入社1、2年目の若手記者に取材の基本や原稿の書き方などを教えているなかで、17年前に自分が制作したドキュメンタリー番組を見てもらう機会がありました。当時深夜に放送していたNONFIXという枠で、是枝裕和さん、森達也さん、長嶋甲兵さんら6人のディレクターが日本国憲法の条文を1つずつ選び、それぞれの手法で考察するというシリーズ企画でした。(森さんの「1条=天皇」はフジテレビ側の意向で見送りとなりました。)社員で1人参加した私が選んだのが「21条=表現の自由」でした。

2005年5月11日放送 NONFIXより
2005年5月11日放送 NONFIXより
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フジテレビのサイトに今も残る番組紹介にはこう記されています。

真実の追求と取材される側の人権。報道の意義とスクープ合戦にみられる競争。憲法に保障された表現の自由を我々は取り違えていないか?「表現の自由」と「報道の自由」は何が違うのか?現場で取材にあたる報道の記者を通してテレビ報道について再考したい。

事実の追求と人権配慮のはざまで

50分間の番組は、報道局社会部の若手記者の取材活動を、かつて社会部記者だったディレクターの私が追い、容疑者や被害者の顔写真を入手したり、現場周辺の住民の声を取材したりすることの意味や、取材する側とされる側の関係性などに問いを投げかけていくものでした。

記者が報道の意義と人権との間で葛藤する姿のみならず、ディレクターの私までもが自己矛盾を抱えて悩むという、奇妙な内容です。当時の社会部長からは「なんでこんなネガティブな番組を作るんだ」と猛抗議を受けたのを覚えています。

2005年5月11日放送 NONFIXより
2005年5月11日放送 NONFIXより

実名か匿名か・・・永遠に問われる課題

今見ると若気の至りとしか思えない部分も多々あるのですが、当時も今も変わらないのは、報道における実名と匿名をめぐる問題です。報道機関は、容疑者も被害者も実名で報道するのが原則です。事実を伝えることが私たちの責務であり、当事者の氏名は事象の核心だからです。しかし被害者や家族などの中には人権に配慮してほしいという理由で匿名を求める声があるのも事実です。番組では、被害者や場合によっては容疑者まで匿名にして報道することをいとわない独立系地方局の取り組みなども紹介しました。

愛知の中3男子刺殺事件では、被害者の実名報道か匿名報道かで当初メディアの判断が分かれた
愛知の中3男子刺殺事件では、被害者の実名報道か匿名報道かで当初メディアの判断が分かれた

これは17年たった今でもメディアのあり方を考える上で大きな課題です。特に被害者の氏名公表はさらなる被害を生むという声は根強く、警察が氏名を公表しないこともありますし、報道機関の判断で匿名にすることもケースバイケースで存在します。

若手記者の研修会で、「そこまでして実名にする意味はあるんですか」と聞かれたり、「わかりやすく線引きを示してほしい」と求められたりすることもあります。私だけでなく多くの講師は実名報道の原則を掲げた上でこう言うでしょう。「この問題は永遠に続きます。ただし考えることを止めてはいけないのです」。若手記者はますます困惑の表情を浮かべることになります。

「映像が届くスピード」が劇的に加速

一方で携帯電話がガラケーしかなかった17年前と大きく変わったこともあります。

事件報道では、現場にカメラマンがいち早く駆けつけ、撮影した映像を本社に届けることが求められてきました。昔はビデオテープをバイクや車で運送していたのが、マイクロ回線や衛星回線による伝送、さらにインターネット通信を介した送信へと変わり、機器も小型化して、本社に映像が届くスピードは劇的に加速しています。

最近はカメラマンが到着すればほとんどの現場からライブで映像が送られてきます。それだけでなく、今やカメラマンが駆けつける前に、近くにいた人たちがすでに映像を撮影してSNSにアップしています。土石流にしても、雑居ビルの放火事件にしても、どんなに腕のよいカメラマンでも撮れない瞬間を、そこにたまたまいた方々が撮っています。

熱海の土石流災害 SNS投稿動画を報道各社が使用した
熱海の土石流災害 SNS投稿動画を報道各社が使用した

取材映像か視聴者映像か

ニュースや情報番組には朝から晩まで、視聴者のスマホ、ドライブレコーダー、防犯カメラの提供動画があふれています。ニュース番組が、自前で取材した映像より視聴者の動画を大きく扱うことも日常的にあります。しかし、視聴者の方々がたまたま現場に居合わせたからこそ撮れた動画には、報道するという強い意志をもって撮影されたケースは少ないと思います。

大阪のビル放火事件(視聴者撮影の動画より)
大阪のビル放火事件(視聴者撮影の動画より)

誤解を恐れずに言えば、視聴者動画は取材行為とはいえません。私たちはその動画を撮影した方に接触し、撮影時の様子などを詳しく聞き取った上で使用許諾をお願いしています。その過程がひとつの取材となっているわけです。このような展開は、17年前の番組制作時には想像もしなかったものでした。

自己検証の必要性

私たちメディアは自分たちの取材のあり方については、常に厳しく自己検証していかなければなりません。SNS上の匿名の発信をそのまま拾って世間の声だとして流している番組も残念ながら存在します。また、コロナ禍ではリモート取材のみならず、当事者に撮影をお願いするケースも出てきています。他に手段がないときに、取材者側の意図を丁寧に伝えてカメラを渡し、撮影してもらうなら取材の一環と言えるでしょう。しかし、企業や芸能事務所が撮影した提供映像をそのままもらって放送するのは取材とは言えないでしょう。

まだ世の中に出ていない確かな情報を最初に知って報じる。私たちは、経験と倫理感を持ったプロの取材者・制作者としてそのプロセスに関わらなければなりません。私たちは、他社の報道やネット上の声をそのまま起こしただけの“記事”とは違う、取材者でなければ取れない情報、書けない記事、撮れない映像を世に出し続け、表現の自由を取り違えることなく、事実を見極めていきます。そして視聴者、読者の皆様のメディアを見極める眼に応えていきたいと思います。

【執筆:フジテレビ 社会部長 佐野純】

佐野純
佐野純

(株)フジテレビジョン 報道局 社会部長 社会部記者、ニュース番組ディレクター・プロデューサー、ワシントン支局長、ロンドン支局長、報道番組部長などを経て現職。コロナ重症病棟の特別番組で2020年新聞協会賞。