愛子さまは健やかに成長され2021年12月1日には20歳を迎えられます。愛子さまの「成年行事」は12月5日に行うことが検討されています。1カ月前にあたり、愛子さまのご出産という慶事に立ち会わせて頂いた時のエピソードや天皇皇后両陛下のお人柄などをこの機会に寄稿させて頂きます。
この記事の画像(15枚)仲睦まじい両陛下
平成13年東宮職御用掛として妊娠中からご出産までお側にお仕えして、ありがたく思ったことの一つに、皇后雅子さまの定期的な妊婦健診に、陛下がご一緒に宮内庁病院にお越しくださったことがあります。ご夫婦そろって超音波画像も見て頂き、はじめは小さな点のようにしか見えない生命が育っていく過程をおふたりで見守られていました。
お腹の中の赤ちゃんが大きく成長して活発に運動する仕草をお二人が嬉しそうにご覧になって、お互いの目を見つめられアイコンタクトでお気持ちを通じ合わされているお姿に、お二人の仲睦まじさを目の当たりにしました。
当時はまだ、妊婦健診は妊娠した女性が定期的に産婦人科を受診するものという考えが一般的でした。公務ご多忙な陛下が健診に同行されることに批判的なメディアもありましたが、陛下が動揺されることはありませんでした。皇后さまの健康に気を配り、皇后さまを守るという強いお心の表れで、雅子さまはお幸せだと感じました。
近年、妊婦健診はご夫婦で受けるという風潮が定着してきています。山王病院で私が拝見する妊婦さんの多くがご主人と一緒に来院され、ご主人は胎児の超音波像を見て父性に目覚めています。これは陛下が、妊娠出産は夫婦がともに協力すべきもので、大事な健診も夫婦で受けるべきものと、身をもって示してくださったといっても過言ではないでしょう。
陛下の思いやり
陛下の思いやりや深いお考えを身近に感じたのは健診だけではありません。性別の告知もその一つです。性別は、調べようとすれば超音波検査で妊娠の比較的早期に知ることができます。性別を知らせるか否かはご夫婦のお考えにより対応します。10組のご夫婦に尋ねると1組か2組の方は「教えないでください。出産の時の楽しみにします」とおっしゃいます。
陛下にご確認すると、性別を調べ知らせる必要はないとおっしゃられました。妊娠中、だれにも性別については申し上げることなく、出産後に初めてお二人に内親王様(女児)が誕生されたことをお知らせいたしました。皇后さまのご妊娠期間中に、女性天皇、女系天皇の議論があり、妊娠中に性別を知ることは皇后さまのご負担になることのではないかというご配慮であり、陛下の雅子さまへの思いやりであったと拝察するものです。
愛子さまはご誕生後、退院まで宮内庁病院の新生児室で過ごされました。陛下は何度か足をお運びくださり、日々変化する愛子さまの表情をご覧頂きました。ある日、ふと愛子さまが眠るベビーベッドの「コット(足のついたワゴンのような新生児用のベビーベッド)」を指して、陛下が私に、「このコットは私が使っていたものなのです。覚えてはいませんけどね。」と懐かしそうにそして少しお茶目な表情でお話しくださいました。
なんの変哲もないコットですが、素朴で、ものを大事にする皇室の精神をみたような気がいたしました。そしてまた、周囲のものの緊張を和らげる思いやりのあるお言葉とありがたく思いました。
雅子さまのお人柄
雅子さまはキャリア官僚として活躍の後、平成5年にご成婚、皇室に入られました。その後メディアを通じて外国の要人と通訳を介さず快活にお話されるお姿などを拝見しておりましたが、お人柄については知るよしもありませんでした。御用掛として初めてお目にかかった時は緊張したものですが、雅子さまはにこやかに優しく接してくださり、医師に対する敬意と信頼の表情も見せてくださり安心致しました。
陛下から皇族であるからと言って特別な対応はしないで欲しいと言われており、「お産と受験は勉強が大事です」と申し上げ、妊娠や分娩の仕組みをご説明させて頂きました。その後も妊娠各時期に体に起こる変化やご注意いただくべきことを申し上げご理解いただきました。雅子さまは几帳面にメモをとられ熱心にお聞きくださり、鋭いご質問も頂き、何事にも真面目に取り組むお人柄を垣間見た思いがいたしました。
お勉強熱心な雅子さま
ご出産の参考になればと思い、私が監修した『初めての妊娠』(SSコミュニケーションズ)をお渡ししてありました。ある健診の時「私のこどもは普通より小さいのですか?」というご質問がありました。
検査では、超音波で頭から頭臀長(頭から御尻までの長さ)を測定します。そのため健診での3.5cmに対して、テキストでは足の長さが加わった身長で5cmと示しており、差が生じます。雅子さまはテキストを全部読み込んで頭に入れておられて、質問されたのです。説明不足をお詫びしご理解頂きましたが、雅子さまの熱心さにこちらの身が縮む思いがしました。
皇后さまは、お散歩やエクササイズも、妊娠各時期に行って頂きたい内容をお伝えすると、きっちりとその通りにこなされました。散歩を30分と言えば、ストップウォッチではかったかのようにしっかり30分散歩をされ、模範的な妊婦生活を送られました。37歳11か月での出産ですから医学的には高齢出産になるわけですが、妊娠中からご夫婦仲良く、体調管理にも励まれ模範的な妊婦生活を送られた事が理想的な安産に結びついたと思われます。
いたずらっぽい笑顔で優しいお気遣い
お住まいの東宮御所に伺う際は、自分の車を運転して参上するのが常でした。ある晩、普段通らない道を遠回りしたところ、思いがけず道を踏み外しつまり脱輪してしまいました。前にも後ろにも進めず暗い夜道を歩き、東宮職の方に助けを求め大勢の方に車を助け出してもらったことがあります。
誰が報告したのでしょうか。次にお目にかかった際、陛下は知らぬ顔をされていましたが、皇后さまは「脱輪したんですって」といたずらっぽくお尋ねになり、微笑まれました。お恥ずかしい話ですが、皇后さまは周囲の者の行動にも優しく気を配っておられ、お気遣い頂いたものと前向きに解釈させていただきました。
愛子さまご誕生
ご出産に先立って宮内庁病院に「LDR室」を用意して頂きました。Lは陣痛のLaboure、Dは分娩のDelivery、Rは回復のRecoveryを意味します。従来日本では、分娩が開始すると陣痛室で待機、いざお産という時には分娩室に移り、分娩後には回復室で観察するというスタイルが主流でした。お産を管理する側には便利ですが、その都度移動する産婦さんには負担になります。LDR室ではアットホームな雰囲気の中、ご主人も立ち会って陣痛から分娩後の回復まで一つの部屋で過ごすことができます。
ちなみに当時は産婦人科医の中でもLDRに理解が十分でなく、宮内庁がLDRをプレスリリースし、その後日本でもLDRが広まるきっかけになりました。いいかえれば雅子さまの分娩が今では当たり前になっているLDR普及の先鞭をつけたといえましょう。
11月30日深夜雅子さまは陛下に伴われ、多くのカメラや記者が待っている半蔵門を笑顔で手を振りながら宮内庁病院に入院されました。翌12月1日午前中に陣痛が始まってLDR室にお入りになり、陛下も陣痛の痛みを和らげるようにお側で雅子さまを励まされました。いよいよ分娩という時には、別室に待機頂きました。
(#2 後編『皇后雅子さま「お産がとても楽しかった」 愛子さまの産声が響き渡ったその時・・・』に続く)
【執筆:医療法人財団順和会山王病院 堤治名誉病院長】