世界で2人目の義足の2メートルジャンパーであり、東京パラリンピックではメダルを期待されるパラ陸上界のレジェンド・鈴木徹選手(SMBC日興証券)、40歳。

“メダル”へのこだわり

1999年、18歳の時に交通事故によって義足になった彼は、ハンドボールで培ったジャンプ力を生かして走高跳を始める。翌年の2000年にはシドニーパラリンピックへと出場した。

2006年には義足で、世界で2人目となる2メートルのジャンプに成功する。

「メダルだけを目指して頑張っていきたい」と鈴木選手が語るように、彼がパラリンピックのメダルにこだわるのには理由があった。

これまでパラリンピック5大会に出場し、シドニーとアテネで6位、北京では5位、ロンドンでは4位と、大会ごとに順位を上げてきた。

2016年のリオでは、パラリンピック前に自己ベストも更新し、メダル確実かと思われたが、結果は4位。5大会連続で入賞しながらも、メダルに届くことはなかった。

鈴木選手は「なんで一段一段何だろうな…と思います。リオ終わった後、1週間ぐらいは本当に寝られない日が続いて、悔しい思いが涙として出てくるんですね。夜を迎えるのが嫌でした」と当時を振り返る。

最低2メートルを目指して

そんな彼が失意の底から這いあがったきっかけは、2016年のリオオリンピック・パラリンピック後に行われ、約80万人が銀座に集まったメダリストによるリオ日本代表選手団合同パレード。

「オリンピックとパラリンピックが一緒にやった初めてのパレード。やっぱり、(メダリストでないと)パレードに呼ばれない」と、その時感じた悔しさが鈴木選手をもう一度奮い立たせた。

そして今、20年以上支えてくれている義肢装具士・臼井二美男さんにメダルを見せたいという思いもあるという。

鈴木選手は今回のパラリンピックの延期について「メダルだけを目指して頑張っていきたいと思います」と話し、「パラリンピックのメダルを臼井さんがいる前で取って見てもらうことが、すごく大事。最低2メートルを目指しながら準備したい」と語った。

サポートはスポーツ義足の第一人者

鈴木選手の義足をサポートして共に歩んできた臼井さんは、35年に渡り3000人以上の切断障がい者義足の製作に携わってきたスポーツ義足の第一人者。

多くのパラリンピアンも所属する陸上クラブ「スタートライン東京」を立ち上げ、障がい者スポーツの発展に貢献している。

臼井さんいわく、日本人でスポーツ用の義足で出場したのは、シドニーパラリンピックの鈴木選手が第一号だという。

過去に例のないスポーツ義足の製作は試行錯誤の繰り返しだった。

鈴木選手は「2メートルがすごく大事で、それを跳んでいる選手がアメリカの選手しかいなくて。義足を見ると生活用の義足で跳んでいた」と明かす。

その選手の影響で2004年のアテネパラリンピックは競技用ではなく生活用の義足で出場した。

その後、競技用の義足に改良を重ね、鈴木選手は世界で2人目となる2メートルジャンプにも成功した。

だからこそ東京パラリンピックで6度目の挑戦となる鈴木選手に対し、臼井さんは「東京パラリンピックでメダルを取れたら、本人だけでなく家族も周りもすごく喜んじゃう。20年間目指してきたので、2メートルを跳ぶことにこだわってやっていければ、メダルもついてくるんじゃないかと。最後まで義足の調整も一緒にやっていきたい」と期待を込めた。

(「パラ★DO!」毎週土曜、15時25分~※関東ローカル)
https://www.fujitv.co.jp/sports/parado/program/parado/index.html