金総書記の危うい姿をなぜ放映?

北朝鮮の金正恩総書記の2021年の活動をまとめた記録映画『偉大なる勝利の年、2021年』が、2月1日に朝鮮中央テレビで放映された。新型コロナウイルスによる中国との境界封鎖や、国連の経済制裁の長期化で物資不足が深刻とされる北朝鮮。記録映画も「史上最悪の苦難」と「挑戦」に見舞われていることを随所で強調し、金総書記が困難に立ち向かう姿を宣伝している。その中に気になるシーンがあった。

金総書記は2021年8月に、平壌市内の集合住宅建設現場を視察した。中心部を流れる普通江の川岸に800戸の住宅を階段状に建設するプロジェクトで、同年4月に着工された。人民生活向上のためには住宅建設が重要だとして、金総書記が最も力を入れている事業の一つだ。映像では金総書記が小雨の中、傘を差しながら現場を見て回るが、なぜか、傘をさしているのは金総書記一人だ。同行の幹部らにあれこれと指示し、視察を終えると既に辺りは暗くなっていた。

続いて、金総書記が足場の悪い急ごしらえの階段を覚束ない足取りで下りていくシーンが映し出された。脇には幹部達が手を差し伸べるような形で付き添っている。

北朝鮮の記録映画は、最高指導者の偉大性を内外に誇示し偶像化するためのプロパガンダ手段であるため、通常は最高指導者の弱さや体調の悪化を示すような姿を放送することはあり得ない。では、なぜこんなシーンが流されたのか?

記録映画はそんな金総書記の姿をこう描写している。

「自身の身がぐったり疲れ切ろうとも、人民のあらゆる夢を全て実現して下さる苦労と心配の多い母親の(ような)姿」

金総書記が人民のために、自らの身を顧みず、必死に働いていることを強くアピールしているのだ。自身の体調よりも人民への奉仕を優先させる、慈愛に満ちた指導者の姿を印象付けるための演出といえる。

2021年8月、普通江階段式住宅を視察する金総書記 足元が危うい
この記事の画像(6枚)

金総書記は2021年6月、10キロから20キロほど減量した姿で公開席上に現れ、激やせぶりに注目が集まった。朝鮮中央テレビはその直後、金正恩の「やつれた」姿に市民が、「心が痛い、涙がボロボロ出る」と健康状態を気遣うインタビューを放映した。

記録映画では「激やせ」には直接触れてはいないが、金総書記の「疲労」や「心身への負担」を強調することで、苦境にあえぐ住民らの不満を抑えようとする狙いが窺える。

金総書記はなぜ白馬に乗るのか?

記録映画は、白馬に乗った金総書記が浜辺で朝日が昇るのを見つめるシーンで幕を開ける。

金総書記は「類のない厳しい試練の中で、一歩の譲歩も一寸のぶれもなく常に前進し、望みを全て成し遂げ、信じた勝利をもたらした忘れることのできない2021年よ」と一年を回顧する。映画のワンシーンのようなこの場面はニュースでは放映されていない未公開映像で、金総書記を偶像化するプロパガンダ映画の特徴を鮮明に示している。

北朝鮮で白馬は「強い力と勝利」の象徴であると同時に、金総書記の正統性の根拠である「白頭の血統」の象徴でもある。北朝鮮の絵画や記録映画では、祖父・金日成氏、父・金正日氏ら歴代の最高指導者が白馬にまたがる姿が、度々登場する。

白馬に乗る金総書記の姿を目にすることが増えたのは、金総書記の権威が祖父や父に並ぶまでに高まっていることを示唆している。

2021年を回顧する金総書記。減量の状況から2021年6月以降の撮影と見られる

金総書記が白馬に乗るシーンが北朝鮮メディアで大々的に報じられたのは、2019年10月と12月だった。米朝交渉の決裂を受け、対話から再び対決へと舵を切るタイミングで白馬が登場した。初雪に覆われた白頭山を白馬で駆け巡る最高指導者の姿は、金日成主席の抗日パルチザン活動を彷彿させる。「白頭の血統」を強調し、金総書記の権威を絶対化する狙いが見て取れる。

2019年10月、白頭山に白馬で登頂した金正恩氏

記録映画の最後は、金総書記が妻の李雪主氏、妹の金与正氏、側近の趙勇元氏や玄松月氏らを引き連れ、夏の白頭山を疾走するシーンで締めくくられている。困難にめげず前進する最高指導者の姿を象徴していることがわかる。

夏の白頭山で白馬を疾走させる金総書記。乗馬の腕前はなかなかのものだ

食糧不足認め、予備穀物の放出に言及

記録映画の中には食糧不足のため、非常用に蓄えている「非常予備糧穀」に手を付けたことを認める言及もあった。2021年6月の党中央委員会と各道の党委員会の幹部らとの協議で金総書記は、「食糧危機を克服するための緊急対策を講じる」ことを主要議題として提起した。さらに「予想外の挑戦と障害により、既に幾度も解除しなければならなかった非常予備糧穀―しかし、依然として緊張している人民の食糧問題」とのナレーションが流れた。当時の報道では食糧に触れた部分はなく、非常用の備蓄穀物が複数回放出されていたことに言及があったのは、記録映画が初めてだった。

かつて北朝鮮のプロパガンダでは、最高指導者は人間離れした超能力を持ち、行く先々で神秘現象を巻き起こす存在として描かれてきた。例えば、金日成氏や金正日氏は「縮地法」と呼ばれる瞬間移動の能力があり神出鬼没とされたり、金正日生誕の際には空に二重の虹がかかり、光り輝く新星が現れたりというような逸話は枚挙にいとまがない。

しかし、金正恩時代に入ってからは、こうした最高指導者に対する非科学的な神格化や、荒唐無稽な逸話は報じられなくなっている。代わって杖をついて視察したり、後頭部に絆創膏を貼って活動したりする姿をあえて公開し、人民のために尽くす指導者の姿をアピールしている。食糧不足や、目標の未達成を率直に認め、その上で解決策を模索する姿を示そうとするのも、金正恩時代のプロパガンダの変化と言えよう。

記録映画で報じられたSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射試験

2022年に入って既に7回、ミサイル発射を繰り返している北朝鮮。瀬戸際戦術による緊張の高まりが続けば、金総書記がめざす人民生活の向上はますます困難になる。人民に尽くす指導者の姿を強調する金総書記だが、困窮の中でいつまで人民の支持をつなぎ止めることができるのか。2022年の記録映画に注目したい。

【執筆:フジテレビ 解説副委員長 鴨下ひろみ】

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ


フジテレビ客員解説委員。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。特集「鴨ちゃんねる」で中国や朝鮮半島の気になるニュースと話題の人を徹底追跡。北オタクのこだわり満載です。

国際
記事 95