新潟県長岡市山古志地区でただ一人の医師が38年の勤務を終えた。中越地震の際は、仮設住宅でも診察に当たるなど、長年、住民の健康を守ってきた医師の最後の一日を取材した。

山古志地区ただ一人の医師 勤務最後の日

12月8日正午すぎ、長岡市山古志地区の種苧原診療所。最後の患者を診察していたのは、佐藤良司医師(77)。

種苧原診療所(長岡市山古志地区)
種苧原診療所(長岡市山古志地区)
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患者:
きょうで先生に会えないということで、本当に涙が出ます

佐藤良司 医師:
私も、寂しい思いは同じ

佐藤医師が当時の山古志村の診療所で診察を始めたのは1984年のこと。以来、定年退職後も嘱託医として勤務。地区でただ一人の医師として、38年にわたって住民の健康を守ってきたが、ついに白衣を脱ぐときがきた。

佐藤良司 医師:
皆さんが助けてくれたので、ここまで来られた。「まだやれるかな」という気がしたが、どうしてもけが(足の骨折)の後遺症で、もうできなくなった。申し訳ない気持ちでいっぱい。患者から「うれしかった」と言ってもらうと、「やってきてよかった」という気持ち

患者:
孫の熱が下がらないとき、お休みのときでも電話して先生のところに行くと、「いいよ、いいよ」と言って、優しい言葉をかけてくださって。本当にあんな良い先生はいない

佐藤医師は山古志で3代続く医師の家系で、地元で呼ばれる屋号は「医者殿(いしゃどん)」。医学部に進学後は村が奨学金を出して支援したという。

佐藤良司 医師(2004年):
一生懸命頑張って、村の方の健康のためにやっていきたい

2004年の中越地震で大きな被害のあった山古志地区。全ての村民が避難した際は、長岡市陽光台の仮設住宅と、その後、順次再開された山古志地区の3つの診療所、最大で4カ所を回り診察。住民の心の支えにもなってきた。

そして12月8日夕方、山古志支所の前には、最後の姿を目に焼き付けようとかけつけた住民の姿があった。

住民:
病気も会うと治るような感じの先生

山古志支所長:
とても感謝しております。ありがとうございました

住民からの感謝の気持ちが伝えられ、診察を支えてきた看護師からは花束が贈られた。

佐藤良司 医師:
住民の皆様のご健康を祈念し、お別れの挨拶とさせていただきます

佐藤医師は深々と何度も頭を下げ、山古志でただ一人の医師として過ごした日々に別れを告げた。

佐藤医師の後任について、長岡市は市内の病院から派遣してもらうよう調整を進めている。

(NST新潟総合テレビ)

NST新潟総合テレビ
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