2011年 FIFA女子ワールドカップ(W杯)で快進撃を続け決勝まで進んだ“なでしこジャパン”。アメリカとの120分間の死闘の末PK戦を制し、初優勝を飾った。

彼女たちが帰国した空港には多くの人が駆け付け、優勝メンバーは国民栄誉賞を受賞。

3.11東日本大震災で影を落した日本に、勇気や感動の光を届けたのは間違いなく彼女たちだった。

その中心にいたのは、W杯史上最多6大会出場を誇る女子サッカー界のレジェンド・澤穂希さん。彼女の目を通した“なでしこジャパン”の現在地や、あの2011年大会で感じた思いなどを聞いた。

女子サッカー人気凋落はなぜ…?

あの2011年の歓喜から12年。日本で女子サッカーが人気とはお世辞にも言えない。

その証拠に、今年7月にオーストラリアとニュージーランドの共同開催で、W杯が開催される事さえ知らない人の方が多いのではないだろうか。

トロフィーを持つ2011年大会優勝メンバーの澤穂希さん、宮間あやさん
トロフィーを持つ2011年大会優勝メンバーの澤穂希さん、宮間あやさん
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それもそのはず。開催4か月を前にして、NHK・民放各局はまだ放送権を持っていない。

それどころか、大会主催者である国際サッカー連盟の仲介役を務める代理店ですら、その権利を持っていないのだ。つまり購入したくても店舗に在庫すらない状況という事だ。現段階では、日本で彼女たちの雄姿を見ることは難しいという事になる(3月13日時点)。

先月末にアメリカで行われた世界ランク1位のアメリカ、8位のブラジル、9位で東京オリンピック優勝チームのカナダといった強豪国との試合も、放送どころか配信でさえライブで見ることはできなかった。

これにはW杯優勝メンバーの川澄奈穂美さんが「今年はワールドカップイヤー。こんな良い試合を日本では観れないんだなんて ファン・サポーターのみなさん、離れていかないでください」、永里優季さんも「This is crazy」とSNSで危機感を露わにした。

スポーツとメディアは切っても切れ離せない。スポーツは多くの人の目に触れてこそ、その熱が高まるものだと思う。

今のなでしこジャパンは、カタールW杯のサムライブルーのように、連日盛り上がりを見せているWBC日本代表とは扱いに歴然の差がある。彼女たちの雄姿を見るためには、国民の関心と共に、メディアにもその魅力をアピールしないといけない。

そのために彼女たちに求められるものは何なのだろうか。

澤穂希さんは、自身の経験に加え、カタールW杯でのサムライジャパンの勇姿を例に、「勝ちにこだわらないといけない」と話す。

澤穂希が見たカタールW杯

2022年、カタールで開催されたW杯。

日本代表はドイツ、スペインといったヨーロッパの強豪国に勝利し、グループステージを2勝1敗の首位でベスト16に進出。日本代表3度目のベスト8への挑戦は、PK戦まで突入するも勝利とはならなかった。

しかし、日本中に歓喜と感動を与えた大会となった。澤さんはこの大会で「結果がすべて」と改めて感じたという。

2011年大会で優勝した佐々木則夫元監督と澤さん、宮間さん
2011年大会で優勝した佐々木則夫元監督と澤さん、宮間さん

――今年女子W杯が開催されるが、その前に去年の男子のW杯はどう見ていた?
日本で観戦していましたけど、非常に盛り上がりましたし、前評判ではなかなかスペインやドイツに勝つのは難しいと言われていた中で、世界の強豪に勝って盛り上がりました。

私たちのW杯(2011年)の時は、取材に来ていた人も限られていましたが、帰ってきた時は別世界でしたし、だからこそ「結果がすべてだな」って感じた去年の男子のW杯でもありました。

なので今年、女子W杯が開催されますけど、なでしこジャパンの皆さんには“結果にこだわって戦ってほしい”と思います。

――男子のようにサッカー熱を高めていくために、今、なでしこジャパンに必要なことは?
今回のアメリカ遠征だったり、4月の遠征だったりがありますが、代表選手が集まれる機会は限られていますし、短いです。

なので、その中でどれだけ濃い内容のトレーニングをできるかが重要ですし、あとはここまで来たらチームの連携・連動の部分でより質を上げていかないと、世界で結果を出すのは難しいと思うので、一日一日、日々の練習から無駄にしないように、試合同然の思いでやってほしいと思います。

個性的集団だった2011年なでしこジャパン

キャプテンの澤穂希選手を始め永里優季選手、大野忍選手、川澄奈穂美選手、宮間あや選手、岩清水梓選手、鮫島彩選手など、各ポジションに実力がある選手に加えて、タレントとして活躍中の丸山桂里奈選手など、個性あふれるメンバーがそろっていた2011年のなでしこジャパン。

その大会で手にしたトロフィーは、インタビュー中、澤さんの目の前にあった。今後トロフィーツアーとして、7月から始まるW杯の出場権を獲得している国と地域を、数か月かけて運ばれていくという。

――澤さんにとってW杯はどういう舞台だった?
本当に夢舞台です。自分のサッカー人生をかけた大会。

私自身も人生をかけた大会で優勝して、人生が本当にガラッと変わったから、本当に大きな大会だなって思います。

――女子W杯開催に先駆けて、トロフィーツアーが日本から始まる。目の前にトロフィーがあるが、目の前で見て、思い出すことは多い?
自分が掲げてからもう10年以上経ってるし、「デザインも変わったっけ?」みたいな気持ちもあったり、やはり目の前でトロフィーを見ると、あの時のことが思い出されるというか、夢の世界だった気がします。

――掲げた瞬間の感触や景色は今でも鮮明に覚えている?
はい。受け取って「ワーッ!」って持ち上げた時に、色んな意味で重かったです。このトロフィーも重いし、今まで自分がやってきたサッカー人生の思いが詰まってトロフィーを掲げた時間でもあったので、非常に重かったですね。

――澤さんの時はどうやってチームが一つになった?
どう考えたって2011年のメンバーは個性的過ぎて、「よくみんなまとめたね」って言うくらいです。本当に個性が強いメンバーが揃っている中でも、あんなにまとまれるものです。

私は自己主張することも大切だし、中で選手同士が喧嘩することも大事だと思う。それってサッカーに対する情熱であったり、サッカーに対する想いがあるからぶつかると思うので、自分の意見をぶつけあるとは決してダメなことではないので。

やっぱりチームがよくなるためには必要だと思うし、「今のチームには喧嘩はあまりない」って言っていたので、喧嘩とは言わなくても自分の意見をぶつけることも大切だと思います。

そういうことがあるからこそ、チームの目標とか、みんなが向かうところが一緒になるというか、それが2011年は凄くあったなって思いますし、それがチームの強みでもあったかなと思いますね。

――相当ぶつけ合った?
いやもう本当に。

でもそれを緩和してくれる選手もいたりして、バランスが良かったです。


2011年のなでしこジャパンは激しくぶつかりながらも、チームとして一つにまとまり、“優勝”という目標にひた走ることができたと語った澤さん。後編では彼女が見た今のチームの現在地と、W杯で勝利するためにすべきことについて聞いた。


澤穂希
15歳の時に日本女子代表に初選出。
2011年ドイツで行われたFIFA女子W杯では、キャプテンとしてなでしこジャパン初優勝に貢献、MVPと得点王に輝く。同年度にFIFA女子年間最優秀選手を受賞。
4度のオリンピック出場、6度のW杯に出場。
日本代表通算205試合83得点は共に歴代1位。
2015シーズンをもって現役を引退。

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