昨シーズン限りで現役引退を発表した、サッカー元日本代表・槙野智章(35)。
「1日24時間の中で、練習時間は3〜4時間。あと20時間は何やるんだ?」
若手の時に先輩選手から言われた言葉は、現役時代の自分の隣に常にあったと話す。
2006年にサンフレッチェ広島でJ1デビューを果たし、その後はケルン(独1部)、浦和レッズ、ヴィッセル神戸でプレー。年代別代表にも選出され続け、2018年に行われたロシアワールドカップにも日本代表として出場。
現役当時から「見ている人々を楽しませたい」という想いを原点に、様々な発想やパフォーマンスで、日本サッカー界を牽引してきた。

その“異質の輝き”の原動力は、一体何だったのか?それは常に自らが描く、未来の自分からのメッセージだったという。
突然の引退までの経緯
――まずは17年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。今はどのような活動をしているのでしょうか?
今は4つの軸の中で動いています。
1つ目は、選手を引退した理由が「監督になりたい」ということだったので、そのために必要なライセンスの取得を目指しています。
2つ目は、サッカーの軸で、サッカーのメディアコンテンツに出ること、もう1つはサッカー以外のジャンルでメディアに出ることです。
最後の1つはメンズコスメの会社を経営しているので、それを合わせて4つですね。
周りからは「現役時代に見せた顔じゃないから、凄く楽しいでしょ今」って言われています(笑)。

――まだ現役でもプレーできるという声があった中での、突然の引退には驚きました。どのような想いがあったのでしょうか?
正直言って葛藤は全くなかったです。
ただ、やはりプロである以上、僕のプレーを見たいとか、お金を払って見に行きたいと思ってくださっている人達に、自分のプレーで返すことが出来なかったのがまず一つです。
プロサッカー選手なので結果とプレーで返さないといけないし、それに加えて僕はずっとエンターテインメントを追求してきたので、喜ばせるとか、記憶に残るとか、そういうところをプレーで返せなくなったのが、昨年の自分でした。

次にそうした状況の中で、何が次の自分にとって大事か、選手と同じくらい輝けるのかと考えて逆算した際に、これから何試合出られるか分からない状況で現役を続けていくよりも、自分の次の目標が明確になっているのであれば、早くスタートを切って、日本サッカーのために自分の名前とプレーの価値がある中で、そっちに移行したいと思って決断しました。
ただ、現役続行か引退か揺れている時に妻から受けた言葉は響いたと明かす。

「実は奥さんからは現役を続けてほしいということは言われました。『私があなたの幼馴染で小学校の頃から知っていて、そういう決断をするんだったら尊重するけど、私はあなたがサッカー選手の時に出会っていて、サッカーをしているあなたしか知らない。だから、ずっとやれるんだったら続けてほしい』と。
僕は奥さんのことを“ライバル”って普段から言っているんですけど、職種は違えど身近にそうやって言ってくれる人がいるのは強みですね。でも最後は、『あなたの人生はあなたがしっかり決めなさいと、ただ引退したことに後悔はするなよ』って背中を押してくれました」
最も信頼する妻から伝えられた「後悔はするな」という言葉。しかし幼い頃から続けてきた“サッカー”に対して、すぐに踏ん切りは付けられたのだろうか。
現役生活に未練が無い理由
――同世代にはスター選手も多くいますが、報告はされましたか?
同世代は相談する人、しない人はありましたが、僕が普通の選手と違うのでみんな薄々気が付いていたと思いますよ。
カズさん(三浦和良選手)のように長く続けるのか、それとも逆にスパンと辞めるのか、「槙野らしくて良いんじゃない」という声は多かったです。

――サッカーの現場でのお仕事も多いと思いますが、未練は?
本心で言いますね。現場に行くじゃないですか、全く1ミリもやりたいと思わないんです。
自分の中でサッカーはもうやり切りました。キャンプ取材やワールドカップ、今Jリーグも開幕して、そういう現場に行かせてもらっている中でも全く復帰したいとは思わないですね。
やっぱりサッカーの現場に行くと、「スパイク履いて、グラウンド入って来いよ!」とか言われるんですけど、「良かった、サッカーができる場があって」とも思わない。それは自分の中で凄く気持ちが良い決断ができて、次にスライドできているからだと思います。そういう場に行ってモヤモヤする自分がいると、今の仕事も100%でできないですしね。

