金銭感覚が狂い、正しい判断ができなくなる。そして、仕事や生活にまで支障をきたすこともあるギャンブル依存症。衝動が抑えきれず、職場の金にまで手をつけ、借金を積み上げた依存症の男性たちがインタビュー取材に応じた。
「地獄。人生の底辺」と語った依存症の恐怖に迫った。
借りた金でパチンコを…「底辺でした」
福井市に住む「とも」さん(仮名)。現在48歳で、1人暮らし。グループホームで仕事をしていて、現在もギャンブル依存症の治療を続けている。

ともさん:
1,000円、1万円札を入れるが、お金じゃなくなる感じ。好きなだけ入れていた。気づいたら財布はすっからかん

幼少期に母親から虐待を受け、高校卒業までは児童養護施設で生活していた。ともさんがギャンブルを始めたのは20歳から。社会人になり、自分で生活費を稼ぐようになったころからギャンブルにのめり込んでいった。

ともさん:
気づいたらパチンコ屋にいた。勝ったら次の日行きたいし、負けたら取り戻したい。パチンコのことしか考えていなかった。週末は競輪、競艇の大きなレース。パチンコ、競輪、競艇が本能のように頭の中によぎる
気づいたら借金は600万円に膨れ上がっていた。当時、働いていた会社の社長に肩代わりしてもらった。さらに生活費の援助まで受けていたという。しかし、ギャンブルをやめることはできなかった。

ともさん:
借りた金でパチンコを打つ。結果負ける。ご飯食べられない。鬱(うつ)になり、救急車で運ばれ、結果入院することになった。その入院するまでが地獄というか、底辺でした

退院後、病院からギャンブル依存症の回復施設や自助グループを紹介され、通うようになった。そこで信頼できる相談員や仲間と出会い、悩みを打ち明けることで回復に向かっていった。

通い始めてからも、誘惑に負け、パチンコに足を運んでしまったこともある。ただ、その時は相談員から声をかけてもらい、すぐに帰ることができた。そして、23年間のめり込んでいたギャンブルから脱出することができた。以降、5年間はギャンブルを絶つことに成功している。「やめてからはすっきりした」と話す、ともさん。人との信頼関係を取り戻し、前向きになっていると話す。
「生きづらさを癒やすためギャンブルに…」
厚生労働省が2021年に行った調査によると、日本で過去1年間にギャンブル依存症が疑われる状態になった人は、約196万人と推計されている。これは日本人全体の1.6%、61人に1人の割合にあたる。
ギャンブル依存症に詳しい精神科医に、患者の精神状態を聞いた。

大森晶夫医師:
多くの人が生きづらさを感じている。それを自分で癒やすためにギャンブルに走る。家庭が面白くない、仕事が大変だが、ギャンブルに行くと忘れられる
コンビニのゴミ箱をあさって食いつなぐ
福井には、ギャンブル依存症に苦しむ人たちが週に一度集まる場所がある。「ギャンブラーズ アノニマス」という自助グループで、名前を明かさずに自身の経験や悩みなどを仲間に打ち明ける。

2年前からここに通う男性は、これまでの経緯を打ち明けた。
りんたろうさん:
ギャンブルで負けが込んできた時に、目の前に店のお金があった。それを使い、パチンコやギャンブルを始めた

りんたろうさんは、高校卒業後、国家公務員になった。しかし、20代後半で金銭を管理する部署に異動すると、管理していた金をギャンブルに使うため着服した。それが発覚し、退職となった。さらに、30代でコンビニの店長として働いていた時も、再び店の金に手をつけ、ギャンブルに使ってしまった。

りんたろうさん:
お金を使っているのがばれてしまうのが怖くなり、失踪した。逃げたいから自転車と歩きで福井から岡山まで移動した。その間もギャンブルをしたいという状況なので、お金はないがパチンコ屋に入り、落ち球を拾ってギャンブルを続けていた

当時はコンビニのゴミ箱をあさり、食いつないでいた。りんたろうさんは福井に戻り、2年前からこの自助グループに通い出し、ギャンブルと縁を切ることができたという。

りんたろうさん:
回復するのがギャンブル依存症だと思う。自分自身で頑張ってやめていきたいし、仲間とともにやめていければと思う

大森晶夫医師:
自助グループは、ギャンブルをやめている仲間や、先輩として同じ目線で話をすることがとても意味があるとされている
ギャンブル依存症は誰にでも陥るおそれがあり、一生治らないケースもある。少しでも危ないと感じたら、1人で悩まず、周囲に相談することが脱却への一歩となる。
(福井テレビ)