東日本大震災から12年。831人が犠牲(行方不明211人)になった宮城県南三陸町では、住民の生活基盤整備、水産や観光などの産業支援、そして環境の国際認証取得など、復興から次の世代に向けた取り組みへと加速させている。震災以来まちづくりでリーダーシップを発揮してきた佐藤仁町長に南三陸町のいまを聞いた。

津波で九死に一生を得た町長が陣頭指揮

今年1月筆者が南三陸町を訪れると、曇り空にもかかわらず「震災復興祈念公園」や「さんさん商店街」、昨年できたばかりの「311メモリアル」に観光客がひっきりなしにやってきた。そして43人の職員が犠牲になった防災対策庁舎では、いまも献花に訪れる人たちが後を絶たなかった。

震災以来南三陸町は住宅や公共施設の高台移転を進め、観光や水産など産業の再建を後押ししてきた。町の復興の陣頭指揮をしてきたのが、佐藤仁町長だ。佐藤氏は発災時、防災対策庁舎で津波にのまれたが九死に一生を得た人だ。

佐藤町長は津波にのまれたが九死に一生を得、復興の陣頭指揮をとってきた
佐藤町長は津波にのまれたが九死に一生を得、復興の陣頭指揮をとってきた
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高台移転で2度と命を失わないまちづくり

「南三陸町は津波の歴史なのです」

この12年の町の歩みを伺うと佐藤氏はこう語り始めた。

「この町は120年で大きな津波が4回もあり、その度に多くの命と財産が失われました。東日本大震災では831人の方々が犠牲・行方不明になり、この悲劇を二度と繰り返してはいけないという思いがありました」

そしてさらなる悲劇を防ぐためには高台移転しかないという思いから、南三陸町は震災の翌月には移転を決めた。

「移転は個人の土地財産の問題が絡むので、基本的にすべての住民の合意がなければいけない。住民との懇談会では『2度と命を失わない町を作りましょう』と説明したところ、津波の恐怖が残っていましたから1人も反対しませんでした」

震災復興祈念公園にある碑には「いま碧き海に祈る 愛するあなた 安らかなれと」と刻まれている
震災復興祈念公園にある碑には「いま碧き海に祈る 愛するあなた 安らかなれと」と刻まれている

「買い物と命のどっちを取るのか」

当時高台移転による高齢者の買い物難民化が問題視されていた。しかし佐藤氏は「買い物と命のどっちをとるのか」と高台移転を押し進めた。

「町は通販利用者が多く、JR東日本が交通システムを電車からBRT(※)に変え、町民バスと連結させたので利便性が高まりました。さらに役場と病院などがある高齢者向き団地と、保育所や小中高校が近くにある子育て世代向き団地に分けて、町民が住みやすい場所を選択できるようにしました」

(※)バス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略。バスを基盤とした大量輸送システム。

ただし、成功したと思われた高台移転にも反省点があると佐藤氏はいう。

「当時町内には仮設住宅を建てる土地が圧倒的に少なく、電気や水道も数か月無かったので隣の市に仮設住宅をつくらせてもらいました。しかし結果として人口流出に繋がったという側面は否めません」

写真提供:南三陸町
写真提供:南三陸町

15万人のボランティアとの関係を続ける

南三陸町の人口は、震災前約1万7千人だったが、現在は1万2千人と5千人減少した。佐藤氏は「国の人口が減少する中、町の人口を増やすのは難しい」と、関係人口づくりに力を入れた。

「町に震災ボランティアとして登録した方は15万人いて、こういう方々との関係づくりをずっとやってきました。いまも多くの方が『震災時にボランティアをした南三陸がどうなったのかな』と訪れてこられます」

写真提供:南三陸町
写真提供:南三陸町

一方産業の復興はどうだろうか?佐藤氏は「人手不足なのです」という。

「国の補助金制度で水産業などの再建は進んだのですが、働く人がいないのが課題です。一方観光産業は、観光客数が震災前の年間108万人を超え144万人まで増えたのですが、コロナでまた落ちました。ただ幸いなことに311メモリアルが昨年10月にできてから回復基調になっています」

