東日本大震災では多くの人が犠牲になった一方、助かった人の中には傷を抱えている人も。

語り部として、“その傷”をあえてさらけ出し、震災の恐ろしさ、そして教訓を伝える男性がいる。

震災で津波に襲われ116人が犠牲になった福島・いわき市薄磯地区
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津波で116人が犠牲に…今も残る心の傷

大谷慶一さん:
私は逃げないどころか、海岸まで見に行ってしまったという、愚かな愚かな行為をしています

福島県といわき市の震災伝承施設で、語り部を務める大谷慶一さん。東日本大震災の津波から逃げた時のことが、今も心の傷となって残っている。

大谷慶一さん:
私が後ろを振り返った瞬間に「ばっぱの手を放せ!」と叫んでいました

震災の語り部を務める大谷慶一さん

震災で津波に襲われた、福島・いわき市。

2011年3月20日・ヘリからのリポート:
上空からでも、ここにおそらく多くの家が建っていたというのが確認することができます

震災による津波で甚大な被害を受けたいわき市薄磯地区

大谷さんが住むいわき市薄磯地区は、甚大な被害を受け116人が犠牲になった。

地震のあと、海に向かった大谷さんは、それまで見たことのなかった光景を目の当たりにした。

大谷慶一さん:
これモノクロ写真じゃないんですよ、これでカラー写真なんです。遥か彼方まで海の底でした

高齢女性2人を置き去りに…お婆ちゃんの目が忘れられず

海底があらわになった様子を目にした大谷さんは、自宅近くの高台にある神社を目指した。

その途中、自宅近くで妻の加代さんと、飼っていた2匹のイヌと合流。そこには、近所に住む高齢の女性2人の姿もあった。

大谷慶一さんの妻・加代さん:
(2人は)足が悪いので、ウチの脇まで連れてくるのにやっとだった

震災当時の状況を振り返る大谷慶一さんと妻・加代さん

目指す神社まで、もうすぐという場所まで来たその時…

大谷慶一さん:
後ろを振り返った時に見たホコリのようなもの、これを見た瞬間に「(津波が)来た」と叫んだ。私は1人だけ。3人と2匹置き去りにしたんです

大谷慶一さん:
私の家内は、おばあちゃんの左腕を右手でつかんでました。私が後ろを振り返った瞬間に「ばっぱの手を放せ!」と叫んでいました。その時のお婆ちゃんの目の色、今に至るまで片時も忘れたことはありません

高齢の女性2人は津波にのまれ、1人は助かったが、もう1人は数日後に遺体で発見された。

大谷慶一さんの妻・加代さん:
まだウチの主人も、おばあちゃんを助けてあげることができなかったという事で、まだ辛い思いしてるんです

大谷慶一さん:
思い出すと、それを無理やり、封じ込めるようにしています。でも忘れようとしても忘れられないでしょ。あの時、あのおばあちゃんの目、見てるんです

震災当時の状況を語る大谷慶一さん

誰かの命救うため経験を教訓に

心に傷を負い1年が過ぎたころ、大谷さんは語り部の活動を始めた。

大谷慶一さん:
自分の身を守る為に、どういうふうな行動を取ればいいのか。それぞれ1人1人全部違うはずです。いる場所によっても

震災の経験を教訓にしてほしい。

自分にとっては「心の傷」でも、誰かの命を救うことにつながればと考え、ありのままを伝えることにした。

大谷慶一さん:
気持ちの中に押し込めているだけではダメだと思ったんですね。われわれがね、自分の犯した間違いを例に出して、ここで116人亡くなった人の例を出して、一生懸命言わなきゃいけない

あの日から、まもなく10年。

山があった場所は切り崩され、住宅地が造成された。でも、大谷さんが家を新築したのは、津波で被災したかつての自宅があった場所の近く。

大谷慶一さん:
「何で大谷さんは津波の水が入ったところに家を作るんだい?」よく言われるんですけどね。これはもう何回も言いますけど、サケと一緒、帰巣本能です

ありのままを受け入れて、生きていこうと考えている。

大谷慶一さん:
死んでしまった人はもう何も言えません。われわれは、大きな犠牲の中から、学ばなきゃならないこと、学ぶべきことってのはあるんですよ

復興が進み、地域の姿が変わっていくからこそ、震災の記憶、そして教訓が伝えられていく必要がある。

(福島テレビ)