平成に起きた事件・事故・災害などの現場を撮影したカメラマンが自分の目で見つめ、記録した現実を、後輩カメラマンが話を聞く。シリーズ第3回目は垣田友彦元フジテレビ報道局カメラマン。

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現在、フジテレビジョン報道局・国際取材部長を務める垣田友彦(54)。若い頃は報道カメラマンとして活躍していた。入社後、阪神淡路大震災やオウム真理教取材などの取材を担当し、カメラマンになって7年目、34歳の時、ニューヨーク支局に赴任した。

ここに1枚の写真がある。垣田がニューヨーク支局に赴任してすぐの頃、サンフランシスコへの出張帰りに撮影した1枚だ。そこにはマンハッタンの先にそびえ立つワールドトレードセンターが写っている。

垣田友彦:
今度ワールドトレードセンターを見に行こうと思っていて、とにかく初めて(近くで)見るワールドトレードセンターが、崩れる瞬間だった。

平成13年(2001年)9月11日
午前8時46分40秒 アメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟に衝突
午前9時3分11秒 ユナイテッド航空175便がワールドトレードセンター南棟に衝突

*THE9/11 COMMISION REPORT

垣田は航空機が衝突した時点ではまだワールドトレードセンターで起きている異変を認識していなかった。ふとテレビを見ると現地のニュース専門チャンネルがワールドトレードセンターの生の映像を流していて火災が起きていた。部屋の窓から外を見てみると、たしかに煙が出ている。急いで支局に向かった。機材を準備して、記者、助手と一緒に車でワールドトレードセンターを目指した。道は混んでいたが行けるところまで行こうと車を進めた。

目の前に煙が出ているワールドトレードセンターを確認し、車を降りて撮影を開始した。現場へ向かう救急車のサイレンが鳴り響き、人々は困惑の表情を浮かべていた。

ーー現場に向かっていた時、何が起きているのか分かっていたのか?

垣田友彦:
カーラジオで色々情報を聞いた。当時はインターネットがそんなに発達していなくて、スマホがなかった時代なので。あとは支局とかフジテレビ本社から電話で状況を知らせてくれた。

午前9時58分59秒 ワールドトレードセンター南棟が崩壊
*THE9/11 COMMISION REPORT

崩れる直前、垣田はある音を聞いた。

垣田友彦:
崩れる瞬間、別のことを撮っていて。雷のでかい音がしたようなバリバリという大きい音が聞こえた。それでおかしいなと思った。現場ではすごく聞こえた。

映像を確認すると、垣田はワールドトレードセンターの上空を旋回するヘリコプターを撮影し、そこで一旦、撮影を止めている。その次の瞬間、崩れ始めた南棟の撮影を始めている。バリバリという大きな音に反応してカメラを回し始めたのだろう。ビルが崩壊し、逃げ惑う人々を垣田は映していた。もう1棟も崩れる可能性があるから少し離れようという記者の声も収録されている。

午前10時28分25秒 ワールドトレードセンター北棟が崩壊
*THE9/11 COMMISION REPORT

垣田は警察が規制する最前線でカメラを構えていた。映像を比較すると、撮影を始めた場所では水平方向に見えていたワールドトレードセンターが、この場所では見上げるように映っていて、かなり近づいていることが分かる。

垣田友彦:
(規制される前に)先に着いたカメラマン。消防士の方はいるわけで。崩れた時はその人たちがどうなったのかと思いました。あんなに崩れてしまったところで・・・

ーー規制されてなかったら自分も行っていたか?

垣田友彦:
行っていたでしょうね。崩れるとは思っていなかったので。なるべくカメラマン的には近くに行こうというのがあるので。たぶん崩れるということは想像せずに、もうちょっと近づいていた可能性はあります。

ワールドトレードセンターへのテロで2753名が犠牲になった。その中には救助に駆けつけた消防士343名、警察官60名も含まれる。

垣田のカメラはワールドトレードセンターの崩壊だけを記録しているのではなく、その場にいた人々も撮影している。その顔は一様に困惑し、中には泣きながら抱き抱えられる人、錯乱状態で建物に運ばれる人も撮影されている。

一つ、気になったのがワールドトレードセンターを撮影しようとしている人がほとんどいないということだ。中には一眼レフを構えている人や、垣田と同じようにENGカメラと呼ばれる放送用のカメラを構えている人はいる。20年前はスマートフォンが発達していない時代なので当然といえば当然だが、この20年で時代は大きく変わった。今では誰もがスマートフォンを持つ総カメラマン時代だ。

