東日本大震災から12年、山形県内にも発生直後から長きにわたって被災地を支援してきた自治体がある。これまでの歩み、そして復興の先にある「未来」とは?

被災地の復興支え続けた「庄内町」

山形・庄内町の建設課技術主幹・菅原光博さん。2022年4月から被災地、宮城県・南三陸町に派遣され、町の道路整備などを担当してきた。

庄内町・菅原光博技術主幹:
不安はあったが、南三陸町に来ることは前から考えていた

この記事の画像(17枚)

震災から12年、庄内町は友好町である南三陸町に毎年職員を派遣して、被災地の復興を支え続けてきた。

12年前の3月11日、最も高いところで20メートルを超える津波が押し寄せた南三陸町。620人が犠牲となり、いまも200人以上の行方がわかっていない。震災の2日後の3月13日、庄内町から当時の幹部など3人が南三陸町へと向かった。

当時の総務課長・樋渡満副町長:
「(南三陸町と)連絡が取れない、車で向かってくれ」と当時の町長から指示を受けた。(南三陸町内は)がれきの山で前に進むことはできなかった。とても狭い林道を通り抜けると(災害対策本部の)ベイサイドアリーナに行けると知って、何とかたどり着いた

南三陸町・佐藤仁町長:
あの時、道路もない状態だったが、庄内町の皆さんは雪道を4~5時間かけて来てくれた。翌週、炊き出しの第1号が庄内町だった。温かいものを口にできていなかったので町民は泣いて喜んでいた

被災直後の支援物資や炊き出し、また、町民同士の交流にかかる交通費の補助など、庄内町によるこれまでの支援は多岐にわたる。中でも、あわせて6,700万円以上となる義援金と職員の派遣は、12年間にわたって続く息の長いものになった。

商業施設が建つまでに…進む復興事業

2022年度、庄内町から南三陸町に派遣された菅原さんが担ったのは、町の復興事業の「集大成」。南三陸町・歌津地区を通る国道45号沿線の整備だ。菅原さんは、この歌津地区の復興に特別な思いを抱いていた。

庄内町・菅原光博技術主幹:
私は庄内町の旧立川町の出身。立川町と歌津町が友好町であったことから、前から派遣の希望を出したいと思っていた

津波で大きな被害を受けた国道沿線の復興は、被災直後から動き出した一大プロジェクトだ。沿岸には防潮堤ができ、5メートル以上かさ上げした道路沿いには、商業施設「ハマーレ歌津」が建った。

そして、菅原さんが担当したこの広場がオープンすると、12年に及んだ復興事業がついに完了する。

庄内町・菅原光博技術主幹:
初めに来た時は完成を担う重責を感じたが、今年度中に完成が見込めるということで安心している。子どもたちの憩いの場であったり、歌津の活性化につながる場になるのかなと考えると(自分も)力になれたのかなと感じる

12年を経て、南三陸町では高台移転など住民の生活再建はすでに完了している。その記録を納めた震災伝承施設「南三陸311メモリアル」が2022年10月に開館。

これまでの支援への感謝を示すボードには、「山形県庄内町」の文字も刻まれていた。

南三陸町・佐藤仁町長:
(施設の)コンセプトは3つ。1つは震災を伝承すること、2つ目は感謝を伝えること。南三陸の復興がここまで進んでこられたのは、全国・世界の皆さまから支援をいただき、そのおかげで今の姿がある。その感謝を伝える。3つ目が防災を考える・自分の命を守る。そのためにどうすべきかを考えるという点がほかの施設と違う。ぜひ山形の皆さまにもお越しいただきたい

これからも続いていく…町の交流

庄内町では義援金の受付を2022年をもって終了し、職員の派遣も2022年度限りとした。一方で、息の長い支援や交流から、自らのこれからの街づくりにつながる大きな学びを得たという。

庄内町・富樫透町長:
子どもたちが、交流を通してお互いに学びあったことはすごく大きい。当時小学生だった子どもたちが12年たって成人し、町と地域のために、自分はどんなことができるのかという思いを持った若者が、南三陸町では増えたと聞いている。庄内町の子どもにとっても学びの場になった

震災を通して庄内町と南三陸町の結びつきはより強くなった。ただ、2つの町の関係はこれで終わりではない。

庄内町・菅原光博技術主幹:
(整備を担当した広場は)4月にオープン予定。その時にぜひ来たい。機会があればいろいろな面で足を運んで、観光や復興がどのくらい進んだか気にしながら訪れたい。1年間という短い間だったが、来られて良かった 

南三陸町・佐藤仁町長:
庄内町の皆さんは、あとで返せないくらいの手厚い支援を南三陸町のためにしてくれた。12年で支援が終わり、交流がなくなるということはない。お互いに職員を派遣し、人事交流をしながら庄内町との絆を深めたい

庄内町・富樫透町長:
(町は)防災拠点として、いつ何が起こるかわからない状況に対応しなければならない。町民の皆さまにも対応してもらわなければならないことも増えている。震災を経験した南三陸町だからこそ、学べる施設がたくさんできている。それをプログラムの1つとして交流事業をやっていきたい

「復興」の先にあるもの。多発する災害や人口減少など、様々な課題をともに乗り越えていくため、2つの町の「新たな交流」がこれから始まろうとしている。

(さくらんぼテレビ)

さくらんぼテレビ
さくらんぼテレビ

山形の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。