ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2月24日で1年。現地の車いす利用者の避難を支援しようと、長野県箕輪町の企業が「けん引器具」を送っている。開発のきっかけは「車いすの弟」と「東日本大震災」。体が不自由な人たちを支えたいという社長の強い思いに迫った。
車いす利用者の移動支える「JINRIKI」
ポーランド・ワルシャワ郊外。車いすを「人力車」のように引いて移動させている。車いすに乗っているのは、ウクライナから避難してきた男の子だ。
取りつけられた「けん引器具」は高齢者や障害者など車いすを利用する人の避難を支援しようと、遠く信州から送られたものだ。
株式会社JINRIKI 中村正善社長:
車いす(のパイプ)に当てて、締めてロックをして伸ばせは1本装着完了。(2本目も)当てて締めて、ロックをして伸ばしまして、最後に、車いすによって違うのが幅なので、ここで幅を調整して、止めれば装着完了です
箕輪町の企業が手掛けるけん引器具、その名も「JINRIKI」。

ロシアの侵攻により、ウクライナでは国内外に2300万人以上が避難している。移動が困難な車いす利用者も多く、「JINRIKI」はそうした人たちの移動を支えるものとして期待されている。
中村正善社長:
(自力では)たった1センチの段差も越えられないのが車いすの現状。あの人たちを避難させることができるのは、世界でこの道具しかないのでは
取りつけるのに特別な道具はいらず、初めてでも30秒ほどで済む。
後ろに補助者がつけば階段の上り下りも可能だ。

器具開発のきっかけは「車いすの弟」と「震災」
開発した中村正善社長。これまでに535台の「JINRIKI」を避難民のために無償で送っている。

中村正善社長:
命を守るというところからしたら、まだまだ足りていない部分かもしれませんが、大変な思いをされている方に明るい向こうを見ていただけるきっかけになったのかなと
「JINRIKI」は中村社長の「経験」と「災害」から考え出された製品だった。
中村さんは東京生まれで、弟がいた。生まれて間もなく小児まひにかかった善八さん。車いすの生活が続いた。中村さんは小学校の卒業文集に将来の夢は「整形外科医」で、弟のような体の不自由な人たちを救いたいとつづっていた。

中村正善社長:
全て弟が教えてくれたことだなと。(車いすを押す)不自由さも覚えたと同時に、それによって障害物を越えるノウハウも、経験で持つことができていたんですね。たぶん彼がいなかったら、そこ(「JINRIKI」の開発)に発想がいくこともなかったと思いますね
善八さんは14歳で亡くなった。
その後、金融系の会社で働いていた中村さん。2011年、子どもの頃の夢を思い出させる「災害」が起こった。東日本大震災だ。
中村正善社長:
犠牲者の中の多くは、避難が難しかった高齢者・障害者であることも知りました。その方々と一緒になって避難をあきらめてしまった、遅れてしまった、こういう方々がたくさんいることも知りました。少しでもできることはないか、役に立つためには何かしなきゃいけないと
中村さんは仕事をやめ、2012年、箕輪町で会社を立ち上げ、人力車から着想を得たけん引器具の試作に取り掛かった。

中村正善社長:
「1号機」は農業用ハウスのパイプを買ってきて、手で曲げて。こんな物でも車いすに取り付けたら、雪の中で動かなかった車いすが動いたんですよ
強度を高め、2013年、現在の「JINRIKI」が完成。翌年から販売を始めた。利用する学校や福祉施設からは感謝の手紙が届いている。
侵攻後、隣国ポーランドへ
そして、2022年2月に始まったウクライナ侵攻。中村社長はすぐに行動を起こした。クラウドファンディングで輸送費、渡航・滞在費を集めて、「JINRIKI」を送り、自身も2022年に2回、ウクライナの隣国・ポーランドへ。

千曲市出身で現地で避難民支援を続ける坂本龍太朗さんなどを通じて、避難所など「JINRIKI」約200台を寄付した。
「JINRIKI」で遠足にも…避難の男の子に笑顔戻る
中村さんには忘れられない避難民の男の子がいる。
中村正善社長:
サーシャ君という男の子なんですが、戦争というあの状況の中で、非常につらい思いでものを見てきたと思うんですね、ほとんど引きこもった状態になっちゃっているんですよ

車いす生活のサーシャ君。みんなと遠足にも行けず、ふさぎこんでいた。しかし、「JINRIKI」で遠足にも行けるとわかるとー。
中村正善社長:
そこから彼の表情がものすごく変わったんですよ、すごい笑顔になってくれたんですね。お母さんから、いろいろお話を聞いたら、「この子の笑顔、本当に久しぶりに見ました」と言ってくださった
社長「多くの命を救いたい」
中村さんは2月、新たに340台をウクライナに向けて発送した。

終わりの見えない戦闘。
中村社長は「JINRIKI」の現地生産も考えている。
中村正善社長:
困っている人たちは何百万人もいるんですね、復興までには何十年もかかるんです。その中で500台くらい送っても、プールに対しての「数滴のインク」でしかない。少しでも多くの命を救えるための努力をしたいと思っています
(長野放送)