
そこで彼らが我々のプロトタイプを頭につけた瞬間、目が輝き、非常に気に入ってくれました。
その時、「これは当たりかも!」と思いました。

ーー発信機のデザインはどう考えた?
当初、「球種」は5種類あれば十分かなと思っていたのですが、そこでヒントになったのは、大谷ではなくて、ダルビッシュ有でした。
ダルビッシュは球種が12くらいあることで知られているので、「ボタンを増やさなきゃ」となりました。
簡単な操作性を失わずに付けられるボタンの数を検討したところ、「9」に落ち着きました。
さらにコースをどう組み入れるかを考え、それぞれのボタンに2つのことができるようにしました。
「短く押して球種」を選び、「長押しでコース」を選ぶ。
「球種→コース」の順で、2つ目のボタンを押した瞬間に送信する仕組みにしました。
ーー大谷がピッチコムを使うところは見た?
もちろん見ました。
彼が使ったのを見た時、「これはイケる!」と興奮しました。
ピッチコムは今でもオプションで、ピッチャーは使わなくてもいいのですが、MLBでは全チームが使うようになってきました。
大谷が使うと決めた時は、フィリセッティさんに「わお!ショウヘイが使っているよ!」とメッセージを送ったのを覚えています。
他のピッチャーはベルトやグラブに着けていますが、彼は腕の下に装着して独自のやり方で使いこなしています。ボタンを見なくてもどこに何があるのかわかっているのは、かなりスゴイことだと思います。
ピッチコムで守備陣も好プレー
新たな情報共有の手段ができたことで、守備力もアップしているとハンキンスさんは指摘する。
ーー使用に伴い、選手に変化は?
今年、ある選手が間違ったモード設定にしていてマウンドで問題が起き、違反を取られました。
その選手は「自分に責任がある、使い方を知っておくべきだった」と言っていましたが、確かに責任を伴います。
一方、選手の中には「自分にとって大きなプラスになった」と言ってくれる人もいます。
昨年はじめ、シンシナティ・レッズのセンターのニック・センゼルは、凄いキャッチを2つ見せました。
「どうやってそんなことができたの?」と聞かれた彼は、「ピッチコム」と答えました。
「投球コースがどっちになるかわかっていたから、フィールダーとしてもうひとつジャンプすることができた」と話したのです。

ーー盗聴されたりハッキングされる可能性は?
ラジオである限り、聞くことは可能です。
しかし聞けたとしても、激しくコーディングされているので内容は理解できません。
コードの数は世の中の砂の粒よりも多いです。
計算してもらったら、コードが判明するには1万年かかるという計算でした。
コードはイニングの最中にも変えることができるし、仮に誰かがラジオの音声を録音して、それがファストボールの音だとわかったとしても、新たな球種が送られるたびにコードは変わるので、繰り返すことはありません。
試合時間を平均6分短縮
日本のプロ野球にも、ピッチコム導入の可能性はあるのか。
ハンキンスさんは、「関心を示している球団はある」と話す。
ーー日本市場への期待は?
日本側からも結構接触を受けています。
プロ野球がどこまで真剣に検討しているのかはわかりませんが、簡単に使えるので、導入したければ用意はあります。

ーー装置の最大のアドバンテージは?
試合のペースやスピードです。
昨年のピッチコム導入当時で、試合が平均6分間短縮されました。
今年はピッチタイマーが導入され、ピッチコムを使わざるを得なくなりました。
サインを盗まれる心配もないし、プレーのペースが速くなるので試合を見るファンが増える可能性もあります。
ーー買う場合の値段は?
買えません、リースのみです。
大学野球でもMLBでも、壊れたら無料で新しいものを球団に発送します。
MLBとNDA(非公開合意文書)が結ばれているので金額は言えませんが、大学に対しては毎シーズンごとに、発信器、受信機、ウォッチ型ディスプレー(NCAAのみ)がそれぞれ500ドル。ピッチャー、キャッチャーと発信器の基本的な組み合わせなら、1シーズン1500ドルです。
すべて手作りで、アリゾナ州の工場で丁寧に作っています。
ーーネガティブな意見もある?
ネガティブな意見は沢山あります。
キャッチャーが指でサインを出していないことに腹を立てている人がいます。
野球の試合は昔、2時間~2時間半でしたが、最近は3時間半と長くなってしまったので、ピッチコムの導入で、1試合あたりの時間を短縮できたのは良かったと思っています。
ーー最後に、オオタニさんへのメッセージは?
素晴らしい仕事をしているので、やり続けてほしいです。
彼がピッチコムを使ってアメリカや世界で注目されているのを非常に嬉しく思っています。