東日本大震災で児童74人、教職員10人の84人が津波の犠牲となった、宮城県石巻市立大川小学校。震災から間もなく12年。当時大川小の6年生だった妹を亡くした女性が、大川地区を舞台にした映画を製作し各地で上映されている。製作者の佐藤そのみさん(26)を取材した。

佐藤そのみさん
佐藤そのみさん
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震災前から大川で映画を作りたいと思っていた

佐藤そのみさんは震災時14歳の中学2年生。津波で亡くなった妹のみずほさんは当時12歳だった。そのみさんは石巻市内の高校を卒業後、日大芸術学部映画学科に進学し、震災後の大川地区を舞台にした2本の自主映画を製作した。

そのみさんは「震災前から地元で映画を作りたいと思っていた」という。

「中1の時に観た『重力ピエロ(※)』の舞台が仙台で、『宮城でもこんな映画が撮れるんだ』と思って。地元がすごく好きだったし、ぼんやりと『映画がやりたいな、大川なら面白い物語ができそうだな』と思っていました」

(※)伊坂幸太郎原作の映画作品。2009年に公開。

いまの大川小学校(2023年1月筆者撮影)
いまの大川小学校(2023年1月筆者撮影)

多くの子どもが取材で心をすり減らしていた

しかし震災で妹を亡くし、友人のほとんどが家や家族を失って、そのみさんは「私が撮りたかった大川は無くなってしまった」といったんは映画製作を諦めた。

「もう映画どころではなかったのですが、高校で進路を決めるとき、やっぱり映画以外に選択肢がなくて日大芸術学部映画学科への進学を決めました。震災後は多くの方々が映像や文学で被災地を取り上げてくださって、ありがたさと同時に何も出来ない自分にもどかしさを感じていました。だから大学に入ってようやく地元で震災をテーマに映画を撮ろうと思ったんです」

撮影した映画は2本。1本は「春をかさねて」という震災で妹を亡くした14歳の少女が主人公のドラマ。もう1本は「あなたの瞳に話せたら」というドキュメンタリーで、ともに舞台は震災後の大川だ。

「最初はドキュメンタリーを撮るつもりはありませんでした。震災当時、自分を含めて周りの子たちの多くがメディアの取材で心をすり減らしていたし、テレビに映る自分たちにすごく違和感を抱いていました。だからドキュメンタリーは誰かを傷つける可能性があると思って、ドラマを撮ろうと石巻に戻ってキャスト探しから始めました」

「春をかさねて」は震災で妹を亡くした少女(右)が主人公のドラマ
「春をかさねて」は震災で妹を亡くした少女(右)が主人公のドラマ

「自分の好きに生きよう」と伝えたかった

「春をかさねて」では、震災で妹を亡くした主人公が真摯に取材に向き合おうとして傷ついていく一方で、家族を失った幼なじみの親友がボランティアの大学生に恋心を寄せる姿に嫌悪感を抱いて葛藤する様子を描いている。そのみさんは映画を通して大川の人たちに「自分の好きに生きよう」と伝えたかったという。

「最後に主人公が『好きに生きよう、これ以上つらくなる必要なんてない』と幼なじみに言うシーンがあります。大川には震災で家族を亡くして外に出られなくなったり、震災前と違う生き方をせざるを得なくなっている方々がたくさんいました。そういう方たちが少しでも震災から離れて生きられるようになったらいいなという思いでつくりました」

親友が大学生ボランティアに恋心を寄せる姿に葛藤する
親友が大学生ボランティアに恋心を寄せる姿に葛藤する

大川小学校でどんな事故があったのか

主人公は「生き残った自分は立派に生きていかなければならない」という重圧に押しつぶされそうになる。そのみさん自身も震災後つらかった思いがあるという。

「私自身も『立派に生きなければいけない、映画を作らないと自分に価値がない』と思い込んでいました。でも『そういうことは無いんだ。自分が一番幸せになれる方法を求めていいんだ』と考え直しました。そんな思いをこの映画に込めています」

「春をかさねて」の後に撮影したのが「あなたの瞳に話せたら」だ。なぜそのみさんは撮らないと決めていたドキュメンタリーを製作したのか?

