陛下の即位後初めてとなる沖縄訪問を終えられた天皇皇后両陛下。3年ぶりに宿泊を伴う地方公務や交流が再開した今回のご訪問に同行すると、戦争の記憶と向き合い、これからの沖縄を見つめ寄り添っていこうという覚悟と優しさが見えてきました。

沖縄への旅は「まず慰霊」

沖縄への訪問が、他の地方訪問と違うのは「沖縄への旅はまず慰霊」だという点です。那覇空港からそのまま沖縄戦の激戦地だった南部、糸満市の平和祈念公園に直行されるのは、上皇ご夫妻が貫かれていたスタイルです。

沖縄・平和祈念公園に到着された両陛下(22日 沖縄・糸満市)
沖縄・平和祈念公園に到着された両陛下(22日 沖縄・糸満市)
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沖縄戦没者墓苑を拝礼される両陛下
沖縄戦没者墓苑を拝礼される両陛下
 
 

上皇ご夫妻は皇太子時代を含めて11回沖縄を訪問されていますが、1975年の初めての訪問では、ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件もありました。戦後皇室への複雑な感情のあった沖縄の人たちの苦しみや悲しみに寄り添っていくという決意を、真っ先に慰霊に向かうという行動で示し続けられました。

その姿勢は両陛下へと引き継がれ、陛下は1987年の初訪問から今回が6回目の訪問ですが、やはり両陛下も毎回必ず、まず慰霊に向かわれます。

1975年7月 「ひめゆりの塔」に献花される上皇ご夫妻(沖縄・糸満市)
1975年7月 「ひめゆりの塔」に献花される上皇ご夫妻(沖縄・糸満市)

「こんなに美しいところでこんなに悲しい出来事が・・・」 

22日、両陛下は昼過ぎに那覇空港に入るとそのまま国立沖縄戦没者墓苑に直行されました。白い百合の花束を手向け深く拝礼される背中から、天皇というお立場で沖縄の犠牲に向き合う強い覚悟のようなものを感じました。

拝礼後、30度近い気温と強い日差しのもと、立ち会った遺族に20分かけて声をかけられました。陛下の額には汗が光っていましたが、汗を拭うこと無く一人一人に向き合い、「どなたを亡くされましたか」「お体を大切になさってください」などと声をかけられました。遺族の一人は、「上皇ご夫妻のお心を引き継ぎ、私たち遺族に深い心を寄せてくださっていると感じました。」と話していました。

「平和の礎」を訪問された両陛下(22日)
「平和の礎」を訪問された両陛下(22日)

このあと青い海を臨む「平和の礎」「平和祈念資料館」を訪れて沖縄戦の凄惨さを目の当たりにした両陛下は、「本当に痛ましい。。。」「こんなに美しいところでこんなに悲しい出来事があったんですね」と話されていました。

今年は本土復帰50年の節目の年。両陛下にはぜひともお二人揃って訪問したいという強い思いがあったそうです。天皇、皇后として、沖縄の苦難に向き合っていく最初の一歩をこの日踏み出されました。

「ぜひ懇談の機会を」

コロナ禍での3年間、訪問先にはどうしても人が集まり密になってしまうため、感染対策とのせめぎ合いで地方訪問は封印されていました。

3年ぶりに再開した泊まりがけの地方訪問。強く印象に残ったのは、コロナ禍でできなかった直接ふれあい、交流される場面です。2日間の滞在中、異例とも言える6回もの懇談や交流がありました。

初日は①遺族②元豆記者③復帰50年式典参加者、二日目は④舞台の出演者⑤三線の練習をする小中高生⑥ワークショップの参加者です。

復帰50年式典関係者と懇談される両陛下(22日 沖縄・宜野湾市)
復帰50年式典関係者と懇談される両陛下(22日 沖縄・宜野湾市)

こうした交流の背景にあったのは、陛下の希望です。側近によりますと、夏が終わり感染者が少しずつ減り始めた頃、陛下から「行事の際はぜひ懇談の機会を入れて欲しい」とのリクエストがあり、都内での行事から関係者との懇談を再開していました。

