2017年7月5日。福岡・朝倉市を中心に甚大な被害をもたらした九州北部豪雨。激しい濁流が、流木が、容赦なく押し寄せた。
一夜にして福岡・大分両県で40人もの命を奪い、依然として2人は行方不明のままだ。

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愛犬の心にも深く…豪雨の記憶

小嶋重美さん:
うちの妻は、お地蔵さまの管理とかしよったと。お地蔵さまも、お地蔵さまたい。管理するもんは助けんで、俺みたいなもんを助けるけんね

小嶋重美さん(74)は5年前の豪雨で、長年連れ添った最愛の妻、初子さん(当時69)を亡くした。

小嶋重美さん:
自分は2階で川を見てたら、それこそ津波というような感じでブワーッと上から来た。自分はそのまま意識が分からなくなって…家の前の水たまりの中に落ちて、目が覚めた

一方、当時1階にいた初子さんは濁流に呑み込まれ、発見されたのは3日後のことだった。

小嶋重美さん:
(初子さんは)なんていうか…強い(人)。自分も息子も、腹一杯 怒られて(笑)たまには出てこいって

あれから5年。
小嶋さんはいま、朝倉市内の新居で息子と2人で暮らしている。かつては初子さんに任せっきりだった料理も、少しはするようになったと言うが…

小嶋重美さん:
俺が作るのは、ゆで卵とそうめんくらい。食事の支度だけが、一番あれ。何回しても(妻のように)飯が上手にできない

いまもやりきれない思いが続く日々のなか、小嶋さんの心の支えとも言える存在がいる。
愛犬のゴンタだ。豪雨の日、崖崩れに巻き込まれそうになっていたところを、小嶋さんが間一髪で救い出し、身を寄せ合って救助を待った。

被災後、動物好きだった初子さんをゴンタに重ねた小嶋さん。何があっても、朝夕の散歩は欠かさない。

小嶋重美さん:
(ゴンタが)おらんごとなったら、寂しいやろうね…

大切な家族になったゴンタに、小嶋さんがエサを準備していた時のこと。雨が降り出すとゴンタが急に吠え出した。

小嶋重美さん:
(ゴンタは)雨は割と嫌いだもん。豪雨の前は、そげん無かったっちゃけど

命の危険に直面した「豪雨の記憶」は、動物の心にも深く刻まれていたのだ。
小嶋さんにはいま、強く訴えたいあの日の教訓がある。

小嶋重美さん:
雨が、よーけ降るとなったら早く逃げとけって。遅くなったら間に合わんって。今度から線状降水帯があるとしたら、何を置いてもすぐ逃げとけと

最後に聞いたのは父からの感謝の言葉

朝倉市の松末地区で行われた犠牲者追悼の会。松末地区での死者、行方不明者は19人にのぼった。会場に設けられた追悼の碑を前に、多くの住民が犠牲者の「在りし日」に思いを馳せた。

井上洋一さん(62)も、大切な人を豪雨災害でなくした遺族の1人だ。

井上洋一さん:
5年経ったから気持ちどうですか?って言われても。気持ちは何年経っても一緒ですよ

旧松末小学校から車で2分の場所に実家はあった。

井上洋一さん:
実家があったのがそこよ。黒い配管がある、そこら辺。もうお参りもできん。もう(川には)魚もおらん、蛍もおらん。昔の風景は全く無い

井上さんが生まれ育ったふるさとは、一夜にして濁流にのみ込まれ、いまはその面影もない。

井上洋一さん:
子どもたちも連れてきたときは、じーちゃん、ばーちゃんってね。親のこと考えたら、声まで聞こえてくるよ。声なんか忘れてないけんね、やっぱり

年老いた両親は、実家もろとも濁流にのみ込まれ、帰らぬ人となった。
仲良く写真に収まる父の輝雄さんと母のマサ子さん。実家から離れて暮らしていた井上さんは、あの日、豪雨が牙をむき始めた午後4時頃、父の輝雄さんを気遣って電話をかけた。

輝雄さんと交わした最後のやりとりを、今も忘れることができない。

井上洋一さん:
午後4時くらいに電話した時は、避難できんとか、何も言わなかったからね。ただ「ありがとう」って言うから、もう心配かけたくないから、敢えて詳しいこと喋らんかったのかなとも思うし

昔かたぎで職人気質、口数も少なかった父親が、口にしたのは思いもかけなかった感謝の言葉だった。

井上さんの自宅には、その形見が大切に飾られている。

井上洋一さん:
全部、親父の作品。簔、これは30年(前のもの)。それでも殆ど痛んでない

亡くなった輝雄さんは、シュロの皮で獅子舞の簔をつくる名人で、県の選定保存技術保持者に認定されていた。

輝雄さんの在りし日の姿が映像に残っている。伝統の技を伝え残すために、朝倉市の美奈宜神社で簔作りの指導にあたっていた。

輝雄さん(美奈宜神社の「例大祭」映像):
できる限り、みなさんのためになることならば、精一杯やらせて頂こうと思っております。こうやって捩じる度に、こちらも捩じりよるとですよ、全部

美奈宜神社の「例大祭」は、コロナ禍以降、2022年10月に3年ぶりに開催決定となった。輝雄さんの手がけた獅子が3年ぶりに舞う。

井上洋一さん:
全然、自慢しない。すごい人だったんだっていうのも、亡くなってからしか。親父の生前の時、そういう話、一切しなかったから…

洋一さんが、輝雄さんを亡くして初めて気がついたのは、多くを語ることはなかった父親の「大きさ」だった。

尊い命が奪われた豪雨から5年。井上さんが最も訴えたい思いとは…

井上洋一さん:
豪雨の記憶が風化するのはちょっと残念だなと。それは伝えていかんことにはね、生きてる人が若者に。いつどんな雨が降るかわからないでしょ。防災的なことも兼ねて。若者に引き継いでいってもらいたいと思うよね

時が経っても癒えることのない、犠牲者遺族の深い悲しみ。あの日の辛い教訓を「命を守る行動」に繋げるために、いま一度考えを深めることが必要だ。

(テレビ西日本)