サッカー選手の平均寿命は2〜3年とも言われる。プロデビュー当初から活躍を見せていた槙野だが、実は意外にも早い段階から将来を見据えて、現役生活を送っていたと明かす。
――現役時代から、引退後の自分を意識していましたか?
19歳の時なので、プロ2年目から意識をしていました。
実はもう早い段階から、「将来は監督になりたい」と思っていたので、自分で“監督ノート”というのをまとめていたんです。

そのきっかけをくださったのが、その後11年に渡って一緒に仕事をすることになるペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌監督)です。
彼からサッカー観を学んだときに「なんやこの人は」と思いましたよ。自分がこれまで感じたことのない、違う角度からのサッカーの面白さや戦術を教わった時に、「この人のサッカーを学びたい」と思って。

プロ2年目から面白いと思った練習メニュー、文言、戦術などをノートに書いていました。インタビューや雑誌で監督がどういうこと言っているのかも見て、夢中になって書き込んでいましたね。
引退後は“自分”という名刺で勝負したい
プロ2年目から“監督”という夢に対して、動き始めていた槙野。さらにセカンドキャリアに苦しむ先輩たちの姿を見るにつれ、その思いはより強くなっていた。

――現役中はまずサッカーに集中して、引退後にセカンドキャリアについて考える選手が多いと思います。
僕は全くそうではなかったです。もう反面教師ですよね。上の先輩を見てサッカーだけをやってきた人達が、引退した後に苦しむ姿をこれまでたくさん見てきました。
だからできるだけ現役選手でいる時にサッカー以外の人達との付き合いを持ったり、色んな層の人に自分のことを知ってもらおうと、広島の時からローカルの朝の情報番組に出たり、そこでゴーヤを育てたりもしていました(笑)。僕にとってはそれも全て将来のために必要なことでした。
でも今振り返ると、現役の時に良い影響を与えてくれた先輩や指導者がいたことが大きかったかもしれないです。
槙野は、若手の時に先輩選手から言われた言葉が今の自分に繋がっていると語る。
「『お前サッカー選手だけど、サッカーサッカーするな』と言われましたね。『1日24時間の中で、練習時間は3〜4時間だと、あと20時間は何やるんだ?麻雀やるのか、酒飲むのか、ジム行くのか、人に会って話すのも良い、サッカー選手として羽ばたくための時間にしろ』って。
その言葉で何かサッカー以外の時間をどう将来のために活用するのか常に考えていましたね」

ーー引退後のセカンドキャリアで苦しんでいる選手を見て、どう感じていましたか?
僕達はサッカー選手である以上、“プロサッカー選手”という名刺があるわけです。
例えば、“浦和レッズの槙野”は所属チームがあっての名前だから、そこに対してみんなが握手を求め、声をかけてくれる。それが広島であっても、神戸であっても同じです。
ただそのプロサッカー選手という名刺が無くなったときに、自分の名前だけでどれくらいの人を引き寄せられるのかを考えたら、その価値は自分が現役選手の時に作り上げないと、引退後は無くなってしまう。選手じゃなくなった瞬間に、周りにいた人たちがみんな離れていく先輩たちをこれまで何人も見てきましたよ。
だから若手の時に、「自分はそうなりたくない」、「俺は絶対に引退した後に自分っていう名前で名刺を作りたい」と思っていました。

実際に槙野に対しては、「シーズン中にサッカー以外のイベントに出演するな」と、チーム内外で賛否の声があった。しかしその行動も本人にとっては将来を考えた上での選択だった。
「例えばそういうイベントに行くと、サッカー以外の多くの人も見てくれて、『本業のサッカーの方はどうなってるの?』と思われると思います。そうなると『これだけ見てくれる人がいるんだから、もっとサッカーも頑張らないと』というところに繋がる。
ただ、そういうイベントなどを蹴ってサッカーに専念する選手も多いですが、僕はそれも素晴らしい考え方だと思う。僕の場合はあえて他の選手とは違うやり方で厳しい環境を作っていたので、今後そういう選手が出てきても面白いかなとは思います」
現役時代から他の選手とは異なる輝きを放っていた槙野の行動や視点は、常に自身のセカンドキャリアに直結していた。
後編では、自身の今後について、“引退会見”を行わなかったきっかけとなる本田圭佑さんとのエピソードや、目標とする今話題のカリスマ監督の話を紹介する。