とりわけ、若い人との交流を大切にされていて、側近は「陛下が考えてらっしゃるのはこれからの沖縄。より良い社会になるよう、未来を担う若い世代と接することを大切に考えていらっしゃるのではないか」と話していました。上皇ご夫妻が対話と行動で築いてきた沖縄の人たちとの関係を、戦後世代として次の世代へと繋げ深めていきたいという両陛下の思いが感じられました。

「優しいまなざし」で弾む会話 

どの懇談も予定時間を大幅に超え、一人一人の話に丁寧に耳を傾けられた両陛下。お二人同時に質問しようとして顔を見合わせて笑みがこぼれ、陛下が皇后さまに譲られる場面もありました。

「三線」の練習会の後、参加者に声をかけられる両陛下(23日 沖縄・宜野湾市)
「三線」の練習会の後、参加者に声をかけられる両陛下(23日 沖縄・宜野湾市)

大人も子どもも、両陛下とお話する前は緊張した様子で待っています。緊張して静寂に包まれているのを見かねて、側近の職員が大丈夫ですよ、と声をかけて解きほぐそうとしていることもありました。ところが、実際に両陛下からわかりやすい言葉で気さくに声をかけられ話しているうちに、表情が和らぎ笑顔になっていくのです。

皆さんが異口同音に話していたのは、両陛下の「優しいまなざし」です。「目が優しくて楽しく話せた」「優しいまなざしでまっすぐに目を見て話して下さったのがうれしかった」一人一人と丁寧に向き合い、心を通わせられる穏やかな時間。両陛下のお人柄そのものなのではないかと感じました。

「豆記者」と6年ぶりの再会 

夏休みに東京で記者の仕事を体験する沖縄の小・中学生の「豆記者」。上皇ご夫妻が「豆記者」達を静養先の軽井沢やお住まいの東宮御所に招いて交流され、陛下も幼い頃から同席し、琉球舞踊や空手に触れて成長されました。陛下にとって豆記者は、沖縄について知る最初の「窓」だったのではないかと思います。その後、皇太子時代にその交流を引き継がれ、長女の愛子さまも懇談の輪に加わり、2016年の夏には懇談後に一緒に庭でバレーボールを楽しまれたこともありました。

2016年、豆記者と懇談される両陛下と愛子さま(東宮御所)
2016年、豆記者と懇談される両陛下と愛子さま(東宮御所)

今回、そのバレーボールをした元豆記者たちが、両陛下の宿泊先のホテルで歓迎の垂れ幕を持って待っていました。両陛下は歩み寄り、「バレーボールは楽しかったですね」「よく成長されましたね」と6年ぶりの再会を喜ばれました。

今の学校生活、今後の進路、将来の夢について尋ね、沖縄尚学高校に通っている、と近況報告した生徒に、陛下が「野球が強いですね」(沖縄尚学は甲子園で優勝経験あり)と応じられたり、心理カウンセリングを学ぶのがとても楽しいと話す大学生に「それはとても良いことですね」と頷かれていました。

「元豆記者」は、滞在先のホテルで、横断幕を広げて、両陛下を出迎えた(22日 沖縄・宜野湾市)
「元豆記者」は、滞在先のホテルで、横断幕を広げて、両陛下を出迎えた(22日 沖縄・宜野湾市)
6年ぶりに両陛下と再会した「元豆記者」が取材に応じた(22日 沖縄・宜野湾市)
6年ぶりに両陛下と再会した「元豆記者」が取材に応じた(22日 沖縄・宜野湾市)

当時小学5年生、今は高校2年生になった女子生徒が、「琉球舞踊をやっていて今年賞を取りました」と報告すると、皇后さまは「見たかったです!」と即座に答え、生徒は「その言葉がうれしいです!」と目を輝かせ、場が笑顔に包まれました。この生徒は「賞をとった時くらい本当に嬉しかった。今まで頑張ってきたので本当に感動しました」と喜んでいました。他の元豆記者たちも「覚えていてくださったのがうれしかった」「親身になって話を聞き、温かい言葉をかけてくださった」と口々に話していました。

両陛下は懇談に臨む際、事前に相手がどんな方なのか、資料を読んだり説明を聞いたりしてとても丁寧に準備をされるそうです。1度会った相手のことをよく覚えている記憶力に加え、準備の努力が温かい交流につながっています。両陛下は「皆さんが立派に成長されていることをとてもうれしく思いました」とその晩感想を寄せられました。

