思いがけず中国でのお墓参りが実現することになった。
以前北京に赴任していた際、中国語を教えていただいた先生が亡くなったのが10年前。最近、とあるご縁で先生の奥様の連絡先がわかり、電話してみると「明日お墓に行くので是非一緒に」と快諾いただいた。

太子峪陵園(北京市)
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お墓参りで大渋滞 

中国では、4月3日から5日が日本のお彼岸にあたる「清明節」(せいめいせつ)という墓参りのための祝日がある。先生の奥様と約10年ぶりに連絡が取れた翌朝、私はタクシーに乗り、北京市郊外の墓苑へと向かった。

出発して最初に遭遇したのは激しい渋滞だ。北京市郊外とはいっても地下鉄の駅からは遠く、墓苑は車やバスでしかアクセスできない場所である。タクシーの運転手も普段はほとんど来ないという。中国では新型コロナの感染拡大以降、人の集まりを制限するためオンライン形式の墓参りも導入されたが、やはり直接墓前に向き合いたい人も多いようだ。

墓苑まで続く大渋滞

“紙幣”燃やして故人に“送金”

途中で車を降りて徒歩で墓苑に向かうと、道路脇で花を売る人たちが目についた。

道端で売られる花

故人に送るための“お金”が売られているのも、日本にはない光景だった。

故人に送るための“お金”

ただし本物の紙幣ではなく紙でできたお金にみせたもので、これを燃やすことで故人があの世でお金に困らないようにとの思いが込められている。

「お金」を燃やして故人に送る

お墓参りは予約制

先生の奥様と娘さんとは墓苑の入り口付近で合流した。娘さんとは10年ぶりの再会だったがすぐにわかった。ただ、到着してもすぐにはお墓の前に行けない。入り口では健康状態のチェック、予約の確認が行われていた。

入り口で行われる新型コロナと予約の厳しいチェック

新型コロナ対策として入場者数を調整するためだという。厳格なゼロコロナ政策を進める中国では、今やお墓参りも予約制だ。奥様と娘さんは去年は行くことも叶わず「代理のお墓参り」だったと聞いた。

「育ての恩」「いつまでも忘れない」と書かれた墓標

敷地内に入るとようやく数々の墓標が見えてきた。ただ、ひとつひとつの間隔は狭い。良く言えば効率的、率直に言えば日本よりも窮屈だ。中国人のほとんどを占める漢族の多くは仏教徒だというが、戒名などはなく、故人の名前がそのまま墓標に刻まれていた。花がかけられているのは高齢で亡くなった人だという話だった。

高齢で亡くなった人の墓標には花がかけられているという

ようやく先生のお墓の前に到着した。

中国語で墓参りは「掃墓」、直接訳すると「墓を掃く、掃除する」と表記する。奥様が周囲を掃除して、先生が好きだった食べ物や白酒(度数の高い中国の蒸留酒)をお供えした。

奥に見える緑色の瓶が先生が好きだった「白酒」

線香も焚かず、墓標に水もかけず、手を合わせることもなく、ただ一言「山崎さんが来てくれたよ」と声をかけて終了。55歳で亡くなっただけにしんみりするかと思ったが、非常にあっさりとしたものだった。中国では死は意外と身近なものなのかもしれないと感じた。

ちなみに先生のご両親のお墓は同じ敷地内の別の場所にあった。親子で一緒の墓に入ることはなく、子供の墓は必ず親の墓より下の位置に建てられるという。墓地の多くは山間地に建てられるということに由来するのか。私たちも最後に「お金」を燃やして先生のもとに送り、貴重な経験を終えた。

この日は多くの人が訪れていた

私事になるが、再度の北京赴任を希望したきっかけのひとつがその先生である。最初の赴任時、ほぼゼロから中国語を始めた私に厳しくも辛抱強くご指導いただいた。中国語以外にもいろいろ教えていただき、中国との距離を縮めてくれた恩人である。

亡くなったのが突然で、かつ私の帰国の直前だったため、2012年当時は葬儀に出るのが精一杯だった。今回、墓前への同行を快諾していただいたご家族はもちろん、10年前の資料から連絡先を探して下さった北京外交人員人事服務公司の高元媛さんに感謝を申し上げる次第である。

何かと心がささくれ立つことが多い中国での生活だが、こうして人々の温かさに触れることが出来たのは幸甚だった。

【執筆:FNN北京支局長 山崎文博】

山崎 文博
山崎 文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。

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