「銀河鉄道999」などで知られる福岡県出身の漫画家・松本零士さんが2023年2月13日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。85歳だった。
松本さんが少年時代を過ごした北九州市では追悼の動きが広がっている。
ゆかりの地でも追悼の動き
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2010年から北九州モノレールが運行している「銀河鉄道999号」。松本さんの訃報を受け、乗車を希望する声などが相次いだことから、北九州モノレールでは急きょ、増便することを決めた。
「北九州モノレール」愛甲健史・営業課長:
この小倉駅が、宇宙ステーションのように、宇宙に飛び立つような出発をしますので、この列車に乗って「銀河鉄道999」を感じていただけたらと思います
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小倉北区の小倉井筒屋の食品売り場では、2月23日から「銀河鉄道999弁当」を販売。
作品に登場するメーテルが描かれた箱の中に福岡の味が並ぶこの弁当は、2011年に北九州市の仕出し弁当店「丸ふじ」が、松本さんの協力を得て九州新幹線開業記念商品としてつくったものだ。
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試食した松本さん(2011年):
おいしいです。懐かしい味です
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最近は予約販売のみだったが、訃報を受け、急きょ、北九州市などの複数の施設で期間限定で販売することに。
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「丸ふじ」後藤祐平社長:
北九州への熱い思いで”お弁当で町興し”ということに共感していただいて、すぐ了解していただいたのもありがたいし、少しでも先生の言葉が皆さんに伝わって元気と勇気を持ってもらえればと思います
「戦いをしてはならない」作品に込めた思い
松本さんが9年にわたり名誉館長を務めた「北九州市漫画ミュージアム」には、献花台とメッセージボートが設置され多くの人が献花に訪れていた。献花に訪れた人は「感動をありがとうございますとお伝えしたい」と松本さんをしのんでいた。
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館内には追悼コーナーが設けられ、松本さんの生涯や作品に触れることができる。
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人気SF作品とともに並べられていたのが、松本さんが半世紀に渡って書き続けた「戦場漫画」だ。
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「北九州市漫画ミュージアム」表智之・専門研究員:
1960年代の終わりからライフワークのように書き続きていらっしゃって、たくさんの数があるが、特徴としては戦場における等身大の兵士が苦闘の果てに死んでいく悲しい物語が多い
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松本零士さん(2020年・終戦75年企画インタビュー):
不用意に戦いはしてはならない。それはずっと心の中に生きております。自分の若い日の感情的な思いを込めて戦場漫画を描いたんです
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松本さんは、昭和13年、福岡・久留米市で生まれた。昭和16年12月8日、日本は太平洋戦争に突入。その後、戦火が広がる中、松本さんが6歳の時に四国・愛媛県へ疎開。そこで戦争の恐ろしさを目の当たりにする。
松本零士さん(2020年・終戦75年企画インタビュー):
私は終戦の直前、四国の川で泳いでいました。泳いでいるときに、空襲警報が鳴ったので家に帰ろうとしたら、機銃掃射をうけたり、爆弾が落ちたりといろいろなことを見たんです。実際に墜落したアメリカ側の戦闘機や爆撃機のパイロットの亡きがらも見ております。実際の体験でしみじみと味わったわけです
戦争の“重み”を教えてくれた父
2019年、松本さんは飛行場跡に建設された福岡・筑前町の大刀洗平和記念館を初めて訪問した。
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大刀洗平和記念館に展示されていたのが、九七式戦闘機。松本さんの父親が操縦していた戦闘機と同じ型式のものだ。
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松本さん自身の戦争体験とともに作品作りにおいて大きな影響を与えた父親の松本強さん。強さんは、かつて東洋一を誇った旧陸軍・大刀洗飛行場所属の飛行隊長を務めていた。
少年時代、強さんから何度も聞いた戦争の実体験は松本さんが描く戦場漫画の原点になったという。
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松本零士さん(2019年・大刀洗平和祈念館での講演会):
相手を撃墜するとき、ふり返ったパイロットと目が合って「あいつも死ねば苦労する家族や子どもがいるはずだと思うと、悪魔になって撃たなければならないんだ」と(父親は話していた)。二度と戦いをやってはいかんというのが父親の口癖のようでした
松本さんの戦場漫画「音速雷撃隊」。ロケット技師になることを夢見ていた主人公が、ロケット推進式の機体で特攻出撃するという物語。次々と戦場に駆り出される若者を通して戦争の過酷な現実や無意味さが描かれている。それは、特攻隊の編成に関わっていた父親・強さんの言葉とも重なる。
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松本零士さん(2019年・大刀洗平和祈念館での講演会):
父親も特攻隊を出せと命令されたとき、まず自分に丸を付けて何人か書いて差し出したら「隊長がいなくなっては困る」ということで、若者が特攻隊として飛び込んだ。そういういろいろな思いを聞いている
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国と国との戦いは終わっても戦争がもたらす悲劇に終わりはない。戦後、強さんのもとを訪れたのは、戦死した部下の母親たちだった。
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松本零士さん(2019年・大刀洗平和祈念館での講演会):
いろいろなおばさんが訪ねてきて「あなたは、なぜ生きて帰られて、せがれを連れて帰ってくれなかったのですか」と。父親が深々と頭を下げて「すまん」と。その真実を私は聞いていた
松本零士の思いと作品は残り続ける
筑前町の大刀洗平和記念館。松本さんの死去を受け追悼の特別コーナーが設置された。
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尾籠浩一郎館長:
大刀洗平和記念館には、年間約350校の学校が訪れている。多くの子どもたちが来ている様子をもう少し見守っていただきたかったです
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戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えた松本零士さん。戦争を語れる人が減ってもその作品と思いは残り続ける。
(テレビ西日本)