東日本大震災から11年。
震災による福島県内の行方不明者は、2021年時点で196人。ここ数年は、行方不明者の数は減っていない。
福島・南相馬市の男性は11年間、行方不明となっている父を探している。
海のそばの排水機場へ…津波に巻き込まれたか
櫻田朋房さん:
今どこにいるの? っていうことだけですかね。早く出てきてよっていう、それだけですね
福島県南相馬市の櫻田朋房さん。
父・房信さんと会えないまま、11年が経とうとしている。

櫻田朋房さん:
全然声かけないで、仕事に行ったのが最後
あの日…福島・浪江町で仕事をしていた櫻田さんは、大きな揺れを感じたあと、すぐに南相馬市の避難所へ家族の無事を確認したが、父・房信さんだけがそこにはいなかった。

櫻田朋房さん:
なんで?ってことしか頭をよぎらなくて。その時は苦しい気持ちっていうか、辛い気持ちでいっぱいでしたね
母・櫻田ヨシ子さん:
自分の仕事を全うしたのかなって思って。だから海に行ったのかなって思って

父・房信さんは地区の冠水被害を心配し、海のそばにある排水機場へ行き、津波に巻き込まれたとみられている。
自宅は津波で流され…ただ1つ見つかった「形見」
房信さんを探して、福島県内の遺体安置所を巡る日々が続いた。

身元不明の遺体が見つかったと聞けば宮城県まで赴き、幾度となく沿岸部での捜索現場に足を運んだ。
櫻田朋房さん:
1つでも手がかりが見つかれば1つの区切りとして、家族一同考えております
海の目の前にあった自宅は津波に流され、家族が過ごした思い出の場所は防災緑地に変わった。

手がかりを探し、ただ1つ見つかったのは、房信さんの通帳だけ。
母・櫻田ヨシ子さん:
まだ、すっきりってしてないですね。何か心の中に残っているような

櫻田朋房さん:
周りは復興になってますけど。ただ家族としては、その気持ちは消えないと思うんですけど
震災後も変わらず通い続けるのが、父・房信さんが働いていた醤油店。

櫻田朋房さん:
うちの父が働いていた面影はあるんですけど、そういうこと思い出しながら、歩いていきますね。小さいころから常にしょう油とめんつゆが食卓に並んでいたので、普通に思い出しますね

父に会えぬまま過ぎた11年。
それでも温かい眼差しを感じながら、毎日を大切に過ごしている。
櫻田朋房さん:
新しい家族にも恵まれていますし、今はとりあえず、家族ともども仲良くやってるんで。そこは父も安心っていうか…。どこかで見守ってんのかなって思って、今はそういう気持ちですね

捜索を続ける福島県警察本部によると、沿岸部の復旧工事が進められたことで、捜索できる範囲も年々狭まってきているという。
(福島テレビ)