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動物学者で作家の“ムツゴロウ”こと畑正憲さんが、5日、心筋梗塞のため、北海道内の病院で亡くなりました。87歳でした。

自らが作り上げた“動物王国”や、テレビ番組などを通じて、動物と人間の関係はどうあるべきか、人々に伝え続けてきたムツゴロウさん。

そんなムツゴロウさんの名を、一躍有名にしたのが、フジテレビ系で放送されたTV番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」です。

1980年にスタートし、2001年まで続いた“ゆかいな仲間たち”シリーズは、動物番組の先駆けとして、人気を博しました。

番組では、ムツゴロウさんが、危険なイメージがあるヒグマとも顔を寄せ合ってじゃれあったり、バクを優しくなでて寝かしつけるなど、様々な“仲間たち”とふれあいます。

海外に行くと、ふれあいはより大胆に…。カバに乗ったり、アナコンダとも怖がる様子ひとつ見せずにふれあいます。

多くのワニが生息する川に訪れた際は、川に飛び込んで水中の生き物たちとふれあいました。

ワニと一緒に泳ぐムツゴロウさん(画面右)
ワニと一緒に泳ぐムツゴロウさん(画面右)

番組の中で、ムツゴロウさんは、動物とのふれあい方について、こんなふうに話していました。

ムツゴロウさん:
人間もね、社長さんと付き合うときと、隣の子どもと付き合うときと、付き合い方違うでしょう?隣の子供と付き合うときに、「おはようございます、お元気ですか」?これじゃダメですね。「おはよう!元気か!?」と、こうでしょう?これと同じことですね。

「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」を手がけた、元フジテレビ・プロデューサーの髙橋和男さんは、ムツゴロウさんがすぐに野生動物と仲良くなれる理由をこう話します。

元フジテレビ・プロデューサー 髙橋和男さん
元フジテレビ・プロデューサー 髙橋和男さん

元フジテレビ・プロデューサー 髙橋和男さん:
野生は名刺とか何もないので、身ひとつでぽっと入るという。ムツゴロウさんのガードを全然しない感じが、ほいっと相手に合って…。
目の高さとかも上から見ると犬とかは嫌がるので、大体動物の目線と一緒くらいのところで。急な動きとかも全然しないし、声をかけて大丈夫だよといいながらそばに行って触って、よしよしと言いながら知らないうちに仲良くなっている。

さらに、そんなムツゴロウさんと動物たちとの“ふれあい”の邪魔をしないように、撮影スタッフたちも細心の注意を払っていたと言います。

元フジテレビ・プロデューサー 髙橋和男さん:
私たちは邪魔しないように。
撮影で行っている人が邪魔をするのが一番良くないので、現場のカメラマンとか、初めての人が行ったりすると、間違いがあるので。
いつもやっている人たちは大丈夫なんですよ。でも、急に海外でそのときだけ来る人とかがいると、カメラマンが撮ったりするときに、急な動きをしたりすると、雰囲気を壊すから。まず「鋭角的な動きはするな」と。横に振る際や、あっちにいい絵があると寄る際も、「ゆっくりやりなさい」と。「鋭角的な、急な動きは危険をはらむので、絶対にしちゃ駄目」と最初にカメラマンに言っていたね。

髙橋さんは、本来であれば、今月17日にムツゴロウさんに会いに行く予定だったといいます。

元フジテレビ・プロデューサー 髙橋和男さん:
ムツさんが17日に誕生日を迎えて88歳、米寿に。そこで集まったりして騒いだりしたり、ムツさんよろこんでいるのを撮れたらいいねと。去年くらいからそういう話しはしていたんですけど…。急でショックでしたね。

「動物王国」とムツゴロウさん…掲げた“アニマルファースト”

1972年に「ムツゴロウ動物王国」を設立したムツゴロウさん。
1996年の取材には、「動物王国」に対して、こんなことを話していました。

ムツゴロウさん:
(動物王国は)始めて2~3年で終わるかなって思ってたんですよ。
そしたら意外や意外にこれが長続きして20年を超したんですよ。本当に自分中心ですから自分が楽しければいいやって思っていたのがだんだんこうなった。

しかし、その後の活動は、順風満帆とはいえませんでした。

2004年、東京にも動物王国を作ったものの、わずか2年で経営が破綻し、その後、閉園。
週刊現代によると、抱えた借金は、3億円にも上ったといいます。それでも…。

ムツゴロウさん:
動物王国を35年やってきましてね。その間は自分が食べられなくても(スタッフに)給料を払わなかったことはないし、僕は“アニマルファースト”ですから。動物を飢えさせたりしたことは一度もない!

“アニマルファースト”を掲げ、前進していくことを誓ったのです。

2016年のフジテレビの取材でも、変わらない明るい表情を見せてくれたムツゴロウさん。
絵を描くことも続けていることを教えてくれました。

ディレクター:
すごい量の絵の具と筆ですね、ここで絵も描かれるし、執筆もされる?

ムツゴロウさん: 
そうですね、こっちで執筆して。元は床でやってたんだけど、腰がちょっと悪くなって。 

動物に関する知識の蓄積も、常に続けていたといいます。

ムツゴロウさんと10数年交流を続け、生前、ムツゴロウさんから「2代目ムツゴロウ」を名乗ってもいいといわれた、アジア動物医療研究センターのパンク町田センター長は、去年初めてムツゴロウさんの自宅に行ったときのことを振り返ります。

アジア動物医療研究センター パンク町田センター長
アジア動物医療研究センター パンク町田センター長

パンク町田さん:
心はすごい元気でしたよ。ただ、そのときもう先生も、3歩歩くだけで息が切れる。3秒たっても息が切れる。俺はもうダメだなとおっしゃっていました。
王国のスタッフから具合が悪いというのは聞いていたんです。知っていたんですけど、驚きましたね。

そのときに、ムツゴロウさんが渡してくれた「犬の絵」も見せてくれました。

ムツゴロウさんが、パンク町田さんに渡した犬の絵
ムツゴロウさんが、パンク町田さんに渡した犬の絵

パンク町田さん:
この絵を描いて頂いたときも、「俺ももういつ描けるか分からない、これが最後になるかもしれない」と…、もう息は切れ切れに描いてくれた一枚なんですよ。

終わる命と生まれる命…次世代へのメッセージ

6年前に心筋梗塞で緊急入院、その後も入退院を繰り返すなど、病と闘っていたムツゴロウさん。亡くなる10日前、YouTubeで配信された映像が、最後の“メッセージ”となりました。

そこで語られたのは、次世代への言葉…。

ムツゴロウさん:
心のつながりっていうのは、犬と人間が同じ作業をする上で、絶対に必要だと思ったものですね。心の底から楽しむということをね、子どものうちから身につけてほしいですね。何でもいいから、これをやっていれば楽しいんだってことを見つけてほしいですね。そうすると人生の色が変わってきます。

(めざまし8 4月7日放送)