安倍元首相が銃撃され殺害された日から、8月8日で1カ月となった。 
警察庁は検証チームを作り、警護計画や当時の状況を調べていたが、8月5日にこれまでに分かっている問題点を発表した。
そこで非を認めたのは、現場のSPや警護員の配置を巡る意思疎通の問題だった。

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高橋清孝 元警視総監:
こういう大失敗が起きてしまって、本当に残念ですし、忸怩(じくじ)たる思い

20年にわたり警備を担当し、警察組織のナンバー2まで上り詰めた元警視総監が大失敗と語る、その問題とは…

浮かび上がる警備の問題点 

事件当時、演説場所には十数人の警護員が配置され、ガードレールの中では4人が演説中の安倍元首相を警護していた。

映像では、このうち3人が確認できる。
山上容疑者の発砲直前、画面左側の警護員は一瞬右を向き、山上容疑者の姿を確認したとみられ、その直後に1発目の銃弾が放たれた。

警察庁の検証によると、当初は3人がガードレールの中で警護を行い、もう1人はガードレールの外で後方の警戒にあたる予定だった。 
しかしその1人も、演説の直前にガードレールの中に入り、主な警戒方向を聴衆が多くいる前方に変更していたことが分かった。

この変更は、聴衆が増えたことなどを受けたものだ。
映像では1人だけ後方を警戒する警護員が確認できるが、この直前の配置変更によって、一時的に“後方だけ”を重点的に警戒する警護員がいない状態となっていた。

ガードレール内の警護員は「1発目を発射する前まで不審な点を確認した者はいなかった」ということだが、1発目の銃声について、「花火のような音だった」などと銃声だとは認識していなかったことも明らかになった。

30年間同じ内容の「警護要則」

今から30年前の1992年3月、演説直後を拳銃で狙われた自民党・金丸信副総裁の殺害未遂事件が起きた。
これをきっかけに「警護要則」が大きく見直されたが、それ以降の見直しはない。
約20年にわたって警備部門に携わってきた高橋清孝元警視総監は、今回の警備体制の問題点をこう指摘する。

高橋清孝 元警視総監:
これまで無事に警護が終わってきたという積み重ねで、「今までのままでいいんだ」と油断や緊張感が足りなかった面があるのでは。360度を警戒しなければいけない場所ですから、映像を見る限り、もう少し多くの警察官、あるいは私服警察官だけでなく、制服警察官を効果的に配置すべきだったのではないか

「過去の経験を安易に踏襲して、十分な検討がなされなかった」との認識を示している警察庁。
8月下旬をめどに最終的な検証結果を取りまとめるほか、約30年ぶりに「警護要則」の見直しも視野に入れている。

事件当時の警備のポイントは2つある。

1つ目は、警備体制の変更で、前方3人・後方1人の予定が、演説直前に前方4人に変更されたこと。
2つ目は、安倍元首相との距離で、警護員が安倍元首相から2メートル以上離れていたこと。

これらについて、高橋元警視総監は「これまで警護がうまくいってしまっていたから、安易に前例を踏襲して油断があったのではないか」と話す。
事件直前の6月25日に、同じ場所で自民党の茂木幹事長が遊説をしていたが、特に問題は起きていなかった。

また、高橋元警視総監は「SPは1メートル以内にいるのが基本」だと言う。
当時、警護員は4人いて、それぞれが安倍元首相から2メートル以上離れていたが、うち1人は警視庁から来たSPだった。
このSPが、本来は安倍元首相から1メートル以内の場所にいて、銃弾から守らなければならなかったということだ。

もう一つ、高橋元警視総監が挙げるのは、「制服警察官の配置など“撃たせないため”の警備が必要」ということだ。
今回は、制服の警察官が1人もいなかった。
警察庁によると、奈良県警は遊説では制服警察官を置かない慣例だったそうだ。

前日の岡山では厳重な警備体制だったため、山上容疑者は犯行を見送った。こういった「撃たせない」警備が必要だったのではないかということだ。

担当記者の視点:
取材を通じて感じたのは、適切な配置や制服警察官などで要人をしっかり守ることが、一般の人を守ることにつながるということです

今回の事件では、銃弾が現場から90メートル離れた駐車場の壁に当たっていた。

安倍元首相が演壇の上に立っていなければ、水平に銃弾が飛び、一般の方に当たっていた可能性もある。形骸化していた警護計画を見直すことが、要人だけでなく、結果的に一般の方も守ることにつながるのではないか。

(「報道ランナー」2022年8月8日放送・関西テレビ記者 元首相銃撃事件担当 大野雄斗)

関西テレビ
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