1945年8月9日、長崎市に一発の原子爆弾が投下され、約7万4,000人もの命が奪われた。
そこで生まれた「被爆者」と「被爆体験者」。線引きの基準は、当時の行政区域をもとに国が定めた「被爆地域」だ。

「被爆地域」は、現在爆心地から南北に半径約12km、東西に約7kmといういびつな形になっていて、国は「被爆地域」の外で長崎原爆に遭った人を「被爆体験者」と呼び、被爆者と認めていない。このため、爆心地からの距離が同じでも被爆者になる人・ならない人が出るという、不公平なものとなっている。

「被爆者」と「被爆体験者」を分けた地域
「被爆者」と「被爆体験者」を分けた地域
この記事の画像(15枚)

「被爆者として認めてほしい…。」長年の訴えが届かず、活動の限界を感じつつある被爆体験者の今を取材した。

提訴から15年 今も続く認定訴訟

被爆体験者が長崎県と長崎市に対し、被爆者認定を求めている裁判は、提訴から15年がたった今も続いている。

被爆体験者・岩永千代子さん:
これから先、どのように進むか私たちには分かりませんけど、ただ私たちは、粛々とありのままを信実に言っていくだけ。恐れはありません

被爆体験者の平均年齢は2022年、83歳を越えた。

長崎市に住む原告団長の岩永千代子さん(86)は、約20年前からほとんどの時間を救済を求める活動に費やしてきた。

記者:
裁判資料がいっぱいあるんですか?

被爆体験者・岩永千代子さん:
いっぱい入っている。外出は、裁判以外ほとんどない。教会に行くだけ

被爆者は、「被爆者健康手帳」を病院に提示することで、国が一部の例外を除くほとんどの病気やけがによる医療費を負担し、条件に該当すれば各種の手当を支給している。

これに対し被爆体験者は、被爆者とは違い、「原爆の放射線による直接的な影響はない」として、医療費は精神疾患など一部の病気のみ国が負担している。支援には大きな差がある。

「被爆者として認めてほしい」―。
15年前の2007年、被爆体験者たちは裁判を起こした。先頭に立って訴えてきたのが岩永さんだ。

岩永さんは、原爆投下からほどなくして髪が抜けたり、顔がはれるといった症状が出た。

幼少の頃の岩永さん
幼少の頃の岩永さん

小学校の教師をしていた50歳の頃には、甲状腺異常が見つかり、その後も狭心症や高血圧を患っている。
岩永さんは、現在86歳。活動に限界を感じ始めている。

被爆体験者・岩永千代子さん:
(活動は)「地裁まで」と皆さん言っている、私もそう思う。地裁が限界ですね。思いはあるけど体力がついていかない

被爆者や被爆体験者の高齢化が進み、多くの団体で活動の継続が難しくなる中、岩永さんも、2023年春に出る見込みの長崎地裁の判決を見届けたあと、組織としての活動を終えることを検討している。

被爆体験者・岩永千代子さん:
消えてもいいから、どこか内部被ばくってあるのかなとか、ちょっとだけ(心に)とどめてくださる。それが私の活動

広島と長崎で分かれた判断

訴えているのは、放射線を体内から浴びる「内部被ばく」だ。77年前の1945年、原爆の放射性物質を含んだ雲の下で、死の灰を浴びた水や食べ物を口にし続けたことで健康被害を受けたとしている。

2021年夏、広島の「黒い雨」訴訟で、広島高裁は「内部被ばく」の可能性を認める判決を出した。これにより、広島では国が定めた援護区域の外、爆心地から30km離れていても、黒い雨を浴びていれば被爆者と認められるようになった。

一方、長崎の被爆体験者は、原爆に遭ったのが国が定めた被爆地域の外だったとして、爆心地から12km圏内でも被爆者と認められていない。

被爆体験者・岩永千代子さん:
私たちが広島と分断されていることは、国民として許されない。政府に対して抗議ではない。ありのままで、おかしいでしょと

国は、被爆体験者を救済しない理由を「最高裁で敗訴したため」と説明している。
これに対し、県と長崎市は「最高裁判決は判例に当たらない」などとして、被爆体験者を被爆者と認めるよう求めている。

一方、裁判では、被爆者健康手帳を交付している県と市は「被告」の立場だ。被爆体験者側は、「県と市は自分たちと同じ立場だ」との望みを託し、長崎地裁に和解協議を申し入れていたが…。

被爆体験者訴訟弁護団・三宅敬英弁護士:
きょう裁判官から、和解を勧めるかに関しては双方(原告・被告)の意見が一致しないので、和解については進めていただけないということになった

長崎市の担当者:
当然、国の方には見解をお伺いし、協議をした結果でございます

和解の不成立は、手帳を交付する対象を決めている国の意向を受けたものとみられる。

被爆体験者・岩永千代子さん:
一歩下がって二歩前進。全面勝訴(判決)の結論が出るんじゃないかな

「遺言を残した人たちの代弁者」

今、岩永さんは、原告44人の体調に変わりがないか、病気が進行していないかなどを改めて調べようとしている。今後の裁判では、岩永さん自身も証言台に立ち、77年前のあの日の体験、そして被爆者と認められないまま亡くなっていた仲間たちのことを語りたいとしている。

被爆体験者・岩永千代子さん:
病気が原爆のせいだと思うと言って遺言を残していった人たち、そういう人たちの代弁者。核の被害を消してはいけない。埋もれた人 こういう人がいましたよと言いたい。長い戦い、長い戦いだけど私たちがそれだけ人の役に立てば、生きていた甲斐があるんじゃないかな

被爆体験者の救済に向けては、裁判の他に政治決着という手段もある。
広島の黒い雨被害者は、最終的に当時の菅首相の政治判断により救済された。
被爆体験者は高齢化が進んでいる。一刻も早い問題解決が求められる。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
テレビ長崎

長崎の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。