携帯電話の普及やインターネットの発達で、世界中の人と気軽に簡単に繋がれるようになった現代。
下火にはなったものの、かつての繋がるツールとして知られていたのがアマチュア無線だ。
もっぱら個人的な無線技術への興味で行われ、開局には国の免許が必要で、4級から1級までの試験がある。そんなアマチュア無線機を活かした新たなスポットが、5月1日に誕生した。

日本に2、3台しかない珍しい機材も展示

長崎県南部にある雲仙市国見町の神代地区は、江戸時代の鍋島藩の武家屋敷跡など、古き時代の雰囲気が漂う風情ある町だ。

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その商店街の一画にオープンしたのが「アマチュア無線機器歴史資料館」。ここには館長自身のコレクションや、お客から提供された昭和期の無線機、約100台が展示されている。当時の人気ブランドが勢揃いしていて、専門誌やカタログなども展示されている。

資料館を手掛けたのは、長崎市内で無線機器販売会社を経営する大久保晃宏さん。

館長・大久保晃宏さん:
一時は一世を風靡して、わーっと騒がれて、メーカーが発表すると、あの辺の機械とかね、当時で給料の何倍もするような感じの機械でしたけど、古いのは結構、並びましたね

資料館の建物は、明治時代に創業した木造2階建ての元造り酒屋で当時の趣を残している。造り酒屋の経営者は、館長である大久保さんの親類で、長年 空き家になっていた。

館長・大久保晃宏さん:
2000年初めくらいに、主がいなくなって空き家にしてた。本当に壊れかけてね、地震とか、台風とか、どんどん落ちていく、みすぼらしい格好でね。近所の人たちから何とかしてくれっていう要望があったのが始まりだったんですよ。
何か人を集めるのに何かいいのがないかって、じゃあ一つこういうのをやってみることで、九州各地からいろんな方がね、趣味の集まりっていうのは非常に好奇心の多い方が多いからですね。そういうことでやってみようと

アマチュア無線は個人同士が非営利な目的で楽しむ無線通信だ。
しかし基地局数は年々減少傾向で、1995年の約136万局をピークに、2020年は約39万局まで減っている。

館長・大久保晃宏さん:
今みたいにスマホがない、電話がない時代に、連絡手段としてアマチュア無線っていうのは重宝がられた、っていうよりも非常に特殊な連絡、ミニ放送局ですからね。そういう意味では、災害時は、今よりも本当に活躍してたと思ってるんですけどね

日本のメーカーがアマチュア無線機の製造を本格的に始めたのは、太平洋戦争が終わってからという。大久保さんがお薦めの名機とは?

館長・大久保晃宏さん:
昔は手作りで真空管でやってた。そんな時代ですよね。段々コンパクトになって、本当にアメリカ的になってきて、アメリカのコリンズっていう機械があったんですけど、それを真似しながら、日本の機械が全部良くなっていったんですね

その最たるものが、イチ・マル・イチ【YAESU FTー101 1970年製】。結構、世界でも名機と言われるようになった。

YAESU FTー101 1970年製
YAESU FTー101 1970年製

おそらく日本の中でも動いているものはないと思うぐらいに珍しい【ICOM ICーT700/ICーR700 1967年製造】。

ICOM ICーT700/ICーR700 1967年製造
ICOM ICーT700/ICーR700 1967年製造

館長・大久保晃宏さん:
これ井上電気製作所っていう、アイコムっていって、世界に今出してますけど、その中でも短波帯っていうのは非常に珍しい。現存版は、おそらく日本に殆ど使ってる方はいらっしゃらないし、たぶん生きてるもの自体がメーカーも含めて、2、3台あればいいほうじゃないですかね。
「TRIO TRー1100 1969年製」、本当にでっかいですよね。今は本当に小さくなってますけど、こういうもので海外と話が出来るとか、あこがれた機械ですよね。当時、これしかなかったんだから。みんな一生懸命やったんでしょうけどね

TRIO TRー1100 1969年製
TRIO TRー1100 1969年製

館長・大久保晃宏さん:
「TRIO TX-1 1954年製」、これは日本のメーカーが最初に商品化した機械って思っていいのかな、アマチュア無線機としてね。真空管で大変な機械ですけど、昔はこれでようやく電波が出せた。これは、おそらく現存するのはメーカーにもないだろうって言われるぐらい。たまたま長崎にあったんです。古い方が持っておられてね

TRIO TX-1 1954年製
TRIO TX-1 1954年製

館長・大久保晃宏さん:
諫早水害の時に、これで全国っていうか、九州内ですけど、諫早から長崎へ情報を伝え、他県へ応援をお願いするっていう、今でいう災害救助用にも使われた機械ですよ

資料館に無線機を提供した一人が、アマチュア無線歴約50年の藤原利彦さん。提供した無線機を見せてもらった。

藤原利彦さん:
まずですね、これが、いまアマチュア無線から手を引いたんですけど、NECです。日本電気が作ったトランシーバーです。それ以外にも、ナショナルとか色んなメーカーが、今でいうテレビ、冷蔵庫を作ってるメーカーがアマチュア無線にも入ってました

藤原利彦さん:
「YAESU FL50B FR50B 昭和44年発売」、これが八重洲無線っていって、今でもちゃんとありますけど、これが一番安いっていうか、ベーシックな受信機、送信機の組み合わせですね。これを車に積んでた人はすごく多かったですね

無線ならではの人との繋がり

藤原さんにアマチュア無線の魅力を聞くと?

藤原利彦さん:
私が長く続けられたのは、昔はアマチュア無線やってる人のアンテナ見つけたら、そこの家に飛び込んでいって、全く初対面のところにずうずうしく行って、そこでお茶飲んで、ご飯食べさせてもらって、最後に機械を借りて行ったり、そういう人の繋がりがあったんですよね。だから、無線の電波だけの付き合いじゃなくて、電波を通じて知り合った人との付き合い、人のつながりですね、今でも一番楽しいなと思ってます

電話の通話は相手と自分だけの会話だが、アマチュア無線は1対1で話していても、全てアマチュア無線局でその会話を聞くことができる。そのため、誰かが話していることに反応した人が会話に参加したり、応答したりすることができるので、グループチャットしているような楽しみがある。

館長・大久保晃宏さん:
アマチュア無線っていうのは知らない人でしゃべってて、一年後に、あー久しぶりですねって言いながら、初めましてですからね。顔を合わせるのは初めてでありながら、毎日しゃべってるとかね、そういう喜びがある

館長・大久保晃宏さん:
どこに行っても、その地域に行ってその方に声をかけると、いい友達になってね。地域の案内もして頂けるとかね。色んな意味で得をするっていうんじゃないけど、良い趣味ですよね

そんなアマチュア無線に復調の兆しがある。愛好家の集まり、日本アマチュア無線連盟(JARL)の2020年度末の会員数は前年同期比で574人増え、1994年以来、27年ぶりに上昇した。

インターネットの普及などで長らく下火だったが、新型コロナの影響で、室内でできる趣味として新たな愛好家を獲得している。
また、災害時にネット環境や電話回線が寸断された際の非常通信手段としても見直され始めている。東日本大震災では、安否確認や被害状況の連絡などでも活躍した。

今回オープンした資料館は、街の賑わいのきっかけにもなって欲しいとの思いも込められていて、今後、毎月第3日曜日にはイベントも開催する予定。

(テレビ長崎)

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