出産の勉強にご熱心だった皇后雅子さま

雅子さまは日頃より陣痛や分娩進行の仕組みをよく勉強され、分娩に備えてエクササイズもしっかりされておられました。その賜物で、37歳11カ月の高齢出産ではありましたが、平成13年12月1日午後2時43分、ご自身の力で内親王さまを安産でご出産されました。

愛子さまは出生時体重3102ℊ、お元気で大きな産声は宮内庁病院中に響き渡りました。皆の緊張が解け、思わず笑顔に誘われる瞬間でもありました。

宮内庁病院を退院される愛子さま(2001年12月8日)
宮内庁病院を退院される愛子さま(2001年12月8日)
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「生まれてきてくれてありがとう」

生まれたての愛子さまを雅子さまにすぐに抱いて頂きました。後の会見で「生まれてきてくれてありがとう」というお言葉を述べられましたが、愛子さまを抱く雅子さまはとても優しい母の顔をしておられました。

赤ちゃんが生まれて、母親も生まれるというということを実感した瞬間でした。

「生まれてきてくれてありがとう」愛子さまのご誕生について語り涙ぐまれる皇后雅子さま
「生まれてきてくれてありがとう」愛子さまのご誕生について語り涙ぐまれる皇后雅子さま

別室にお待ちいただいていた陛下には「たった今内親王さまがお生まれになりました。お二人ともお元気です。」とご報告申し上げ、LDR室(前編参照)にご案内しました。待望の我が子との初対面に、緊張気味でしたが、早速抱っこしていただくようお願いしました。

生まれたての赤ちゃんを抱くのは初めての陛下は肩に力がはいってぎこちない手つきながらも、大きな喜びをかみしめておられました。母児ともに安定しておられ、LDR室から医療スタッフは退出し、陛下、雅子さま、愛子さまだけでお過ごし頂く時間をとることができたのも幸いでした。

愛子さまを愛しそうに見つめられる両陛下
愛子さまを愛しそうに見つめられる両陛下

産婦人科医の悩みと喜び

御用掛として一番難しいと思ったのは、雅子さまに宮内庁病院に入院していただくタイミングでした。警備や報道への対応に約2時間を要するため、入院を決めてもすぐに病院にお越しいただけるわけではありません。タイミングが遅れ、陣痛が始まってお辛いところでの移動はご負担になってしまいます。

一方あまり早い入院は病室で安静時間が長くなり、生まれるまでに時間がかかってしまい、両陛下のみならず、国民の皆様にも不安をかけてしまいます。陛下は「一般の方と違う扱いはしていただかなくて結構です」とおっしゃってくださいましたが、そうはいきません。

そこで活用したのが「分娩監視装置」です。この装置は、子宮の収縮と胎児心拍をモニターするもので、安全な分娩には欠くことができません。日本で開発が進み試作機が完成し、実際に初めて使用されたのは、昭和35年2月23日の浩宮さまのご誕生時でした。当時の最新技術を用いた試作品の「分娩監視装置」を使って上皇后さまは陛下を無事出産されました。

平成のIT時代には、遠隔医療の一つとして在宅の分娩監視装置の開発が進んでおり、私のパソコンに刻々と送られてくるモニター画面を分析し、入院のタイミングを決めさせて頂きました。

図解イラスト:さいとうひさし(画面上のグラフはイメージ)
図解イラスト:さいとうひさし(画面上のグラフはイメージ)

その結果として先に述べましたように、雅子さまは笑顔で手を振りながら入院され、翌日には陣痛が始まりご出産を迎えられました。

ご出産のために宮内庁病院に向かわれる雅子さま
ご出産のために宮内庁病院に向かわれる雅子さま

「お産がとても楽しかった」

陛下と雅子さまのご出産に立ち会わせて頂けたことは一生の喜びですが、陛下から頂いたお言葉は私の人生の支えとなり、雅子さまのお言葉は、産婦人科医人生を変えるありがたいものでした。

ご出産直後、別室でお待ちになっている陛下に内親王さま無事の誕生をご報告した時のことです。私は万感の思いがあり、涙ぐんで申し上げると、私をいたわるように、お優しい声で、「先生の教えてくれた通り物事が進み、安心して誕生を迎えることができました。」「先生にお願いして本当に良かった。」とおっしゃってくださいました。産婦人科医として重責を果たせて安堵したところに、ありがたいお言葉を頂き、涙をこらえられなくなりました。

そして、産後の経過もよく12月8日陛下に伴われて雅子さま愛子さまが宮内庁病院からご退院される折のことでした。職員とともにお見送りする最後の時に、皇后さまから頂いたのが「お産がとても楽しかった」というお言葉でした。

宮内庁病院退院時 堤治医師に挨拶される皇后雅子さま
宮内庁病院退院時 堤治医師に挨拶される皇后雅子さま

出産というのは大事業で産婦さんにとって楽なものではなく、産婦人科医もなんとか無事にと思うのが常でした。産後間もない時期に「楽しい」と言われたのははじめてで、なかなか思いおよびませんでした。

しかし雅子さまのお言葉で、「お産は楽しいもの」であるべきで、楽しいお産を目標にすべきなのだと認識を改めさせて頂きました。そのお言葉は私の産科医人生の励みであり、日々の臨床に生かしています。

「人を愛する者は人恒に之を愛す」

産婦人科医はただお子さまをとりあげるだけでなく、生まれたお子さま方の成長を見守れることも大きな幸せです。

命名の儀は12月7日に執り行われました。天皇陛下が命名されるのですが、殿下妃殿下のお考えを重ね合わせ「敬宮愛子さま」となりました。

原典は孟子です。

人をする者は人恒に之を愛し、人をふ者は人恒に之を敬ふ。

2001年12月7日に命名の儀が行われた
2001年12月7日に命名の儀が行われた
七五三にあたる愛子さまの「着袴の儀」(2006年11月11日)
七五三にあたる愛子さまの「着袴の儀」(2006年11月11日)

愛子さまは修学旅行で広島を訪問され、平成29年の卒業文集には「世界の平和を願って」と題し世界の平和を願い国民の幸せを思う心が、素直に文章としてつづられています。

平成29年の卒業文集に掲載された愛子さまの作文「世界の平和を願って」(資料:宮内庁提供)
平成29年の卒業文集に掲載された愛子さまの作文「世界の平和を願って」(資料:宮内庁提供)
学習院女子高等科を卒業された愛子さま(2020年3月)
学習院女子高等科を卒業された愛子さま(2020年3月)

内容を拝見しても、生まれながらの愛子さまの資質と、両陛下の愛子さまへの素晴らしい教育をうかがい知ることができます。誕生に立ち会わせて頂いた者としてただただお幸せをお祈りいたします。

【執筆:医療法人財団順和会山王病院 堤治名誉病院長】
【分娩監視装置イラスト:さいとうひさし】

堤 治
堤 治

埼玉県秩父市出身。東大医学部卒、同大産科婦人科教授を経て2008年より山王病院。東宮職御用掛として皇后雅子さま御出産の主治医を務めた。生殖医療専門医、内視鏡技術認定医で、現在も難治性不妊に対する再生医療の導入や内視鏡手術の新技術開発を行い、妊娠から出産まで広く産婦人科の診療に携わっている。