「ドラマには大川小学校でどんな事故があったのかを入れられませんでした。だからドラマだけでは大川の映画を観たい人たちには満足のいく内容ではないなと思ったんです。また映画の表現手法として、ドキュメンタリーも試してみたいという思いもありました」

主人公は真摯に取材に向き合おうとして傷ついていく
主人公は真摯に取材に向き合おうとして傷ついていく

守りたくても守れなかった大人もいるのに

「あなたの瞳に話せたら」では大川小学校で妹を亡くしたそのみさんを含む3人の若者が主人公となり、それぞれが亡くなった妹たちに向けて手紙を読んでいく。そのみさんは「当初は様々な世代の4人の手紙を並べたかった」と語る。

「まだ行方不明のお子さんのお母さん、亡くなった先生の奥さんに交渉しました。先生は私の小学生のときの担任でした。先生たちの遺族の多くは震災後表に出ないようにされていたので、子どものことばかりがメディアに取り上げられていたのがとても気になっていました。『子どもの命は守らなければいけない』と皆が言いますけど、『守りたくても守れなかった大人もいるのに』と感じていたんです」

「あなたの瞳に話せたら」では、そのみさんを含む妹を亡くした3人の若者が主人公となった
「あなたの瞳に話せたら」では、そのみさんを含む妹を亡くした3人の若者が主人公となった

映画に出て今の素直な気持ちを打ち明けられた

結局先生の奥さんには「やはり表に出られない」と断られ、お母さんにも「今は難しい」と言われて当初考えていた撮影プランは断念した。そして主人公は「幼馴染みのてっちゃん(只野哲也さん)、朋佳ちゃんと私の3人になった」。

映画に出演した只野哲也さんは、当時大川小学校の5年生で津波にのまれたが一命を取り留め、多くのメディアが「奇跡の少年」と取り上げた。

「てっちゃん(哲也さん)はたくさん注目されましたから、かなり悩んで表に出てこられない時期もありました。でも、『この映画に出て今の素直な気持ちを打ち明けることができて良かった』と言ってくれて、すごく嬉しかったです。いまは『Team大川 未来を拓くネットワーク』の代表を務め、精力的に活動しています。映画では大川で家族や知人を亡くした方々に、『亡くなった方々のことを一緒に思いましょう』という気持ちでつくりました」

只野哲也さん「この映画に出て今の素直な気持ちを打ち明けることができた」
只野哲也さん「この映画に出て今の素直な気持ちを打ち明けることができた」

つらい記憶だけど大事な記憶でもあるんだ

2つの映画は2020年に完成したが、前向きに上映できるようになったのは昨年からだった。完成直後そのみさんは「とりあえず肩の荷がおりたと思った」という。

「8年ぐらい撮らなきゃと思って生きてきたので、完成してほっとしました。でも皆に観てほしいとは思わなかったです。あまりにも自分の要素を入れたから、自分を直視されているような気がして。作品とうまく距離が取れなかったのだと思います」

昨年12月には初めて大川で上映会を行った。会場には200人もの人が来て、半分は石巻以外の地域から来た人たちだったという。

「『観られて良かった』と涙ながらに語ってくれるおばあちゃんがいました。『震災直後のことを思い出して、懐かしい気持ちになった』という方もいて、『つらい記憶ではあるけど大事な記憶でもあるんだなあ』と思いました」

出演した朋佳さん。それぞれが今を生きる
出演した朋佳さん。それぞれが今を生きる

震災前の大川に戻ったみたいだ

震災前の大川では多くの行事があって地域の人たちが集まっていたとそのみさんはいう。

「震災前は地域の人が集まって行事を楽しむ機会がたくさんありましたが、震災以降は無くなってしまいました。だからこの映画にたくさんの人が来て、『震災前の大川に戻ったみたいだ』と満足した表情で帰られたのが嬉しかったです」

そのみさんはいま都内で会社員として働いているが、「またいつか映画を撮れたらいいな」と考えている。震災を経験した若い世代が、被災した地域の希望となっていくのだ。

震災を経験した若い世代が、被災地の希望となる
震災を経験した若い世代が、被災地の希望となる

写真提供:佐藤そのみさん ©︎Sonomi Sato

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。