2022年8月、日本は国連から「障がいのある子どもにインクルーシブ教育の権利を」と勧告された。いま日本の教育現場では、国連が指摘する通りインクルーシブ教育の権利が保障されていないのか?取材した。
学校は多様性に見て見ぬふりをしてきた
「いまほど義務教育が問われているときはありません」
インクルーシブ教育を推進する埼玉県戸田市に行くと、教育委員会の戸ヶ﨑勤教育長は開口一番こう語った。戸田市では、貧困、いじめ、虐待、障がい、不登校、外国出身などの事情を持つ子ども、そして落ちこぼれや吹きこぼれも「誰一人取り残されない教育」に向けて、様々な取り組みを行っている。中でも特別支援教育については「教育の原点である」として、基礎自治体では珍しい「特別支援教育推進計画」を昨年3月に策定した。
この記事の画像(5枚)なぜ特別支援教育は教育の原点なのか?筆者がたずねると戸ヶ﨑氏はこう答えた。
「いま教育現場に多様性が増えたという議論があります。しかし、厳しい言い方をするとこれまで学校は見て見ぬふりをしてきたか、見抜いていなかっただけではないかと思います。戸田市では『多様性を尊重し、すべての子どもが力を発揮できる学びの保障』を方針として掲げています。これは障がいの有無に関わらず、すべての子どもが共に成長していくということです」
教師は多様な専門性が求められるが…
特別支援教育推進計画では、インクルーシブ教育のシステム構築のため、まずは教員の資質向上を目指して研修を行った。この理由を戸ヶ崎氏は「教師は多様な専門性が求められるが、スキルは追い付いていない。だが専門家だけに任せておけばいいのではない」と語る。
研修では科学的・専門的な知見を導入するために産官学と連携し、特別支援教育の第一人者である野口晃菜氏(※)を講師として招いた。野口氏は5~6年ほど前から戸田市と連携し、多くの学校でインクルーシブな学校づくりに向けて伴走している。
(※当時は株式会社LITALICO研究所所長。現在一般社団法人UNIVA理事)
子どもが安心安全に過ごせる学校づくり
野口氏は「インクルーシブ教育を進めていく上でとても大切なのは、通常の教育自体をどう変えていくか」だと語る。
「支援が必要な子に対して、いまの教育のかたちを変えずに支援をただ付け足していくのはインクルーシブ教育の本質ではないと思っています。要は学校経営自体をどう変えていくかという話です」
そのために野口氏がまず導入したのが、スクールワイドPBS(=ポジティブ行動支援)という手法だ。この手法は、学校内での乱射事件が社会問題となっていたアメリカで盛んに行われているという。
「アメリカでは当初子どもを罰でコントロールしようとしていましたが、結果的に問題行動が減らなかったため新たに導入されたのがスクールワイドPBSです。これは子どもが問題を起こしてから罰的な対応するのではなく、子どもが問題を起こさなくて済むような環境を整える、つまり子どもが安心安全に過ごせるような学校づくりをするという予防的な手法です」
多様な子どもが過ごしやすい環境をつくる
この手法では、教師や児童・生徒が「この学校をどういう学校にしたいか」を話し合うことから始める。野口氏はこう続ける。
「どこの学校も教育目標があっても、誰も知らないし覚えてない卓上の空論のようになっています。またルールは先生が決めてトップダウンで降ろしていくだけです。PBSでは先生と子どもたちが学校で大切にしたい3つのことを話し合って決めて、その3つの大切を大事にした行動、たとえば『お友達を大切にしよう』と決めたら、授業中具体的にどうするのかを話し合います」
このスクールワイドPBSは「これまでの特別支援教育と違う」と野口氏はいう。
「現在の特別支援教育の現場では、子どもに障がいによる困難さがあるかどうかを判断して、困難さがあると判断された場合は必要な支援をします。一方PBSでは障がいのある子どもも無い子どもも共に過ごす学校の中で、はじめから『支援が必要な子』『不要な子』と子どもを分けるのではなく、まず多様な子どもが過ごしやすいルールや環境を、子どもたちと一緒につくります」
人は誰でも同等に権利を持っていると教える
日本の教育現場では、「障がいのある子どもは特別支援教育を」という考えがあり、普通学級では障がいのある子どもに対応できないことを理由に、子どもたちを分ける教育を支持する教師は多い。こうした考えに対して野口氏は「なぜインクルーシブ教育が必要なのか、学校でも社会全体でも共通理解がない」という。
「日本では思いやりを持つことが人権教育だと考えられています。しかしそうではなくて、人は誰でも同等に権利を持っているということがとても大切なのです。私が研修で先生たちに必ず聞くのは、『学校が最優先で教えるべきことは何ですか?』です。そして『様々な人たちと一緒に過ごすことや、自分と異なる意見や背景を持つ人と共に学ぶことは、学校でしかできないんじゃないですか』と問いかけています」
「自分の教え子には差別はしてほしくない」
そして野口氏は先生たちにこう問い続けるという。
「例えば障がい者施設が自分の家の隣に建ててほしくないという人はかなり多いです。私は先生たちに『自分の教え子が隣に障がい者施設を建ててほしくないと言う人になって欲しいですか?』と聞きます。そうするとどの先生も、自分の教え子には差別はしてほしくないと答えます。様々な教育現場を見ていると、先生たちは別に排除したいわけではないです。ただ、どうしたらいいのかわからないだけなので、そこを一緒に考えています」
そのためにあるのがPBSのような施策だと野口氏は語る。
「先生たちだけでなく保護者も『どうしてインクルーシブ教育が必要なのか』を知る機会を作って、皆で合意形成し共通認識にする必要があると思います。PBSのような具体的な施策があると、すぐに行動でき具体的なノウハウを蓄積していける。そして現場レベルで難しいことについては、制度レベルで変えることが必要になるかと思います」
「まぜる」のか「分けて手厚く」なのか?
障がいのある子どもへの教育には、教育現場の内外から様々な声がある。戸ヶ﨑氏は筆者に「やればやるほどもやもやすることがあります」と語った。
「学術界からは『特別支援を手厚くするべき』との声がある一方、人権重視の立場の方々や障がいのある子どもの保護者は『一緒にまぜて教育するべき』だと言います。しかし通常の学級に障がいのある子どもを入れるだけでは、ただいるだけになりかねません。障がいの有無で子どもを分けるのは排除的な要素がありますが、日本の教育文化は『まぜずに手厚く』でした。これを令和にアップデートするにはどうすればいいか日々考えています」
「まぜる」のか「分けて手厚く」なのか。インクルーシブ教育は特別支援教育と二律背反するものなのか?引き続きインクルーシブ教育について取材していく。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】