かつての震災ボランティアが立ち上げた「南三陸ワイナリー」ではワインを海中熟成。ボトルには貝やフジツボが
かつての震災ボランティアが立ち上げた「南三陸ワイナリー」ではワインを海中熟成。ボトルには貝やフジツボが

居心地のいい商店街をつくるための知恵を

観光の目玉の1つ、「さんさん商店街」はとても居心地のいい空間だった。佐藤氏にこのことを話すと、「居心地よさを感じてもらうために知恵を出し合った」という。

「他の被災自治体では、商店をとにかく早く作ろうとプレハブを建てて、そこに来る人の居心地のよさをあまり考えなかったんですね。私たちはほぼ1年かけて町外の専門家も呼んで知恵を出し合いました。結局仮設時に年間40万人が訪れるようになり、本設になってからは60万から70万人が訪れています」

南三陸さんさん商店街は居心地のいい空間が広がる
南三陸さんさん商店街は居心地のいい空間が広がる

「311メモリアル」でも「後発の優位性」(佐藤氏)を活用して工夫を凝らした。

「ほかの地域ではすでにそうした施設が出来上がっていましたが、こちらは12年目にしてのオープンです。皆でコンセプトを考え、支援を頂いた方々に感謝を伝えること、防災を学ぶ場にすることにしました。ですからシアターでは、『自分の命をどうやって守るのか』を考えるプログラムを行っています」

311メモリアルでは「自分の命をどう守るか」考えるプログラムを実施
311メモリアルでは「自分の命をどう守るか」考えるプログラムを実施

防災庁舎の存続・解体は「どちらも正解」

そして「震災復興祈念公園」では43人の職員が亡くなった防災対策庁舎の存続を巡り、町は賛否両論となった。佐藤氏は「どちらも正解なのです」と苦渋の顔を見せる。

「遺族の半分は『子どもが亡くなった場所は見たくない。解体してほしい』、半分は『親が最後まで頑張った場所を残してほしい』と。相反する意見はどちらも正解なのに、どちらかに手を挙げるのは難しかった」

結局防災対策庁舎の存続を巡る判断は、宮城県が仲裁に入る形で2031年に見送られた。

「パブリックコメントをやると存続賛成は60%、反対は35%でした。今後どうするかについてはまだ悩ましい問題がありますが、自分が在任中に何らかの形で決着をしたいと思います。個人的な考え方としては、私は残すべきだと思っています」

43人の職員が亡くなった防災対策庁舎は存続と解体で意見が分かれた
43人の職員が亡くなった防災対策庁舎は存続と解体で意見が分かれた

町は壊滅。ゼロから国際基準を目指す

最後に今後の南三陸町の展望について聞くと、佐藤氏は「町の復興計画に『エコタウンへの挑戦』があります」と語り始めた。

「電気も水道も情報もない生活を経験した南三陸町民だからこそ、化石エネルギーに頼らない街づくりができると思います。また環境保全のために、林業では森を守る国際認証であるFSC認証を、海では牡蛎養殖業でASC認証をとりました。さらにラムサール条約(※)に登録し、海水浴場の国際認証ブルーフラッグも取得を目指しています」

(※)特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約

ほかの地域が復興半ばで息切れしている中で、着々と次の世代への展開を行う南三陸町。いったいそのエネルギーはどこにあるのか?筆者の問いに佐藤氏は笑みを浮かべながら「震災前に国際認証を取得するなんてハードルが高すぎて、誰もチャレンジしなかった」と答えた。

「しかしこういう理念を掲げると、町民の皆がチャレンジ精神を持ってくれました。町は壊滅したので、ゼロからスタートしなければいけない。だとしたら今までのようなやりは方ダメで、国際基準を目指そうと」

311メモリアルからさんさん商店街と海を臨む
311メモリアルからさんさん商店街と海を臨む

佐藤氏はインタビュー終わりにこう言った。

「これからまた日本全国で同じような災害が起きます。その時に『絶対諦めずにやれば必ず再生する』と希望のメッセージを南三陸町から送りたいと思っているんです」

たとえすべてを失うことがあったとしても、「ゼロからのスタート」と考えれば何でもできる。前向きな精神とエネルギー溢れる南三陸町が、そのことを物語っている。

写真提供:南三陸町
写真提供:南三陸町

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。