ブルーインパルスの飛行を撮影する人々(2021年7月23日、都内)

このような時代においての報道カメラマンの存在意義について話を聞いた。

垣田友彦:
今だったら誰かがTwitterで1分も置かずに映像が上がる。みんながカメラマンになってしまうのは、もう時代の流れだと思います。スマートフォンというすごいものが登場してしまって、我々の仕事(報道カメラマン)もなくなるのではと言われているがそうは思わないです。

日々いろいろなものに接して、何かを感じてもらえると思いながら映像を撮るのが報道カメラマン。そこが一般の人との大きな違いだと語る。

垣田友彦:
自分で見たもので伝えたい。そこの気持ちを失うと、報道カメラマンとしては違う。感覚とか嗅覚でいろいろ吸収して撮っていかなければと思うので、そういう所が報道カメラマンの存在感じゃないかな。

9月11日を撮影したことは何か自分の報道人生に影響を与えたのか、垣田に聞くと、「特にない」という返事だった。そんなことはないはずだと何度も質問を変えて聞いてみたが、あの日、あの場所にいたのも、ニューヨークにカメラマンとして赴任したのも、全てたまたま、これを撮ったからどうだとは思っていない。ただいつものように、ちゃんと撮影しなければと考えたという。カメラに音声はちゃんと入っているか、適切なホワイトバランスで撮れているか、いつも通りの取材に徹したという。

垣田が撮影したあの日のワールドトレードセンターでの一部始終は、報道カメラマンの基本である5W1H (Whoだれが、Whenいつ、Whereどこで、Whatなにを、Whyなぜ、Howどのように)をいつもの取材と同じように心がけたものだ。日頃から報道カメラマンとして鍛錬していたので、このような未曾有の現場に遭遇しても、冷静にいつも通りの撮影をできていたのだ。

<撮影後記>

20年前。私は17歳だった。テレビの報道番組がワールドトレードセンターに衝突する2機目の旅客機をリアルタイムで放送していたのを鮮明に覚えている。テレビの中の映像がとても現実の事とは思えなかった。まるで映画でも見ているような気持ちになった。

あれから20年。この米国同時多発テロについて垣田さんに話を聞いてみたいと思った。私が新人の頃、垣田さんはまだ撮影部に在籍していた。デスクも兼務していたが、カメラマンとして現場にも出ていた。何度か一緒に取材に行ったこともある。

カメラ研修時代、垣田カメラマンのアシスタントとして、ある政党の幹事長会見の取材に行った時のことだ。その幹事長はいつ辞任してもおかしくない状況だった。会見場に着いて撮影準備をし、記者会見が始まるのを待ったが、定刻になっても始まる気配がない。10分、20分経っても姿を現さない。本人が来ないことには撮影が始まらない。そう思って、ふと垣田さんを見るとカメラを三脚から外し、肩にカメラを担いで何やら撮影している。

結局、定刻より30分程遅れて本人が登場し、会見はいつも通り粛々と行われた。

取材が終わり、垣田さんに会見が始まる前に何を撮影していたのかを聞いた。垣田さんはなかなか渦中の本人が姿を現さないのは理由があるはずだと考え、もしかしたら今この時間にも政党の幹部と辞任について協議しているのかも知れない。もし実際に辞任するとなると、その日のニュースはこれで持ち切りになるだろうと考え、その日のドキュメントとして使えるように、会見場で待機する記者やカメラマン、政党の職員の様子などを撮影していたという。撮影していたのは垣田さんだけだった。他のカメラマンは私と同じように会見が始まるのをただ待っているだけだった。

報道カメラマンは、ただ目の前で起きている事象を記録するだけでなく、自分で考え、その背景には何があるのかを映しとる事だと強く感じた。この日の経験は、当時まだ研修中でカメラマンではなかった私にとって影響を与えた。

今回、垣田さんに報道カメラマンの存在意義について話を聞いた。垣田さんの回答はまさに垣田さんらしく、首尾一貫していた。スマートフォンが発達し、誰もがカメラマンという時代になっても、垣田さんは報道カメラマンの仕事はなくならないと断言する。

その根底には「日々いろいろなものに接し、何かを感じてもらえるように撮影するのが報道カメラマン。」そう言い切る垣田さんの報道カメラマン哲学が現れている。

<取材・編集・執筆>石黒雄太
<撮影>三浦修、原健悟