チェルノブイリと福島、2つの原発事故を経験したウクライナ人女性がいる。
日本に住む彼女は、音楽を通じて自身の経験を人々に伝える活動をしていた。しかし2022年2月、今度はロシア軍がウクライナに侵攻して、故郷が危機に陥った。家族もまだウクライナから出られない状況が続いていた。
こうした心配を抱えながらも、女性は今年の3月11日、被災地へエールを送るために福島を訪れる決断をした。その思いを追った。
出会いは報道の通訳 母への心配を抱えながらの作業
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まる2日前、私はフジテレビで通訳として働いていたカテリーナさんと出会った。カテリーナさんは翻訳作業の合間に、祖国で1人で暮らす母親を気にかけて連絡をとっていた。
侵攻が始まる前、カテリーナさんは翻訳の合間にスタッフと雑談するなど笑顔を見せていた。
しかし、侵攻が始まると、その表情は一変し、落ち着かない様子で何度も携帯電話を確認していた。聞くと家族がまだウクライナに残っているという。
首都・キエフに残るカテリーナさんの母・マリヤさん(68歳)にテレビ電話を通じて話を聞くと、マリヤさんは涙を流しながら現状を話してくれた。

母・マリヤさん:
どこにも行きたくないわ。寝るのも何が起こるか分からないから寝られない。ずっとお祈りしています。神様助けて…
母の話を聞いたカテリーナさんは「無事に朝を迎えてほしい」とつぶやき、涙を流しながら祈っていた。
ロシア軍による侵攻から数日後、カテリーナさんにさらなる悪い知らせが届く。ウクライナ北部にあるチェルノブイリ原発が制圧されたのだ。カテリーナさんは、幼少期にチェルノブイリ原発事故で被災していた。

生後1ヶ月でチェルノブイリ原発事故を経験
カテリーナさんはウクライナ北部プリピャチ出身。チェルノブイリ原発から、わずか約3キロに位置する街だ。生後1カ月で被災したカテリーナさんは、原発事故に翻弄された。
カテリーナさんの実家は被災地域に指定され、一家で首都・キエフへの避難を余儀なくされた。さらに避難先の小学校では同級生から「一緒に遊ぶと放射能がうつる」「夜は体が光る」と心無い言葉を投げつけられ、なかなか友達を作ることができなかったという。
家族も原発事故に翻弄された。父親は原発作業員の作業着の放射能除染をする仕事をしていたが、被ばくからがんを患い、2010年に60歳という若さで亡くなった。
バンドゥーラ奏者に…音楽と日本との出会い
カテリーナさんの本業は通訳ではない。バンドゥーラというウクライナの民族楽器の演奏家だ。日本に来るきっかけになったのも音楽だった。
カテリーナさんがバンドゥーラを始めるきっかけとなったのは、原発事故で被災した子どもたちで結成された音楽団「チェルボナ・カリーナ」だ。

ここでバンドゥーラを習ったカテリーナさんは、10歳の時に海外公演で初めて日本を訪れた。その後、何回も日本を訪れて、音楽が縁で2009年に日本人男性と結婚し、長男、凌磨くんを出産した。
カテリーナさん:
日本全国回って色々なところでコンサートをして、言葉が通じなかったけれども、何か気持ちが伝わって、また是非コンサートで来てくださいって言われたり日本人の優しさに感動して、それがきっかけで、もし音楽やるんだったら、日本だったら私の音楽をちゃんと聞いてくれると思いました

再び人生を変えた“2度目の原発事故”
2011年、カテリーナさんは東日本大震災と福島原発事故を経験する。
当時、住んでいた東京も放射能汚染のリスクがあったため、夫の実家がある兵庫に一時避難した。チェルノブイリの時とは違い、今度は母親という立場で経験した原発事故だった。
カテリーナさん:
まさか、また同じ原発事故が起きて、今度は自分でも自分の子どもを守らなきゃいけない、私のママとパパに守られたように。それは本当に怖い夢の中でも見えてないものです
ウクライナにいる母からは強く帰国を促されたものの、日本への愛着があり、留まることを決めたカテリーナさん。
チェルノブイリでの被災経験を活かしたいと考え、自身のコンサートでは、たびたび原発事故の経験談や、福島へのメッセージを発信してきた。

“3度目の危機”ロシア軍が祖国に侵攻
原発事故からまもなく11年となる2022年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻した。突然始まった祖国の危機を見て、カテリーナさんは今度はコンサートを通じて、ウクライナの現地の状況を伝える活動を始める。
カテリーナさん:
まさか、、体が震えました。絶対嘘だと思っていました。チェルノブイリで原発、日本でも起きて、そしてまたウクライナで戦争…

3月9日に都内で行われたコンサートを訪れると、カテリーナさんは演奏の合間にウクライナの今の映像をスクリーンに映し出しながら、観客に語りかけていた。
カテリーナさん:
国全体がボロボロになって。何も悪いことをしていない方々が亡くなられたり、まだ生まれたばかりの赤ちゃんたちも殺されたり。帰って助けてあげたくてもできない。でも日本のみなさんにもっと知ってほしい。今だからこそ歌わないといけない。
コンサート終了後、入り口に置かれていた募金箱には行列ができていた。
この日は、12歳になる息子・凌磨くんも手伝いに駆けつけていた。

息子・凌磨くん:
自分ができることはやってあげたいなと。やっぱり一人でやるっていうのも大変だと思うから。協力できることは手伝ってあげたいです
侵攻で不安を抱える中、被災地へ
東日本大震災から11年目、カテリーナさんは福島を訪れて被災地へのエールを送ることを決意する。ウクライナ侵攻で不安を抱える中だったが、「平和を願って訴え続ける」活動が大事だと考えて決断した。
3月11日、カテリーナさんは3年ぶりに福島・いわきの教会を訪れた。ここは被災者に向けたコンサートを何度も行った思い出の場所だ。教会の佐藤牧師と4年ぶりに再会し、被災地とウクライナを思いながら2人で祈る。手を合わせる2人の目には自然と涙が溢れていた。

牧師・佐藤将司さん:
色んな映像を見ると、すごく心が痛くなるんです。11年前の目の前で見た光景と被ることもあるし。毎日無事をお祈りしていたので今日こうしてお会いできて、一緒にお祈りできて本当によかったです

いわき市内で行ったコンサートで、カテリーナさんは福島の復興を願う「花は咲く」「イマジン」などを演奏。さらに今年はウクライナの民謡「金色の花」も演奏した。この曲は遠く離れた故郷や母を思い出す気持ちを歌ったものだ。取材中、カテリーナさんはウクライナを思い、何度も涙を流す場面があった。

いま伝えたいこと
チェルノブイリ、福島原発、そしてウクライナ侵攻。
こうした経験を通じてカテリーナさんは、いま伝えたいことがあるという。
カテリーナさん:
文化が違っても、国が離れてても国が違っても宗教が違ってても、それでも世界中の皆さんの心は通じている。私が今できることは、歌で皆さんに勇気と希望を与えること。平和を願って訴え続けたい

ウクライナに残っていた母・マリヤさんは21日、無事日本に避難。およそ3年ぶりの再会を果たした2人は熱い抱擁を交わした。
(執筆:イット!中川日南)