「すごく心に残りました」何度でも立ち上がる沖縄の姿

陛下は、「国民の中に入っていく」「国民に寄り添う」皇室でありたいと考えられていて、そのために直接会話を交わし交流することは欠かせません。

今回の訪問で、沖縄が何度も苦難に直面しては立ち上がってきた歴史を改めて知り、両陛下は帰京後「すごく心に残りました」と話されていたそうです。遺族や若い世代から様々な思いを直接聞いて胸に刻み、「困難を何度でも乗り越え、前を向いて進んでいく沖縄に寄り添っていきたいと思っていらっしゃるのでは」と側近は話していました。この訪問を通じ、実際に現地を訪れて感じること、触れあうことの大切さを再確認されたのではないかと思います。

「ぜひかりゆしを着たい」皇后さまの心配り

皇后さまにとって25年ぶりだった沖縄ご訪問。これまで、地方公務は陛下単独の行事として発表し、体調が整えば皇后さまも同行される、という形が取られていましたが、今回から、地方の定例公務については両陛下の行事として事前に発表することになりました。

体調の波を工夫して整えながら出席することを繰り返し、9月にはエリザベス女王の国葬に無事参列を果たし、そうした積み重ねが少しずつ次の活動への自信につながってきているのだと思います。

両陛下は、かりゆし姿でワークショップを視察された(23日 沖縄・豊見城市)
両陛下は、かりゆし姿でワークショップを視察された(23日 沖縄・豊見城市)

今回の訪問中、行事や交流相手に応じて、両陛下は何度も装いを変えられました。慰霊の場面ではダークスーツ、開会式には明るい色のスーツにミンサー織りのネクタイ、交流の場面ではかりゆしのシャツやワンピース。知事から県の状況について説明を受ける際は、特に服装の指定は無かったものの、両陛下も知事もあうんの呼吸でかりゆしの半袖シャツだったそうです。

これまで、陛下は沖縄訪問中や今年5月の本土復帰50周年記念式典などの折にかりゆしやミンサー織りのネクタイを着用されたことがありましたが、皇后さまのかりゆし姿は今回が初めてでした。側近によりますと、皇后さまには沖縄の文化を尊重し、ぜひかりゆしを着たいというお気持ちがあり、「どの場面でどのようにお召しになるか、心を配られたのではないか」と話していました。沖縄に寄り添う思いを服装にも込められました。

沖縄訪問以外でも、皇后さまがお召し物を新調される機会が増えていると感じます。行事に向けて装いを準備するには、出席を前もって心に決める必要があります。体調に波があっても、訪問すると覚悟を決めて準備されるというサイクルが徐々に整ってきているのかもしれません。

沖縄の歴史や文化を知り、長く寄り添っていきたい 

今回の沖縄訪問は、実現を願う両陛下の強い思いを感じていた宮内庁の幹部にとっても、ある意味悲願でした。「何とか行っていただけるようにしたい」という思いで、コロナ禍での訪問実現に向け、春頃から様々な検討を進めていたそうです。

エリザベス女王の国葬後、記帳される両陛下 ©️David Parry/PA Media Assignments
エリザベス女王の国葬後、記帳される両陛下 ©️David Parry/PA Media Assignments

節目の年の沖縄訪問、地方訪問の再開、そしてその先来年にはイギリスへの公式訪問、とコロナで中断していた両陛下の歩みを再び前に進めようとしていました。エリザベス女王との突然のお別れにより、公式訪問ではなく、国葬への参列という形になりましたが、深い交流のあるイギリス王室に直接弔意を伝えられたことは、皇室と英王室の絆を未来に繋げる大事な一歩となりました。

車内から、沿道に集まった人たちに、手を振られる両陛下(22日 沖縄・糸満市)
車内から、沿道に集まった人たちに、手を振られる両陛下(22日 沖縄・糸満市)

長引くコロナ禍で活動が制約され、オンラインなどで慎重に出来ることを積み重ねてこられましたが、イギリスや沖縄への訪問で交流が再開し、我慢の時期は終わりつつあります。

天皇皇后として沖縄に長く寄り添っていきたいという強い思いと、両陛下の活動の中心には一人一人と心を通わせる交流があることを、改めて感じた沖縄への旅でした。

(フジテレビ社会部・宮内庁担当 宮崎千歳)