東日本大震災から10年半の月命日。
岩手・大槌町の旧役場庁舎跡地で、祈りをささげる小笠原人志さん(69)の姿があった。小笠原さんは、役場職員だった長女・裕香さん(当時26)を津波で亡くした。月命日には、必ずこの場所を訪れている。

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小笠原人志さん:
夢でもいいから会いたいとは思うけれども、会えないね。(この10年半)娘に対する思いは、自分の頭では変わってない気がするんですよね

小笠原さんはこの10年、あの日何があったかを知りたいと願い続けてきた。

「最期の姿を知りたい」遺族の思い

大槌町では町長と職員39人が津波の犠牲となった。その後、町では当時の対応について検証を行ってきた。
しかし…

東日本大震災後の大槌町役場
東日本大震災後の大槌町役場

小笠原人志さん(2019年):
遺族が本当に求めているものを、調査に反映できるような仕組みにしてほしい

2019年までに、町は調査書や記録誌をまとめたが、小笠原さんたち一部の遺族は「最期の姿を知りたい」という思いには応えていない」として、さらなる調査を要望してきた。
町では2020年2月から、生き残った職員など56人を対象に、元新聞記者による聞き取りを新たに実施。2021年7月に調査報告書を発行した。

大槌町・平野公三町長:
なかなか遺族の気持ちをくんでこられなかった10年だったと思う。10年経って様々なことがあって、(職員などに)声を聞くことができる状況になった

【報告書「大槌町役場職員」より】
・これ、逃げた方がいいんじゃないでしょうか
・ペンを持つ手が震え、どうしても「浪」の文字が思い出せません
・(犠牲になった)町民生活班長が、はしごを上がろうとする女性職員を助けていました

地震発生から津波到達までの約35分間。亡くなった職員が、どこで・どんな行動をとっていたのか、詳細に記されている。

小笠原さんの長女・裕香さんは、午後3時15分すぎに研修先の釜石から車で戻る途中、役場から約300mの交差点で最後に目撃されていた。その事実が町の公式記録に掲載されたのは、初めてだった。

小笠原人志さん:
気持ちの上では遅いなという思いはありますけど、町が雇用者として、亡くなった職員に初めて向き合ったという点で大きな意味がある

教訓を未来に活かすことが課題

そして、報告書には被害が拡大した要因もあげられている。
その一つが、庁舎が使用に耐えないと見込まれる場合、災害対策本部は高台の公民館に移すと防災計画に定められていたのに、具体的な移設の基準が明記されていなかったこと。

さらに、個々の職員がラジオなどで得た情報を集約できる状況になかったことも指摘されている。当時、防災担当職員だった平野町長もこう証言している。

平野公三町長の証言:
情報を吸い上げて町長に提言するのが私の役目だったが、そういう流れが組織としてできていなかった

悲劇を繰り返さぬために。町では役場庁舎跡地の活用法などを含めて、教訓をどのように伝承すべきかを話し合う住民参加型のワーキンググループを9月25日から立ち上げた。

大槌町・平野公三町長:
悲しいとか、苦しいとか、もちろんあったかもしれませんが、そこから何をすべきかというところが大きいんだろうなと思います。「忘れない・伝える・備える」をどう具体化するかっていうのは、被災地・大槌町の課題かなと

震災から10年半。小笠原さんは、報告書は職員の生きた証になると考えている。

小笠原人志さん:
裕香の"生きた証"をつくってやりたいと思うし、やっぱり亡くなってはいるけれど、裕香の名誉は守ってあげたい。あなたは立派だったと。そんな感じですかね

その一方、同じような遺族を二度と生まないでほしいと語る小笠原さん。
教訓が未来に生かされることを、心から願っている。

(岩手めんこいテレビ)

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