「わかな 最高にカワイイぞ めぐ」
「おめでとう!!幸せな家庭をきずいてね」
バレーボールに書かれた寄せ書きは消えかかっていたが、そう読めた。
「持ち主を見つけて、返してあげたいんだ」
アメリカ・アラスカ州在住のデービッド・バクスターさんから写真とともにメッセーが届いたのは2021年7月下旬。デービッドさんが勤務するミドルトン島で2014年夏に同僚が見つけたこのバレーボールを、7年後の今、託されたという。


「わかな」という名前の女性の結婚式でバレーボール部の仲間からから贈られたものなのか。
バレーボールにはまた「おめでとう コレカラもお幸せにね 大スキ えり」「わかなが幸せになって本当に良かった あい」など、祝福のメッセージを書いた友人たちの名前も確認できる。


さらに「あだち」「成田」「中江」とも読める名字もあるが、判読が難しい。
花嫁は新しい命を授かっていたのだろうか、「元気な赤ちゃん産んでね さほ」というメッセージも。しかし、手がかりはそれ以上になく、持ち主探しは行き止まりに。

津波で漂着した品100点以上・・持ち主を割り出しては返却
デービッドさんはこれまで2011年3月の東日本大震災による津波で、5300キロ以上離れたミドルトン島に漂着したサッカーボールや浮きなどを見つけては、持ち主を割り出して返してきた。
漂着物が異様に目立つようになったのは震災から1年近くたった2012年。
仕事の合間に海岸を散策した際、日本語が書かれているのをみて被災地からのものだと直感し、「持ち主に返さなければ」と思ったという。それと同時に「持ち主は無事だろうか」と内心複雑だったが、「せめて連絡をとって意向を聞きたい・・」という気持ちに駆られた。



デービッドさんには強力な助っ人がいる。日本人の妻、ゆみさんだ。ゆみさんはデービッドさんが持って帰ってきたボールなどを手に、一緒に手がかりを探した。
被災地の学校名が書かれていたもの、屋号が書かれているもの、氏名が書かれていたもの。あらゆる手段を駆使したら、持ち主たちにたどり着いた。
そして、届けた。

岩手県から漂着したサッカーボールやバレーボール、宮城県から流れ着いた浮き球を再利用した飲食店の看板など、収集した総数に比べたら両手にも満たないが、すべて意味のある品々だ。
被災地への寄付金集めにも奔走した。現場にも3度足を運び、いまでも一部の家族とは交流があるという。
“花嫁の『わかな』さん”は・・被災地か?
今回の“花嫁の『わかな』さん”のバレーボールが津波によって漂着した他の品物と同じ時期に見つかっていることから、デービッドさん夫妻はこれも被災地から来たのではないかと推測している。
「わかな」さんに対し、デービッドさんたちは次のメッセージを寄せた。
デービッドさん:Hello Wakana-san!
ゆみさん:わかなさん、私たちはアラスカに住んでいるデービッドとゆみです。わかなさんと、この時生まれた赤ちゃん、そしてご家族のみなさまがいまも元気でおられることを心から願っています。そして、思い出のあるこのメッセージボールをぜひ、わかなさんの元に返してあげたいと思っています。もしも、このメッセージを見る機会がありましたら、ぜひご連絡ください。
デービッドさん:We look forward to hearing from you! (連絡をお待ちしています!)
デービッドさんの庭には、拾い集めた漂着物が優に100点を超える。
「被災地から漂着したものは、持ち主をみんな見つけて、全部返してあげたい。日用品などは、どれだけ返却してほしいものかはよくわからない。でも、寄せ書きのあるボールなどは特別な価値があると思うから、これからもがんばって持ち主を探すよ」
デービッドさんとゆみさんの被災地への思いは、震災から10年たった今も、変わらない。
【執筆:FNNニューヨーク支局長 弓削いく子】